04 // 君知ラヌ迷イノ中
その日、宮ノ杜勇はとてつもなく不機嫌だった。
正確には三日ほど前からひどくいらついている。
主に何事に対しても「貴様ァ……」と使用人たちに対し威嚇をしていたのだが、先日ついに使用人たち一同から泣きつかれたのか千富に怒られてしまった。
流石に千富に言われ使用人たちに八つ当たりをすることはやめたのだが、どうしてこのように不機嫌になっているのかは勇には理解しがたい状況であり、よく分からぬ自分の感情を持て余しているに等しかった。
故に、仕事を行い間に行う鍛錬の際、竹刀を持った部下に対し容赦無く完膚なきまでに叩きのめしたりだとか、書類をいつもよりも多くこなしたりだとか、妙に何かに没頭しようと彼は試行錯誤を重ねる。部下たちはいつも以上に勇に対して萎縮し、上司たちは彼に対して「少将になる日も近いであろう」とはやし立てている。
だが、出世を目論んでいるはずの勇の頭の中は何やら靄がかかっており、釈然としない気持ちのまま気づけば日付が過ぎてしまっていた。それほどまでに彼は何かに没頭をしようとしていたのである。
「……っていうかさ、本当勇って馬鹿?」
末っ子の雅が流石に怒ったのか、当主が居なくなった際に勇を捕まえて、はあ、と思いきり溜息混じりに言った。
小さく使用人が息を潜めたが、彼はお構いなしにズケズケと迷惑なんだよね、と勇に文句を連ねる。考えてみれば、あの雅がよくもまあ三日も持ったものだ。
勇はつらつらと現実を述べる雅に不快感を顕にしたが、彼の話に耳を傾ける。
雅の話はこうだ。
所詮婚約者だったのは元であり今は赤の他人に過ぎないのだから勇にとやかく言う資格はないのだ。
更に言えば中将がどうとかという話は家の問題であり、また、の問題にすぎないのだから勇には全くを持って関係がない、と。
「……なのに、お前ってば何なわけ? 見合してたから何? 自分だってしてるじゃん」
「今は彼奴のことなど関係なかろう」
「じゃあ何でお前はそんなピリピリ苛々してるのさ」
勇が不機嫌になったのは明らかに「が来訪し、そして去った日」からだ。それも、が去ってからになる。
その間に怒った出来事を雅は正より人づてに聞いていたが、だから、という言葉で一蹴した。見合なんてよくある話に過ぎず、陸軍大将である巽といえば軍人である中将からすれば懇意にしている仲の一人だ。見合相手に選ぶのは当然といえば当然といえよう。
勇は不機嫌を更に顕にして、雅に「黙れ」と睨みつけたのだが彼の言葉は止むことを知らない雨のように勇に振りかかる。
「別に結婚しようと、がどうなろうと勇に何の関係があるわけ? ばっかじゃないの」
「黙れ、雅!」
何故かは分からない。
彼にとって見て、どうしてこんなにも腹が立つのかも分からない。更に言えば、あの日、どうしてがあそこまで怒ったのかも分からない。
分からない事だらけで、余計に苛立つ。ち、と舌打ちをして雅の横を通りすぎれば雅は鼻で彼のことを笑った。
矢張り彼は愚かだと心から思う。見ていれば分かる、見ていたくなくとも分かる自分の感情を参拾を過ぎてもまだ、持て余し行き先がわからずにいる。そして八つ当りをしている姿は雅よりもよほど子供に思えた。
がどう思っているかは雅からすればどうということもなく、どうでもいいのだが、勇は鈍感という話を超越している。
そして、八つ当りの矛先を自分たちにまで向けてくる勇を子供と言わずして何と呼べばいいのだろうか。
「正に謝れって言われたのに謝らなかった上に、結果が八つ当りなんて本当くだらないね」
「貴様……黙って聞いていれば」
「僕に何か言うよりも前に自分自身のこと考えれば? そんなんじゃ当主になんか慣れっこないってことまだ分かんないんだ」
ああ、馬鹿ばっかり。気持ち悪い。
そう言い残し、優雅に雅は去っていく。取り残された勇は雅の言っている言葉が妙に頭に残り、益々苛立った。
頭の奥をちらついて離れない後ろ姿と、いつも以上の怒り方。夢に見る辛辣な表情。
くだらないと切り捨てながら切り捨てられずにいる自分の甘さに勇は何度目か分からぬ舌打ちをした。
「……何故俺が謝らねばならんのだ」
分からないが、どうしようもなく最後に彼女が此方を睨んでいた顔が忘れられない。
口論こそはよく行うが、今にも平手打ちをしそうなほど怒っている顔は初めて見た。眉間に皺を寄せ、口をへの字にしながら、勇は考えこむ。
兄弟たちと千富は勇に謝れという。けれど勇は謝る理由などどこにもないと考えている。
けれど、見落としているのかもしれない。彼はじっと彼女とのやり取りのことを思い返す。
扉を開ける前に聞こえてきた言葉。
ああ、そうだ。漸く彼は自分が怒っている理由に対して一つ、合点がいった。
「じゃあ分かりました、正さんが貰ってください」
この言葉に対して、妙に苛立ちを覚えたのだ。
その前後の彼らの会話について、勇は覚えていない。
ただ、扉を開けようとした際に聞こえてきた言葉がぶすりと何かを突き刺したような気がした。
その会話が終わった今でも妙に考えるほど胸が痛く、考えれば考えるほど全身に毒が回ったかのように重くなる。
喉が焼けるような感覚を思い出し勇は米神に手を当てた。
「彼奴は」
何なんだ。
搾り出すように出た声は、妙に嗄れていて、まるで自分の声ではないように感じた。
そして、たったそれだけの言葉に存外に動揺している自分がいて、勇は溜息を落とす。雅の言うとおり、それだけのことで苛立つなど馬鹿げている。
だというのに、それだというのに。心の臓が妙に痛くて仕方がない。
無理やり服の上から抑えこむと、どく、どくと心音がいつもより痛々しく伝わってきて、彼はゆるゆると目を閉ざし、重たい溜息を零した。
2011.12.17