06 // 物書キ、叱咤セヨ

様」

入り口で待っていた運転手は待っている際に女学生からお菓子をもらったのだろう、ビスケットをもぐもぐと食べていたのをやめて姿勢を正すとにこりと笑った。
ここ最近、は車での登下校を行なっている。理由は様々だが、自転車のタイヤがパンクしてしまったことが一番大きい。
……周囲からは「おてんばはいからさんは、随分大人しい」と言われる始末だが、まぁ、致し方無いだろう。
車の扉を開けてもらい、は車に乗り込むと重々しいため息を再びついた。
運転手は白い手袋をしたまま、からからと「どうなさいました、お嬢さん」とにこやかに尋ねてくる。
普段は従順な使用人でもやはりの最近の動きは違和感だったのだろう、素直に尋ねてくる運転手には薄く笑った。


「訳が分からなくなっていたところ」
「ははあ」

お嬢さんは真面目ですなあと運転手は言う中で、は頬杖をつきながらただ窓の向こうの変わっていく世界を眺めていた。先ほど女学生に喧嘩を売られたからではない。
ずっと心に何か痼のような違和感を感じていて、それを敢えて見ないふりをしていたのだが、どうにも誤魔化し切れない。窓から見える書生が電車を待つ姿。ミルクホールの従業員らしい娘。誰もが溌剌としていてその中に自分がいたのだろうかという違和感。まるで切り離された世界のように見えて、拒むようには溜息を付いた。


「お嬢さん」
「……なぁに」
「前にいるの、あれ、宮ノ杜様のところの喜助君ですね」
「あ、本当」

随分とそわそわしたようにあちらに行ったりきたりしている落ち着かない様子には止めて、と運転手に言う。彼は既に承知していたようでからからと笑い、お嬢さんらしいものであると笑って車を止めた。
彼に扉を開けさせる前に自分で彼女は扉を押し明け「少し待っていて」と言い放ちすたすたと歩き出した。
喜助はの姿に気づかぬ様子でグルグルと矢張り同じところを行ったり来たりを繰り返している。
好奇心に満ちた目で先程から行き交う人に見られているというのに彼は気にしているようには見えなかった。が彼の後ろに立てば、漸く気づいたように彼は振り返りややや、と気の抜けた声を上げた。

様じゃあねえですか」
「何してるの、さっきから」
「あ、あーいや、あはは、はは……」

耳の裏をかきながら、居心地が悪そうに彼は目を下に向ける。憔悴した姿には彼を観察し続ける。
お久しぶりです、と帽子を外して一礼した喜助の顔色は余り良くない。は彼の名前をひとつ、呼ぶ。

「へい、なんでしょう」
「……」
様?」
「……最近、なにか変わったことはあった?」

彼女の言い方は随分と抽象的で、一瞬だけ喜助が目を細めたのが見えた。
彼は何かを探っていて、それ故のことなのだろう。は深入りはしない。しても仕方がないし、彼女の行動ひとつで物事が変わってしまうこともある。
西洋では「ノブレス・オブリージュ」ということだという。喜助は困惑しながらも、かないませんなあ、とため息を零した。

「……俺は玄一郎様の情報屋ですからな」
「うん」
「……や、いいっす、様、忘れてください」
「そう」
「……様?」

普段ならば彼女は反論でもするところなのだが、意気消沈をしているのか時折考え込んでしまっているは口数少なく時折頷き返すばかりだ。ハイカラさんだと揶揄され、姦しいと言われることも多いだが、今日は随分とおとなしい。
此処最近屋敷に顔を彼女が出していないことを喜助は知っていたし、理由もなんとなしに察してはいるが、予想外といえば予想外である。

「勇様と何かありましたか」
「……何も。何もない」
「この前の口論は、俺も知ってますが……ありゃあ」

それ以上後追いを許さないようには首を振った。何故あんなにも勇が怒ったのかは分からない。
反論を許さない、侮蔑のような目を向けられたのは初めてで困惑したのも否めない。
そして、拒絶されても尚言い返してしまう自分の性格に嫌悪したのも事実だ。
確かにじゃじゃ馬で、ワガママな小娘で、普段勇から言われる言葉など、何一つとして間違っていないということだ。それが悔しくて、何かが引っかかる。

様、知ってますかい? 此処最近勇様は千富さんに怒られてたんですよ」
「へえ」
「理由は多分、そのことなんじゃあないんですかね」
「……さあ、どうかしら」
様」

そんな気のない返事はやめてくださいよ。複雑そうな顔を浮かべた喜助には苦笑を浮かべて彼の肩をぽん、ぽん、何度か叩いて「ごめんなさい」と言う。
ふと、彼女は此処最近の悩みのもう一つのことをこの眼の前に居る青年に聞いてみるのもいいのではないかと思いついた。 喜助は彼女の言葉に最初は冗談かと頬を緩ませていたが、段々と顔をひきつらせて「はあ」と何とも言えぬ顔をして返事を最後はするのが精一杯のようだ。
こういった関係が最近の流行りであることは勿論喜助は知っていたのではあろうが、実際に目の当たりにすると何とも言えない、といったところだろう。は彼を観察しながら、どうしたらいいのかしら、と頬杖をつき尋ねてみる。……そう言われても、と応えるのが本来精一杯なのではあるが喜助は腕を組み、僅かに考えるとああ、と手を叩いた。

「守様に聞いてみるってぇのは、どうですか?」
「……御杜君に?」

怪訝な表情を浮かべ、明らかに何を考えているのか手に取るように分かるの表情は「なんで」というものだ。けれど、彼が作家であること、人の心を図る人間であることを理由に喜助が上げれば、確かに、と渋々という形ではあるが頷き返す。
「エス」という特殊な関係、それものような人間がこういったことに巻き込まれることになるとは思いつきにくい。守の小説とは毛色そこ異なるが大衆小説として「エス」を題材にしたものは女学生たちから高い評価を受けているのも事実である。研究を怠らない御杜守ならば当然そのことを把握しているだろうし……はやがて、ゆっくりと頷き返した。
それじゃあと手を上げた喜助を見送ると、彼は足早に消えていく。
は緩やかに溜息を付いた後に運転手の待っている車へと足を伸ばす。運転手はの帰りを確認するとおかえりなさいませ、と呑気に笑った後に「そういえばお嬢さんの学校でお待ちしてる時、学生さんにお菓子もらいましたよ」と言い放った。呑気極まりない。が指摘すると「お嬢さんだってお菓子好きじゃないですか」と彼はからからと笑ったので、彼女はグウの音も出せず、不意に車の窓から先ほどまで居た場所を見る。喜助は誰かが来たのか随分と安堵したような顔をして見せていた。あの男もあんな顔が出来るのか。妙に感慨深いものを感じながら彼女は瞼を閉ざした。






「……それで、俺のところに来たのか」
「そう」
「……一応言うが、貴様は莫迦か」


万年筆を転がして言う御杜に、は「こんなこと聞ける人間なんてそうそう居ないじゃない」と頬杖をつき子供のようにむくれた。手紙が机の上に置かれて読むことを示唆すると御杜は溜息をこぼしながら態々ご丁寧に音読を始める。文面は簡単にいえば活発で、聡明で、優雅たる白百合の君を一度見た時から憧れてやまない、是非一度お茶をしていただきたい、お友達に、よろしければ姉妹になっていただきたいという内容だ。御杜はこれの何が問題があるのかと首を傾げたがが「私が優雅とか清楚とか」と指摘すると妙に納得してみせたので彼女は冗談交に「ちょっと」と指摘をすれば彼は笑う。
代筆をすればいいのではないか、と御杜は代案を上げたが、は首を横に振る。相手への誠意がない。決断に至れないを茶を啜りながら適当に御杜は相手にしながら先ほどの手紙に目を通す。読むだけならば恋に恋する乙女のようなもので、ファンレターに近いものを感じた。

「御杜君」
「なんだ」
「私、最近自分の考えが分からないの」


どうしてこういう考えに至ったのか、彼女は彼女なりに色々考えてみた。同性の女性に好かれる理由も考えてみたが、答えは出てこなかった上に余計にややこしくなる。ピン、と張り詰めた空気を切り裂くようにして、守は淡々と「そうか」とだけ返した。は重たい溜息を零した後に、手紙を親指でなぞる。流行に乗れない自分が悪いのか、はたまた考え過ぎなのか、どうしたらいいのか。答えは見つからず、唯闇雲に彼女は歩いている。御杜は難儀なことだと呆れ返った後に背もたれに背を預けて腕を組んでみせた。

「貴様はそれで、次男をどう思ってるんだ」
「は?」

直球勝負の守に、は思わず問い返した。
何を言い出しているのだろうか。好き、誰がだ。瞬きを何度かした後に、少し混乱気味に「えっ」と声を漏らす。言っている意味が分からないのか、図星だったのかは分からないが何度か言葉を詰まらせて動揺を隠しきれずは最終的に、首を横に振って「わからない」という答えを導き出した。守の柳眉が片方あがり、訝しげに彼女を見据えるとはじっと自分の拳が白くなるまで握りしめ、服の裾を握りしめている。、と名を呼べば分からない、ともう一度自分に言い聞かせるように呟いた。

「それで、俺にどうして欲しいんだ」
「いい断り方ってどうすればいいのかな」
「そんなもん、見なかったことにして破り捨てろ」
「えええ」

そんな可哀想な、異論を唱えようとするの顔に彼は筆を突きつけた。墨のついていない、柔らかい毛筆ではあったが先端が鋭く彼女を突きつける。怯んだに「はっきりしないから相手に下手な期待をもたせる。なあなあだから悪いということに気づけ」と鞭のように容赦無く彼は言葉を叩きつける。ぐさり、と彼女の心に突き刺さって抜こうとすれば痛みが増して顔を彼女は歪めた。

「分かった」
「わかればいい。で、どうする」
「……会って、断る」

彼は「そうか」と淡々と答えた。はそんな彼の気遣いがありがたかったし、下手に同情の言葉を並べられるよりも余程信じられて、少しだけ、仄かに笑った。
御杜守という人間は彼女の知っている宮ノ杜の人間の誰よりも、宮ノ杜らしく、それでいて宮ノ杜玄一郎と異なっている。平民として育ってきた環境がそうさせているのかもしれない。だが、守という存在はにとって「自分だけではない」存在と思わせてくれて自然と話しがし易い。兄のような、友人のような、そんな人間だ。

「ありがとう、御杜君」
「まぁ、精々頑張ることだな」

余り、自信はないけれど。苦笑いを浮かべたに彼は呆れたように溜息を零す。普段の勢いは何処にいったと指摘するとはぷい、とそっぽを向いた。にだってこういう時もある。守はくつくつと喉の奥で笑うばかりでの言いたいことなど見抜いているように見えた。


「……やっぱり前言撤回。御杜君、おじ様によく似てる」
「なんだと……玄一郎なんぞと似てたまるか!」
「言い方とか、外見だけじゃなくて中身とか、そっくり」

遺伝って怖いなあ。が何度か頷くと青筋を立てて御杜が沈黙し硬直する。思わずぶは、とが声を出して笑うと悩みがほんの少しだけ解消されて、一歩前進したことを実感して気持ちが軽くなった。





2012.01.29