09 // 内緒話ハ密ヤカニ
その日、宮ノ杜勇は何故か目の前に巽をしたまま口を噤んでいた。
やす田で飲むのは初めてではないし、度々軍上層部の人間と飲むこともあったが、今渦中の人間とこうして飲むのは何とも言えない気持ちになる。
先日の正の話を聞けば、と巽の縁談は着々と進んでいるという。
向かい合わせになった状態で、巽は人当たりの良い笑顔で勇を前にしている。
父親とは違う柔らかい物腰に軍人とは到底思い難い。ちろり、と酒を飲む姿はどことなく儚く思えた。
「……」
「宮ノ杜大佐」
傍に居た紅が少し不思議そうに二人を見つめている。
話は弾むどころか時折ぽろり、ぽろりと会話が出てくるぐらいで実際は三味線の音が時折聞こえてくるばかりだ。
巽は此処に来た理由をわかっているのだろう。酒を含んだ後ゆったりと笑って、言う。
「宮ノ杜大佐のご活躍ぶりはうちの隊でも有名ですよ」
「フン、貴様とて話にはよく聞いておる」
当たり障りなく会話を繰り返した後、巽は成程、と突然呟いた。
その彼の言葉に勇は色鮮やかな料理から視線を外し、彼を睨める。巽は紅に酌をしてもらった上で、のんびり足を崩して言う。
さんの言う通りの方だ。
「……そういえば、彼奴との縁談があるそうだな」
「ええ、海軍中将殿との縁はあっておいて損はないですからね」
政略結婚以外の何者でもない。
当たり前のことだ。さらりといいのけた後に巽は紅に尋ねた。
という人間はどんな人間なのか。
紅は少し考えた後に、真面目な方だと答えたが、勇はより一層顔を顰める。あれのどこが真面目なのだろうか。飄々とした、ただの小娘だ。世間知らずにも程があるほどの。
口に出して彼女を批判すると巽は喉を鳴らして笑い、勇の盃に酒を注ぐ。
「あの人は元々庶民としてずっと育ってきているのに、世間知らず、ですか」
「貴様から見れば違うのか」
「そうですねえ、子供と大人の境界線を常に行き来しているお嬢サン、というところでしょうか」
自分は彼女が好きですよ。
明け透け無く言い放った言葉に思わず持っていた盃を勇は落としそうになった。好きだの嫌いだの、馬鹿馬鹿しい。女にそのような言葉を捧げるなんて帝国男子として如何なものか。
顔を渋めると矢張りそんな勇が可笑しいのかくすくすと巽は笑う。
「宮ノ杜大佐のほうが、余程彼女より子供のようだ」
「貴様、俺を愚弄するか」
「いえ、そのようなつもりは毛頭ないですが、強いていうならさんも苦労するわけだ」
紅はそんな二人の様子をどこか呆れながら見ていた。
そろそろ揚羽が来る。実弟である揚羽が来た上でこの話しを続けたならば恐らくは直ぐにその話は宮ノ杜家に広がるだろう。
勇がに固執しているのは今に始まったことではないが、元婚約者と現縁談相手の話しが進んでいる状態だ。ブン屋からすれば格好のネタになるだろうし、どこぞの小説やキネマのような状況である。
……どうなるのか、内心心配しながら、表情には出さず紅は行く先を見守った。
「恐らくさんは自分のことを異性として見ていないでしょう」
「……」
「けれど、心は開いていると思います。お互いに認めていますからね。それならば結婚相手としては申し分ないのではないでしょうか」
「あんなじゃじゃ馬を、貴様は相手に出来ると言うのか」
「彼女は芯がある、優しい方ですから」
揚羽、入ります。
静子の声がした瞬間にガラスの割れる音が響く。
何事かと全員が目を向けると、勇の持っていた盃が音を立てて割れたらしく手からはどくどくと鮮血が落ちていく。きゃあ、と紅が言いながら慌てて救急箱を取りにいこうと立ち上がる。
巽は慌てて腕の裾を捲り上げ、彼の手を見据える。
当事者である勇は巽を睨めつけたまま昏々と考えていた。そうだ、この男は以前陸軍医として衛生学を学ぶために渡独したという。
じっと巽を見ていると彼は手際よく作業を進めて治療を行なっていく。
不思議と、勇はを思い出した。
(この男と一緒になるのだろうか)
疑問に答えてくれる人間は居ない。
だが胸のあたりが奇妙に痛みが走る。
「……」
あの女は、気が強い。激しい感情を内に秘めている。じゃじゃ馬で、お転婆で、加えて流行りに飛びつくハイカラだ。
けれど。
意味もわからなく、彼は溜息を零した。
思い出すのは、いつかに見た彼女が笑った姿。自分の前では見たことがなかった気がする。
この男の前であの女は笑うのだろうか。他の女と同じように朗らかに、穏やかに。
悶々と勇は考えた後に、巽から手を振り切った。
「あれはやっぱり恋だと思うんだけどねえ」
「……勇様が?」
「そう。ちゃんは博と同じぐらいだから……ああ、丁度一回りくらい?」
片付けをしながら言う茂に紅は小さく笑った。
その笑い方が気になったのか茂は紅を見ると、彼女は柔らかく言う。
恋に年など結局のところ、何も関係していない。
好きになる切っ掛けも人それぞれだ。
「……つまり、縁談の時はなんとも思ってなくても……ってこと?唯の独占欲とも取れなくはないけどねえ」
「あら、そうかしら。様がお綺麗になった、という可能性は?」
「相変わらず、兄さんとは揉めてばかりだけどね」
両肩を落として笑っている茂にアラアラと言いながら紅は笑った。
素直じゃないのは今に始まったことではないのだから、いい加減自覚してしまえばいいのに。
茂と揃って苦笑いを浮かべる。
近くで一人飲み直していた巽がくすり、と笑う。
どこまで本気か、と茂が尋ねると彼は矢張り笑ったまま「さぁ」とだけ言い残した。
2012.03.03
やす田で飲むのは初めてではないし、度々軍上層部の人間と飲むこともあったが、今渦中の人間とこうして飲むのは何とも言えない気持ちになる。
先日の正の話を聞けば、と巽の縁談は着々と進んでいるという。
向かい合わせになった状態で、巽は人当たりの良い笑顔で勇を前にしている。
父親とは違う柔らかい物腰に軍人とは到底思い難い。ちろり、と酒を飲む姿はどことなく儚く思えた。
「……」
「宮ノ杜大佐」
傍に居た紅が少し不思議そうに二人を見つめている。
話は弾むどころか時折ぽろり、ぽろりと会話が出てくるぐらいで実際は三味線の音が時折聞こえてくるばかりだ。
巽は此処に来た理由をわかっているのだろう。酒を含んだ後ゆったりと笑って、言う。
「宮ノ杜大佐のご活躍ぶりはうちの隊でも有名ですよ」
「フン、貴様とて話にはよく聞いておる」
当たり障りなく会話を繰り返した後、巽は成程、と突然呟いた。
その彼の言葉に勇は色鮮やかな料理から視線を外し、彼を睨める。巽は紅に酌をしてもらった上で、のんびり足を崩して言う。
さんの言う通りの方だ。
「……そういえば、彼奴との縁談があるそうだな」
「ええ、海軍中将殿との縁はあっておいて損はないですからね」
政略結婚以外の何者でもない。
当たり前のことだ。さらりといいのけた後に巽は紅に尋ねた。
という人間はどんな人間なのか。
紅は少し考えた後に、真面目な方だと答えたが、勇はより一層顔を顰める。あれのどこが真面目なのだろうか。飄々とした、ただの小娘だ。世間知らずにも程があるほどの。
口に出して彼女を批判すると巽は喉を鳴らして笑い、勇の盃に酒を注ぐ。
「あの人は元々庶民としてずっと育ってきているのに、世間知らず、ですか」
「貴様から見れば違うのか」
「そうですねえ、子供と大人の境界線を常に行き来しているお嬢サン、というところでしょうか」
自分は彼女が好きですよ。
明け透け無く言い放った言葉に思わず持っていた盃を勇は落としそうになった。好きだの嫌いだの、馬鹿馬鹿しい。女にそのような言葉を捧げるなんて帝国男子として如何なものか。
顔を渋めると矢張りそんな勇が可笑しいのかくすくすと巽は笑う。
「宮ノ杜大佐のほうが、余程彼女より子供のようだ」
「貴様、俺を愚弄するか」
「いえ、そのようなつもりは毛頭ないですが、強いていうならさんも苦労するわけだ」
紅はそんな二人の様子をどこか呆れながら見ていた。
そろそろ揚羽が来る。実弟である揚羽が来た上でこの話しを続けたならば恐らくは直ぐにその話は宮ノ杜家に広がるだろう。
勇がに固執しているのは今に始まったことではないが、元婚約者と現縁談相手の話しが進んでいる状態だ。ブン屋からすれば格好のネタになるだろうし、どこぞの小説やキネマのような状況である。
……どうなるのか、内心心配しながら、表情には出さず紅は行く先を見守った。
「恐らくさんは自分のことを異性として見ていないでしょう」
「……」
「けれど、心は開いていると思います。お互いに認めていますからね。それならば結婚相手としては申し分ないのではないでしょうか」
「あんなじゃじゃ馬を、貴様は相手に出来ると言うのか」
「彼女は芯がある、優しい方ですから」
揚羽、入ります。
静子の声がした瞬間にガラスの割れる音が響く。
何事かと全員が目を向けると、勇の持っていた盃が音を立てて割れたらしく手からはどくどくと鮮血が落ちていく。きゃあ、と紅が言いながら慌てて救急箱を取りにいこうと立ち上がる。
巽は慌てて腕の裾を捲り上げ、彼の手を見据える。
当事者である勇は巽を睨めつけたまま昏々と考えていた。そうだ、この男は以前陸軍医として衛生学を学ぶために渡独したという。
じっと巽を見ていると彼は手際よく作業を進めて治療を行なっていく。
不思議と、勇はを思い出した。
(この男と一緒になるのだろうか)
疑問に答えてくれる人間は居ない。
だが胸のあたりが奇妙に痛みが走る。
「……」
あの女は、気が強い。激しい感情を内に秘めている。じゃじゃ馬で、お転婆で、加えて流行りに飛びつくハイカラだ。
けれど。
意味もわからなく、彼は溜息を零した。
思い出すのは、いつかに見た彼女が笑った姿。自分の前では見たことがなかった気がする。
この男の前であの女は笑うのだろうか。他の女と同じように朗らかに、穏やかに。
悶々と勇は考えた後に、巽から手を振り切った。
「あれはやっぱり恋だと思うんだけどねえ」
「……勇様が?」
「そう。ちゃんは博と同じぐらいだから……ああ、丁度一回りくらい?」
片付けをしながら言う茂に紅は小さく笑った。
その笑い方が気になったのか茂は紅を見ると、彼女は柔らかく言う。
恋に年など結局のところ、何も関係していない。
好きになる切っ掛けも人それぞれだ。
「……つまり、縁談の時はなんとも思ってなくても……ってこと?唯の独占欲とも取れなくはないけどねえ」
「あら、そうかしら。様がお綺麗になった、という可能性は?」
「相変わらず、兄さんとは揉めてばかりだけどね」
両肩を落として笑っている茂にアラアラと言いながら紅は笑った。
素直じゃないのは今に始まったことではないのだから、いい加減自覚してしまえばいいのに。
茂と揃って苦笑いを浮かべる。
近くで一人飲み直していた巽がくすり、と笑う。
どこまで本気か、と茂が尋ねると彼は矢張り笑ったまま「さぁ」とだけ言い残した。
2012.03.03