英文でさらりと書かれた文面には頭を抱えた。
読めないわけではないが、わからない英単語が多すぎて目の前で書面を渡してきたアーネストを見あげれば当人はにっこりと食えない笑顔を浮かべるばかりだ。
「……私はネイティブになったわけでもないし、英語が得意なわけでもないんだけど」
「おや、Imagination is more important than knowledge.には出来るでしょう?」
「……鬼」
坂本がいなくなるので代わりにと彼がよこした船はの、というか海援隊のものとなった。
彼の海援隊はどうやら中岡が引っ張っていくようで、そちらに彼女もついていくことがいいのではないかとぼんやりと考えている。
……のだが、実際こうしてアーネストにヘッドハンティングされていると、奇妙な気持ちになる。
「英語ができなくても、貴女には、こちらがある」
こつん、と指で彼女の米神を押すと「Brain」と態々英語で彼女を示唆する。
は苦笑いを返す。頭脳だなんてにはない。付け焼刃だ。それも、坂本の行動力と自分のとってつけた断片的な歴史。
けれど、坂本に言った手前逃げ出すことは彼女には出来なかった。
できることは、彼の求めた世界を彼の目となって、見ていくこと。彼の夢を引き継いで、自分の夢にしていくこと。
「日本人というのは、感情をどうして押し殺すのでしょうね」
「は?」
「未来でも、皆貴女のようなのでしょうか」
は苦笑いを落とした。またか。またなのか。
龍馬さんとのことなら決着はついているから、とさらりと言いのけると随分と驚かれ「貴女が?」とすこぶる余計なお世話な言い方をした後に、大変馬鹿にしたような笑い方で、アーネストは英語で何かを言った。
勿論にはそれが分かるほどの耳を持っているわけではないのだが……表情がとても彼女を笑っているようだったので思わず彼を睨みつけた。
「おや、分かるんですか?」
「わからないけど、なんとなく」
「The greatest obstacle to discovery is not ignorance --it is the illusion of knowledge.」
貴女がわかっていると、全てを錯覚してるだけなのではないでしょうか。
鼻で笑う言い方にはむっと顔をしかめた。
英語の意味は直ぐに把握は出来無いが、イリュージョンといっている以上余りいいとは言えないだろう。
「……そんなに私わかりやすいのかしら」
「さあ、どうでしょうね。因みにいままで誰に言われました?」
「中岡さん、小松さん」
そこは仕方が無いでしょう。両肩を落としたアーネストに彼女は頬杖をついた。英語は相変わらず分からない。
今頃あちらでは宴会で騒いでいる頃ではあるが、どうにも今はアーネストとの話に集中したかった。
時折わはは、という笑い声が妙に耳に届いた。事実上此方で言う婚儀に近いのかもしれない。ゆきに内心で謝罪しながら、英文をもう一度、言ってみる。
「……When childhood dies, its corpses are called adults」
「あなたは大人でありたいのですか?」
「……さあ」
子供らしさが死んだとき、その死体を大人と呼ぶ。
ならば、龍馬の夢を持ち続けているは大人か、子供か。分からなかった。けれどはアーネストの済んだ目に妙に心がざわついて仕方がない。
「……戻らないのですか?」
「そこに行けたら、多分きっと、今此処に居ないでしょ」
「そうですね、貴方は臆病ですから」
「……まぁ、そうなんだけど、直接言われるとちょっと傷つく」
それは失礼しました。紳士的に笑ったアーネストには苦く笑った。
今頃高杉と坂本が酒を飲んでいる頃だろう。
……言わなかったことを後悔しているかと聞かれれば答えは否だ。
言った。伝わらなかったが、ちゃんと言えたのだから、問題はない。伝わらなかったのはまあ、龍馬が悪い。
お嬢しか見ていないから悪いのだ。
「……貴女って、本当馬鹿ですね」
「そうかも」
子供とは言えないですが、大人とも言えないものだから、たちが悪い。
苦く笑ったアーネストには英単語をぽろりとつぶやいてみる。誰だっただろうか、こんなことを言っていたのは。
“It's better to have loved and lost than never to have loved at all.”
苦しいだけじゃないか。
「」
「あー、うん、うん、大丈夫」
復帰出来る。
復帰する。
顔を上げて、はおもむろに立ち上がった。笑い声がする方向を睨みつけてずんずんと歩き出すものだからアーネストは一歩反応が遅れた。
ぱぁんと麩を開けると案の定というべきか、酒盛り場と化しているこの状況下。
ゆきがほんのりと頬を赤らめてうとうとと龍馬の肩に寄りかかってるのを見て、心底は呆れて龍馬に溜息をこれ見よがしについた。
「いや、これはな、」
「これ全部瞬くんに言いつけますから」
「なぁ?!いや待てそれだけは」
「知りません。ゆき、起きて」
布団敷くから。そう言って彼女を引き寄せてずるずると引っ張るとアーネストとぶつかりそうになる。彼はあ、と何か一声上げるがはそれを無視してずんずんと奥へと戻っていった。
アーネストが視線を戻せばあちゃあ、と頭を抱えている龍馬の姿がある。
……少しばかりこの馬鹿をちょっと殴りたくなったが、英国紳士に反するので、やめておいた。
「に最後の最後にかっこ悪いとこ見せちまったなー、いやあ、いかんいかん」
「のことだが、サトウ殿が面倒をみるのか?」
「まさか」
高杉の物言いをのらくらと交わし、彼らと向かい合わせに座ると龍馬は顎に手を当て「まあ、のことだ、大丈夫だろう」と笑っていう。
彼女のことを信頼している兄だからこその目線なのは此処に居る誰もが分かり、そして此処に居る誰もが少しばかりを不憫に思った。高杉が喉の奥で小さく笑って酒を煽る。
「なんだよ」
「いや、も手のかかる兄が居なくなって大分寂しがるだろうとな」
「なぁに、あいつにはお前さんらがいる」
の目を通じて、俺はこの世界を見続けれる。
嬉しそうに笑った龍馬は戻ってきたにお嬢は、とまっさきに尋ねた。は両手を何度かはたきながら寝かしつけましたと言い残すと高杉の隣に座る。
「難儀だな」
「本当に。でもまあ、今日までのことですから」
「フン……違いない」
憎まれ口を叩き合いながら、彼女はちろり、と酒を煽る。
龍馬は矢張りというべきか、よく笑っていて、他の人間に声をかけられて談笑を交わしている。
中岡が付き合わされて悲鳴をあげていたが……そこは見ないことにした。