02 // 心、スレ違ウバカリ
「。来てたのか」
「ええ」
屋敷に入り、新しく入った秀男に通され客室で茶を飲んでいると着物を着た正がやって来る。
はさらりと立上り頭を下げると彼は彼女の向かい側に座り「大佐なら寝てるぞ」と何事もなく言った。
少しばかりは拍子抜けしたものの、顔に出さないよう顔に力を入れ、出来る限りそっけなく「そう」とだけ言う。
無論顔に出していないと思っているのはばかりで、正はそんなの様子を観察しながら使用人に茶を出させるように命じた。
「今日、見合いでして」
「ほう、どうせこっぴどく断ってきたのだろう」
「いえ、それが、相手の方が良い方で、友達になりたいと言われました」
面白い経験をしたものです。
クスクスと笑ったに、正は呆れてものも言えない。
見合いの席で友達だなんて聞いたこともない。相手は誰だと聞けば軍の人間であると聞く。
軍に関しては勇が詳しく、正の業界の人間ではない。興味深く話を聞いていると、の相手は随分と軟派な性格こそしているが、真摯な男らしい。
「そうか、ではその男と結婚するのか?」
「いえ、自分が断るので心配なさらないでくれと言われました」
「……また結婚を逃したのか」
まるで兄のような物言いには「いいんです、好きでやってますから」と笑い返す。
この年令で結婚していない人間は平均的に見ればかなり少ないのだがは特別気にする素振りもなく、今日のことを語る。
相手の「巽」という男がいかにいい人間であり、有意義な時間を過ごしたのかは彼女の表情を見れば一目瞭然である。
「大佐とは真逆の人間だな、聞いている限りだと」
「私も、一寸思いました」
「しかし、その男とも結婚をしないとなると、どうするんだ?」
結婚しないとなると家が途絶えてしまう。はそうなんですよねえ、と苦笑を浮かべながら女學校を思い出す。
友人たちは「婚約者」がいた上で今の日常生活で夢を見ていたいのかもしれなかった。
男と女ではなく精神的な結びつきを求めたがゆえの、非現実的な「エス」という関係。
女同士だからこそ分かること、分からないことがそこにはあり、いづれほとんど会ったことのない男たちと結婚するのだから、と夢を見ながら恋に落ちる。
宝塚の男役に恋焦がれるのと同じように。
は先日もらった手紙を思い出し、じっと鞄に目をやった。
「『白百合の君』をお慕い申し上げております」
「……は?」
「先日、こう手紙で言われました」
「なんだ、それは。恋文か?」
おそらくは。
頷きながらエスという関係についてさらりと説明し、が友人たちに押し付けられた小説や雑誌を見せれば正は意味が分からないといったような顔をする。
しかし残念ながらも彼に同意見であり――この、今の婚約問題とエスの問題。2つに頭を抱えずには居られないのだ。
「……苦労をするな、お前も」
「そう思うなら、何かいい案ないですかねえ」
「縁談については家の問題だからな……」
「じゃあ分かりました、正さんが貰ってください」
「莫迦を言うな」
それもそうですねえ、と呑気に笑ったに正ははあ、と溜息を零す。
彼女が結婚をしたくない理由を正はここ最近考えている。
はモダン・ガールの典型的な人間だ。ハイカラで、自由気ままで、博の母と似ている箇所が多い。
けれど、家にも縛られている。
両親の汚名を拭うために、ヒールを履き、ドレスを纏い、円舞曲を踊る。
時には着物を着て、茶道、華道、よき妻たれ、よき母になれと教育を受ける。
彼女がハイカラなことを好む娘であったとしても一括りには出来ない。彼女が仮に理科や数学を好んだとしても、求められているものはそれらではない。
そして、家に縛られているのは正とて同じであり、ほんの少し、彼女の気持ちがわからないでもない。お互いに「長子」である手前、身動きが少しばかり取りにくい。
故に、彼女が初めて「家の令嬢」としてこの屋敷に来た際に自由奔放でありながらしがらみを持っている姿が印象に残り、気づけば助けている。
「正さんのこと、私好きですけどねえ」
「馬鹿言うな、大佐に頼め」
「無理ですよ」
あっさりと彼女は、その言葉だけはやけにきっぱり言い放った。
大佐私のこと嫌いじゃないですか。
彼女の物言いに、思わず湯のみを正は落としそうになるほどに驚愕した。何を言い出しているのだ、この娘は。
凝視する正を他所には少しばかり苦い顔をして、だって、そうでしょう、と繰り返す。
確かに彼らはいつも喧嘩をしているが、犬猿の仲というよりもじゃれ合うようにしか見えないのだが、どうやらその当人が全くを持って自覚をしていないらしい。
盛大についた溜息にが首をかしげると扉が勢い良く開かれた。
突然の訪問者に思わず彼女が振り返り席を立つと、そこには不機嫌そうに立っている勇の姿があった。眉間にはいつもの三割増しで皺が寄っている。
「正、このような阿呆と何を話しておるのだ!」
「いきなり来て阿呆ですって、失礼な!」
「五月蝿い、女は黙っていろ!」
「なっ……」
なんですって。
まるで雷が落ちるかのような怒号に正は米神を抑え盛大にため息を付いたが、雷を落とした張本人は正に対して振り返らず、真っ直ぐ射ぬくように勇を見つめる。
普段とは異なる怒り方に一瞬勇が動揺したことが正にも伝わってきたが、勇はあの性格上謝るわけがない。
フン、と鼻で笑いの神経を逆なでするようなことを言うのだから悪循環以外の何者でもなく、溜息を再び正は盛大についた。
「大佐、、その辺にしてお――」
「大佐の莫迦!」
彼が止めようとするよりも前に、言葉を遮られた。
普段の怒り方ではない。
それだけは宮ノ杜家の長男次男にも揃って把握できる。ハアハアと肩で息をしながら、は勇に何かを訴えるかのように睨みつけたまま、やがてそのまま無言になり、彼女は踵を返し部屋を飛び出してしまった。
勇は何が莫迦だ莫迦め、とはじかれたように言ったが、負け犬の遠吠え以外の何者でもなく、虚しく客室に響き渡る。
「大佐、謝ってこい」
「何故俺が彼奴に対し謝らねばならんのだ」
「……ならば私はもう知らんぞ」
勇が何に苛つくのかは、分からないわけではなかったが、いい機会だ。
いい加減気づいていいのかもしれないと正は密かに思った。この一番年齢の近い次男は昔から女にはとんと疎く、そのくせに女癖が悪い。芸者を抱いては捨て、本気にさせては捨て、一体全体何人の女がこの屋敷にやって来ただろう。
そしてその度何度宮ノ杜家当主が女たちのことをもみ消してきたのだろう。孕んでいないことのほうが可笑しいのだが、あえて口にすることでもない。
いい加減、そんな女癖の悪さも、とのぶつかり合いも見ている側としては煮え切らず、勇の感情など正や弟たちは等に気づいている。
気づいていないのは、勇自身と、そしてだ。
「正、どういうことだ!」
「……私は知らん。気になるのであればに直接聞けば良かろう」
「だから何故俺が彼奴に聞かねばならん!」
噛み付く勇をいなしながら、扉の向こうへ飛び出していったのことを思う。苦笑いをしながら見合いだったと彼女は言っていたが、自暴自棄にならなければいいのだが。
女學校で慕われ、新たな縁談が浮上している状態で彼女はどうするのだろう。正は隣で吠える勇を他所に考えてみる。
「正!」
「ちょっとぉ、さっきが凄い形相で電話で車呼んでたけど、何、勇まーた喧嘩したの?」
ひょい、と顔を覗かせた博が今しがた出ていったのことを言うと勇の眉間に寄る皺がまた濃くなった。
御杜守が宮ノ杜守として呼ばれて以降彼は気が立っているのだが、のことでここまで不機嫌になる彼は珍しい。ケンカするほどなんとやら……というのだが、どうやら今日はそうだけではないらしい。
「そもそも彼奴はふらふらとはしたないであろう!女に有るまじき行為である!女ならば慎ましく、男についてくれば良いのだ!」
「でもさぁ、ってもう勇の婚約者じゃないし、いいんじゃないの」
「黙れ博、中将の面を汚しているが俺は許せんだけだ!」
よく言うよ。
直ぐに顔を引っ込ませた博の賢明な判断に正は内心で拍手を送った。勇は苛立たしげに舌打ちをすると、窓に目を向け「俺はただ大日本帝國の海軍であられる中将が築いてきたものをあのような小娘が汚すのが許せんだけだ」と今なお文句を続けている。
が彼に嫌われていると思う理由は何であろうと構わないが、勇が彼女を嫌っていればここまで、どうとか言わないであろう。
「五月蝿いぞ次男!」
「黙れ御杜!俺は今気が立っている、余計なことを言うと斬るぞ!」
「俺は貴様のような輩の相手をしているほど暇ではないのだ!」
次から次へとひっきりなしに顔を覗かせた男――今度は血の繋がった、隠し子である守が顔を出す。その後ろにはなぜか、の姿があった。彼女の二の腕は守に掴まれており、そのことに気づいた勇がより不機嫌になることに正は気づき、もう付き合いきれんと窓の向こうに目を送った。
こんなにいい天気にも関わらず喧騒の耐えぬ理由は何なのだろうか。
ぎゃあぎゃあと騒いでいれば、使用人二年目のはるがの家の車が来たことを知らせたのでは守の手をバシバシとたたき、すり抜けると「帰ります」と頭を下げた。
……あえて勇を無視しているのはよほど苛ついているからだろう。
正が片手を上げれば、彼女は会釈を一つし、はるに案内されながら部屋を出た。
守がち、と舌打ちすると勇が「何故彼奴と貴様が一緒にいる」と尋ねた。
守は「さて」とはぐらかし、に触れていた手を何度か握っては離すという奇怪な行動を繰り返す。
彼女と守が何をしに来たのか分からぬまま、正は長男として何とかせねばと勇を見る。……勇は、じっと窓から見えるの後ろ姿を腕を組み見ているばかりで何も言わない。
不機嫌な理由が分からないほど子供ではないはずであるというのに。男として、色々な女と付き合ってきたはずだというのに。
まるで、子供だ。
「大佐」
「なんだ」
「……のことだが、今日は縁談だったらしいぞ」
「それがどうした」
「相手の男はあいつのことを気に入ったらしい」
がたん。思い切り音を立てて立ち上がった勇に守は何かを察したのか、ほう、とだけ返す。という人間に興味を持ったのか、はたまた勇の反応に興味を持ったのか守のことは正には分からない。
だが、恐らく気に入ってはいるのだろう、ということだけは分かる。
そんな状況すら目に入らないのか勇は何かを言いたそうで、けれども結局口を噤む。改めて、不器用だ。
「相手の男は、誰なのか聞いたか?」
「いや、知らんな」
「そうか、あのじゃじゃ馬を気に入るような男が居ったか……」
その言葉の次に来る言葉を、少しばかり正は待ったがそれ以降は何も言わない。
守が茶々を入れたいのか、「俺はあのような女も嫌いではないがな」と口端を歪めて意地悪く笑った。
次の瞬間、ひゅ、と刀が彼の頬近くにつきつけられる。けれど、守はそれさえも察していたのか笑顔を崩すことがない。大佐、と思わず正が止めに入るが彼はギラギラと矢張り守を見つめるばかりで動かない。
「なんだ、貴様はに惚れているのか」
「そんな訳がなかろう!」
「では、何故俺に突っかかる」
「家に貴様のような輩が関わっていいものではなかろう!」
そんなもの、貴様には何も関係あるまい。
くつくつ、と笑った守の言葉はそのとおりであり、正が言わんとしていることをほぼ全て守が代弁している。
口こそは非常に悪いが、的確な意見を持っているあたり彼は作家であるだけのことはある。洞察力が高く、慧眼を持っているのだろう。勇は違うと怒鳴ったが、それもまた、意味を成さない。
「……ククク、では精々、他の男に取られる姿を眺めているが良い」
「御杜、貴様……!」
今にも斬りかかろうとする勇を他所に、守は特別意識するわけでもなく、さらりと避けるとさっさと部屋を出ていってしまった。
だん、と机を叩いた勇に、はあ、と正は何度目か分からぬ溜息を盛大に零した。
……車の、発車する音が聞こえてくる。
の背中は、もう見えない。
2011.12.12
「ええ」
屋敷に入り、新しく入った秀男に通され客室で茶を飲んでいると着物を着た正がやって来る。
はさらりと立上り頭を下げると彼は彼女の向かい側に座り「大佐なら寝てるぞ」と何事もなく言った。
少しばかりは拍子抜けしたものの、顔に出さないよう顔に力を入れ、出来る限りそっけなく「そう」とだけ言う。
無論顔に出していないと思っているのはばかりで、正はそんなの様子を観察しながら使用人に茶を出させるように命じた。
「今日、見合いでして」
「ほう、どうせこっぴどく断ってきたのだろう」
「いえ、それが、相手の方が良い方で、友達になりたいと言われました」
面白い経験をしたものです。
クスクスと笑ったに、正は呆れてものも言えない。
見合いの席で友達だなんて聞いたこともない。相手は誰だと聞けば軍の人間であると聞く。
軍に関しては勇が詳しく、正の業界の人間ではない。興味深く話を聞いていると、の相手は随分と軟派な性格こそしているが、真摯な男らしい。
「そうか、ではその男と結婚するのか?」
「いえ、自分が断るので心配なさらないでくれと言われました」
「……また結婚を逃したのか」
まるで兄のような物言いには「いいんです、好きでやってますから」と笑い返す。
この年令で結婚していない人間は平均的に見ればかなり少ないのだがは特別気にする素振りもなく、今日のことを語る。
相手の「巽」という男がいかにいい人間であり、有意義な時間を過ごしたのかは彼女の表情を見れば一目瞭然である。
「大佐とは真逆の人間だな、聞いている限りだと」
「私も、一寸思いました」
「しかし、その男とも結婚をしないとなると、どうするんだ?」
結婚しないとなると家が途絶えてしまう。はそうなんですよねえ、と苦笑を浮かべながら女學校を思い出す。
友人たちは「婚約者」がいた上で今の日常生活で夢を見ていたいのかもしれなかった。
男と女ではなく精神的な結びつきを求めたがゆえの、非現実的な「エス」という関係。
女同士だからこそ分かること、分からないことがそこにはあり、いづれほとんど会ったことのない男たちと結婚するのだから、と夢を見ながら恋に落ちる。
宝塚の男役に恋焦がれるのと同じように。
は先日もらった手紙を思い出し、じっと鞄に目をやった。
「『白百合の君』をお慕い申し上げております」
「……は?」
「先日、こう手紙で言われました」
「なんだ、それは。恋文か?」
おそらくは。
頷きながらエスという関係についてさらりと説明し、が友人たちに押し付けられた小説や雑誌を見せれば正は意味が分からないといったような顔をする。
しかし残念ながらも彼に同意見であり――この、今の婚約問題とエスの問題。2つに頭を抱えずには居られないのだ。
「……苦労をするな、お前も」
「そう思うなら、何かいい案ないですかねえ」
「縁談については家の問題だからな……」
「じゃあ分かりました、正さんが貰ってください」
「莫迦を言うな」
それもそうですねえ、と呑気に笑ったに正ははあ、と溜息を零す。
彼女が結婚をしたくない理由を正はここ最近考えている。
はモダン・ガールの典型的な人間だ。ハイカラで、自由気ままで、博の母と似ている箇所が多い。
けれど、家にも縛られている。
両親の汚名を拭うために、ヒールを履き、ドレスを纏い、円舞曲を踊る。
時には着物を着て、茶道、華道、よき妻たれ、よき母になれと教育を受ける。
彼女がハイカラなことを好む娘であったとしても一括りには出来ない。彼女が仮に理科や数学を好んだとしても、求められているものはそれらではない。
そして、家に縛られているのは正とて同じであり、ほんの少し、彼女の気持ちがわからないでもない。お互いに「長子」である手前、身動きが少しばかり取りにくい。
故に、彼女が初めて「家の令嬢」としてこの屋敷に来た際に自由奔放でありながらしがらみを持っている姿が印象に残り、気づけば助けている。
「正さんのこと、私好きですけどねえ」
「馬鹿言うな、大佐に頼め」
「無理ですよ」
あっさりと彼女は、その言葉だけはやけにきっぱり言い放った。
大佐私のこと嫌いじゃないですか。
彼女の物言いに、思わず湯のみを正は落としそうになるほどに驚愕した。何を言い出しているのだ、この娘は。
凝視する正を他所には少しばかり苦い顔をして、だって、そうでしょう、と繰り返す。
確かに彼らはいつも喧嘩をしているが、犬猿の仲というよりもじゃれ合うようにしか見えないのだが、どうやらその当人が全くを持って自覚をしていないらしい。
盛大についた溜息にが首をかしげると扉が勢い良く開かれた。
突然の訪問者に思わず彼女が振り返り席を立つと、そこには不機嫌そうに立っている勇の姿があった。眉間にはいつもの三割増しで皺が寄っている。
「正、このような阿呆と何を話しておるのだ!」
「いきなり来て阿呆ですって、失礼な!」
「五月蝿い、女は黙っていろ!」
「なっ……」
なんですって。
まるで雷が落ちるかのような怒号に正は米神を抑え盛大にため息を付いたが、雷を落とした張本人は正に対して振り返らず、真っ直ぐ射ぬくように勇を見つめる。
普段とは異なる怒り方に一瞬勇が動揺したことが正にも伝わってきたが、勇はあの性格上謝るわけがない。
フン、と鼻で笑いの神経を逆なでするようなことを言うのだから悪循環以外の何者でもなく、溜息を再び正は盛大についた。
「大佐、、その辺にしてお――」
「大佐の莫迦!」
彼が止めようとするよりも前に、言葉を遮られた。
普段の怒り方ではない。
それだけは宮ノ杜家の長男次男にも揃って把握できる。ハアハアと肩で息をしながら、は勇に何かを訴えるかのように睨みつけたまま、やがてそのまま無言になり、彼女は踵を返し部屋を飛び出してしまった。
勇は何が莫迦だ莫迦め、とはじかれたように言ったが、負け犬の遠吠え以外の何者でもなく、虚しく客室に響き渡る。
「大佐、謝ってこい」
「何故俺が彼奴に対し謝らねばならんのだ」
「……ならば私はもう知らんぞ」
勇が何に苛つくのかは、分からないわけではなかったが、いい機会だ。
いい加減気づいていいのかもしれないと正は密かに思った。この一番年齢の近い次男は昔から女にはとんと疎く、そのくせに女癖が悪い。芸者を抱いては捨て、本気にさせては捨て、一体全体何人の女がこの屋敷にやって来ただろう。
そしてその度何度宮ノ杜家当主が女たちのことをもみ消してきたのだろう。孕んでいないことのほうが可笑しいのだが、あえて口にすることでもない。
いい加減、そんな女癖の悪さも、とのぶつかり合いも見ている側としては煮え切らず、勇の感情など正や弟たちは等に気づいている。
気づいていないのは、勇自身と、そしてだ。
「正、どういうことだ!」
「……私は知らん。気になるのであればに直接聞けば良かろう」
「だから何故俺が彼奴に聞かねばならん!」
噛み付く勇をいなしながら、扉の向こうへ飛び出していったのことを思う。苦笑いをしながら見合いだったと彼女は言っていたが、自暴自棄にならなければいいのだが。
女學校で慕われ、新たな縁談が浮上している状態で彼女はどうするのだろう。正は隣で吠える勇を他所に考えてみる。
「正!」
「ちょっとぉ、さっきが凄い形相で電話で車呼んでたけど、何、勇まーた喧嘩したの?」
ひょい、と顔を覗かせた博が今しがた出ていったのことを言うと勇の眉間に寄る皺がまた濃くなった。
御杜守が宮ノ杜守として呼ばれて以降彼は気が立っているのだが、のことでここまで不機嫌になる彼は珍しい。ケンカするほどなんとやら……というのだが、どうやら今日はそうだけではないらしい。
「そもそも彼奴はふらふらとはしたないであろう!女に有るまじき行為である!女ならば慎ましく、男についてくれば良いのだ!」
「でもさぁ、ってもう勇の婚約者じゃないし、いいんじゃないの」
「黙れ博、中将の面を汚しているが俺は許せんだけだ!」
よく言うよ。
直ぐに顔を引っ込ませた博の賢明な判断に正は内心で拍手を送った。勇は苛立たしげに舌打ちをすると、窓に目を向け「俺はただ大日本帝國の海軍であられる中将が築いてきたものをあのような小娘が汚すのが許せんだけだ」と今なお文句を続けている。
が彼に嫌われていると思う理由は何であろうと構わないが、勇が彼女を嫌っていればここまで、どうとか言わないであろう。
「五月蝿いぞ次男!」
「黙れ御杜!俺は今気が立っている、余計なことを言うと斬るぞ!」
「俺は貴様のような輩の相手をしているほど暇ではないのだ!」
次から次へとひっきりなしに顔を覗かせた男――今度は血の繋がった、隠し子である守が顔を出す。その後ろにはなぜか、の姿があった。彼女の二の腕は守に掴まれており、そのことに気づいた勇がより不機嫌になることに正は気づき、もう付き合いきれんと窓の向こうに目を送った。
こんなにいい天気にも関わらず喧騒の耐えぬ理由は何なのだろうか。
ぎゃあぎゃあと騒いでいれば、使用人二年目のはるがの家の車が来たことを知らせたのでは守の手をバシバシとたたき、すり抜けると「帰ります」と頭を下げた。
……あえて勇を無視しているのはよほど苛ついているからだろう。
正が片手を上げれば、彼女は会釈を一つし、はるに案内されながら部屋を出た。
守がち、と舌打ちすると勇が「何故彼奴と貴様が一緒にいる」と尋ねた。
守は「さて」とはぐらかし、に触れていた手を何度か握っては離すという奇怪な行動を繰り返す。
彼女と守が何をしに来たのか分からぬまま、正は長男として何とかせねばと勇を見る。……勇は、じっと窓から見えるの後ろ姿を腕を組み見ているばかりで何も言わない。
不機嫌な理由が分からないほど子供ではないはずであるというのに。男として、色々な女と付き合ってきたはずだというのに。
まるで、子供だ。
「大佐」
「なんだ」
「……のことだが、今日は縁談だったらしいぞ」
「それがどうした」
「相手の男はあいつのことを気に入ったらしい」
がたん。思い切り音を立てて立ち上がった勇に守は何かを察したのか、ほう、とだけ返す。という人間に興味を持ったのか、はたまた勇の反応に興味を持ったのか守のことは正には分からない。
だが、恐らく気に入ってはいるのだろう、ということだけは分かる。
そんな状況すら目に入らないのか勇は何かを言いたそうで、けれども結局口を噤む。改めて、不器用だ。
「相手の男は、誰なのか聞いたか?」
「いや、知らんな」
「そうか、あのじゃじゃ馬を気に入るような男が居ったか……」
その言葉の次に来る言葉を、少しばかり正は待ったがそれ以降は何も言わない。
守が茶々を入れたいのか、「俺はあのような女も嫌いではないがな」と口端を歪めて意地悪く笑った。
次の瞬間、ひゅ、と刀が彼の頬近くにつきつけられる。けれど、守はそれさえも察していたのか笑顔を崩すことがない。大佐、と思わず正が止めに入るが彼はギラギラと矢張り守を見つめるばかりで動かない。
「なんだ、貴様はに惚れているのか」
「そんな訳がなかろう!」
「では、何故俺に突っかかる」
「家に貴様のような輩が関わっていいものではなかろう!」
そんなもの、貴様には何も関係あるまい。
くつくつ、と笑った守の言葉はそのとおりであり、正が言わんとしていることをほぼ全て守が代弁している。
口こそは非常に悪いが、的確な意見を持っているあたり彼は作家であるだけのことはある。洞察力が高く、慧眼を持っているのだろう。勇は違うと怒鳴ったが、それもまた、意味を成さない。
「……ククク、では精々、他の男に取られる姿を眺めているが良い」
「御杜、貴様……!」
今にも斬りかかろうとする勇を他所に、守は特別意識するわけでもなく、さらりと避けるとさっさと部屋を出ていってしまった。
だん、と机を叩いた勇に、はあ、と正は何度目か分からぬ溜息を盛大に零した。
……車の、発車する音が聞こえてくる。
の背中は、もう見えない。
2011.12.12