07// 手紙ノ行方


宮ノ杜勇は堅物である。明治から大正に移り変わる世に於いても尚考えていることは「国のため」だ。
野心家たる彼の中では、何を言われようとも動じない。……実際のところ、動じているのだが、このことに関しては動じないのである。少なからずその目標だけは揺らがないもので、今こうして母であるトキを前にしても堂々たるもので、夢を語る。

「あんさん、そないなことより」
「そないなこととは何だ、重要なことだ」

朗々と語る勇にトキは辟易しながら、頬杖をついた。
見合が舞い込んできているのは話にいくつも聞いているのだが、先日こっ酷い振り方をしたという話を千富から耳にして呼び出してみればこれだ。
夢を侮辱されたのか、はたまた何か別件で問題があったのか、トキにはよく分からない。
ただ、問題だらけの堅物である勇を認めて受け止めてくれる物語の姫というものは、暫く現れそうにない気がしてしょうがなかった。
今こうして目の前に居る三十路への道を踏み出している息子は昔から何一つとして変わらない。

「まあ、ええけど」

言い出してもしょうがないのは性格だ。そしてそんな性格もまた玄一郎によく似ている。近況を聞けば勇は淡々と述べていく。先日御杜と斬り合っただの、最終的に邪魔がはいっただの、物騒な話だ。大体の事を話し終え、もういいだろうと指を組み、仏頂面をする勇に呆れながら紅茶に口をつけ、トキはしみじみと考える。
何かにつけては不器用な子供である。参拾過ぎても子供は子供。可愛いものだ。

「せや、は元気しとります?」
「……何故其処で彼奴の名前が出る」

ぴくり。
僅かながらに指が動き、眉が跳ねた。僅かながらも確実な変化にトキは頬杖をつく。何もないわけがない。
何もなければ会話の始まりにが出てくるのが勇との会話だ。けれど、わざと勇はの話題から逸れようとしているのが分かる。中将の話題すらでないのは分かりやすすぎる。
トキはを思い出してみた。……自分にも懐いてくる不思議な娘。勇にだけは素直になれないような娘を、トキは嫌いにはなれない。

「あんさんら、仲ええやろ」
「どこがだ!」

似た者同士ってしらんのかいな、思わず口に出しかけた言葉をトキは飲み込む。意固地になりやすい息子のことだ。誰と誰が似ていると憤慨しまいかねない。
事情を半ば無理矢理に聞こうと問いただせば「何でもない」「トキには関係もなかろう」とまるで子供のような言い分を主張するので、トキはソファーに座り直す。
これは長期戦になりそうだ。

「勇、ええどすか。話しや」
「……」
「話さないなら、に聞くさかい、ええけどな」
「卑怯だぞトキ!」

声を張り上げた勇に、僅かに彼女は微笑んだ。これで彼は自らの退路を失った。うぐぐ、だの何だのと唸る勇を他所にトキは彼をどんどんと急かしていく。
大日本帝国軍、陸軍大佐をここまで追い詰めていくのは矢張り「母」だからなのだろう。根負けした勇が、此処最近の出来事を出来るだけ省略しながら説明していくと、段々と彼女の表情が呆れに変わっていく。
の反応にも「やりすぎや」とを批難したが「あんさんも悪い」と指までさしてご丁寧に説明を付け加えてくれた。
勇としては、内側に溜め込んだ得体の知れない何か感情を周囲から責め立てられており、非常に不愉快この上ないのだが……そんな異論はどうやら言わせてもらえない。何をそこまでが庇い立てされる理由があるのだろうかと釈然としない気持ちも僅かながらにある。それをトキに聞けば、彼女は頬杖をついて溜息を零した。

「あんな、勇。あんたとと、一体いくつ年が離れてると思ってるん?」
「……」
も悪い。身分を弁えないのはあかん。せやけどな、勇」

との付き合い方はあんさんが一番分かってるんとちゃいますか。
何を言えば彼女を怒らせてしまうのか、わからないわけではない。けれど、それをうまく形に出来ない。
不器用なのだ、勇も。

トキは溜息を付いた後に「それで、話もしとらん、と」と付け加えた後に盛大にアホや、と言い放った。
喧嘩をするのは自由だがその八つ当りなど御免被る。先日雅が言った言葉だ。何故こうもが庇い立てされるのかは分からない。矢張り勇は口をへの字に曲げた。
苛々する。
にも、を庇い立てする人間にも。

「勇」
「彼奴に肩入れする理由が分からん。いきなり馬鹿と言われて、どうしろというのだ」

享受しろと。許せというのか。そんな横暴を。
文句を言う勇に、トキは笑った。何が可笑しいと尋ねれば、彼女は言う。

「あんさんとやってること、なぁんも変わらんやないの」
「なんだと!」
「まぁ、ええけどな。あんま迷惑かけたらアカンよ」

もうええ大人なんだから。
そう言い残し、勇の異論をすべてぶった切った後、トキはさっさと部屋を出ていってしまった。聞けば当主と話しがあって来たらしい。
残された勇はテラスにゆったりと出て、ふと玄関先にいるはるに目をやった。彼女は箒で掃除をしている。流石に二年目ということもあり大分手馴れてきたようだ。
……二年。もう彼女が来て、二年目になる。つまり、との付き合いはもっと長い。

「……分からん」

考えれば考えるほど、トキの言う「が言われて怒る言葉」が分からなかった。
長い付き合いでも、そんなものを考えたことはなかったものだから当然といえば当然かも知れない。


「あ、はる」

そんな時である。がひょっこりと宮ノ杜の屋敷……つまり、今勇が居るところから出てきた。いつから来ていたのかは勿論勇は識らない。
……暫らく見ていなかったは、少しばかり雰囲気が変わって見えた。
とはるは何か会話をした後、は手に持っていた紙らしきものをはるに手渡した。
遠目から見てもそれが手紙だということは容易に分かる。手紙。何故手紙。
思わず勇は顔を顰めたが、一人しか居ない以上、その姿を見る人間は居なかった。は何かをはるに伝えた後、僅かに笑ってみせる。はるは僅かに口元を抑えたが、すぐに頷いた。
……盗み見など、彼の趣味ではないことを、勇の弁解のために言っておくが、彼は二人の姿を何故かテラスで凝視したまま動けなくなった。

何かを話した後、はそのまま宮ノ杜邸を後にした。歩いて帰るつもりらしい。
車はどうした車は。いや、この際自転車でもいい。
気づけば彼は踵を返し、つかつかと階段を降りていた。すれ違った際に喜助が居た気がするが、もはやどうでもいい。
玄関先に出れば、の姿は既にない。相変わらずはるが掃除をしているのだが、じっと彼女は先程から手渡された手紙を見つめている。

「おい、はる」
「は、はいっ!ごめんなさい直ぐ仕事に戻ります!」
「……貴様、その手紙はどうした?」
「あ、これは先程様がいらっしゃって、処分しておいて欲しいとのことで」

真っ白な封筒は僅かに皺がよっていて、何度もがその手紙を手にとったということが分かる。
はるから手紙を受け取ると、勇はさっさと手紙を広げた。あ、とはるが言うよりも早く、文面に目を通していく。
女の独特の文字だ。文字を読めば読むほど難解な内容であり、ついでに「あああ」と奇妙な声を上げるはるの耳が少しばかり響いた。


「…………意味が分からぬわ」


同性だからゆえの憧憬、女学生たちの花を使った言葉遊び。姉妹。エス。堅物の勇からすれば想像がつかない世界だ。
顔を顰めていると手紙の内容が気になるのか、はたまた勇の行動が気になるのか困惑しながらもはるが勇の名前を呼ぶ。
鳥が、どこからか羽ばたく音がし、爽風が頬を撫でる。

「なんだ、あいつは本当に捨てたのか」

まさにひょっこり、という言葉があっているだろう。
いつもの書生姿で片手に茶封筒を持ちながら何食わぬ顔をして御杜が颯爽と屋敷の玄関先へやってきた。厭味の応酬でもあるかと思い思わずはるは身を引き締めたが、随分と勇の反応は鈍く、彼の瞳には御杜と、手紙しかどうやら見えていないようだ。

「どういうことだ」
「先程、玄一郎の犬に唆されたのか彼奴が俺のところに来た」

“玄一郎の犬”に真っ先に反応したのははるだ。一瞬顔を上げ、そして直ぐに再び沈黙すると、淡々と先程あった出来事を御杜はかいつまんで説明をする。
勇はただ、守を見据えていたが、では、と妙に低い声を上げ刀の柄に手を当てる。完全に今にでも抜刀しそうな流れだ。

「貴様は余計なことを吹きこんでは居ないのか」
「俺が? ……馬鹿げたことを。彼奴は自分で決めた。俺はその話を唯朗々と聞かされたに過ぎん」

実に迷惑な話ではあるが、と付け加えた上で御杜は勇を歯牙にも掛けないで、手紙を奪いとった。
暫くじっと見つめた後に、何かが可笑しいのか片頬を緩め、喉の奥でくつくつと笑う。

「捨てる捨てない返事を書く、書かないでああも悩んでるのも面白いといえば面白いがな」
「……御杜」
「次男よ、貴様の勘違いは実に創作意欲の湧く良い内容だったぞ」

勘違い、という言葉に勇は不快感を露わにした。どういうことだと搾り出すような、ドスの利いた重たい声をあげれば守は矢張り笑っている。はるは二人を何度か見た後に玄関先で騒がしいことを聞きつけたのか同じく颯爽と歩いてきた正に救いを求めた。
突如として泣き出しそうな使用人に思わず困惑したのだろう、彼の足はぴたりと止まり、そして睨み合っている次男と御杜の姿に盛大なまでの溜息をついた。此処最近揉め事が少なかったためか、正もまた完全なまでに失念していたのである。

「騒々しいぞ大佐」
「……正か」

御杜の言う「勘違い」か何を指しているのかは勇には分からない。
と正の会話が妙に心に引っかかり、チリリと痛み、妙に苛立ったことを思い出し不快感を顕にすると、矢張りとばかりに御杜は笑った。
正は米神に手をやり、盛大なまでのため息をつくと、仲裁と言わんばかりに二人の間にはいった。何があったのかと問えば勇は相変わらず仏頂面で、御杜は相変わらずの表情だ。埒が明かない。

「俺は用があるので、もう行くぞ」
「逃げるのか」
「笑わせるな、貴様のような腑抜けを相手にする時間も惜しいということだ」

そう言い残し、勇に手紙を押し付けるとさっさと歩き出してしまった御杜を三人はただ見送った。
不意に、千富のはるを呼ぶ声が響く。
パブロフの犬の如く彼女はぴくりと体を跳ねらせて、二人の前に一礼をした後さっさと走りだしてしまった。

柳眉を逆立てて不機嫌を露骨にした勇に、正は溜息をつき彼の手にあった手紙に気づき「ああ」と妙な声を上げる。

「なんだ」
「大佐も聞かされたのか、それ」

様、とだけ書かれた真っ白な手紙に見覚えがあった。勇は片眉を上げたが、直ぐに仏頂面に戻った。元はといえばが正に貰ってくださいなどと矜持もなくなよなよとした物言いをしたのが悪い。そうだ、そうに違いない。
心の中でそう整理をつけると手紙へ視線をじっと落とす。

「縁談に、手紙に、あいつも問題続きだな」
「……ああ、そういえば見合いがあったのだと言っていたな」
「お前の上司の息子だと言っていたな。巽、といったか」

巽については勇も知っている。
父親に似ず、穏やかで素行もよく、身分も申し分ない。
……けれど、のようなじゃじゃ馬相手では骨が折れるだろう。あれは一筋縄ではいかない女だ。手綱を握ったと思えば振り切られてしまう。
について誰よりも認識しているのは自分であるという自信が勇にはあった。というのも、に最も手を焼いているのが自分なのだから、当然といえば当然といえよう。正は眼鏡を抑えながら「縁談は滞り無く進んでるようだがな」と淡々と述べる。

「……なんだと?」
「聞いてないのか?」
「聞いていない」
「そうか」

勇はそれ以上何も言わなかった。ただ仏頂面のままですたすたと歩き出し、どこかへと去ってしまう。
取り残された正は唯その背中を見ながら、やれやれ、と溜息を付いた。


「手のかかる異母弟だ」


そのつぶやきは誰に聞かれるわけでもなく、虚空に溶けていく。