01 // 木漏レ日ノ回想
木漏れ日が差し込む歩道をは散策していた。
随分と気持ちのいい五月晴れ。だがしかしはふと「何故自分はここにいるのだろう」と考え始めた。
思い返せばは宮ノ杜家に遊びに来たわけではなく、祖父のまた勝手な思いつきと気まぐれに振り回され海に来ていたはずだ。
海軍中将という立場を遺憾なく発揮し、船にを乗せて祖父はさっさと去ってしまって、取り残されたは祖父の策略にあっという間に乗せられその場で見合いをさせられたのである。
陸軍大将の子息。名前だけは聞いたことのある男で、精悍な佇まいと大きな瞳が印象的だった。
はじめまして、とその手を差し出され、手を伸ばせば西洋式の挨拶だと青年は笑い手の甲に口付けを落とした。何事かと慌てるに対して彼はどこ吹く風で、随分と柔和な雰囲気を漂わせている。
「さんのお話はお伺いしております」
「……どうせ悪いことでしょう?」
「とんでもない、聡明で利発なお嬢さんだとお伺いしていますよ」
ニコニコと笑う巽という青年に、は顔を思わずひきつらせた。誰だ、そんなことを言ったのは。
は確かにこの春、女学校で最優秀学生として認められ真紅のリボンを拝受したのだが、そんなことは祖父は別に褒めもしない。もまた、褒めてもらいたいわけではない。単純に両親に変なレッテルを貼られることを矜持が許さなかったがゆえの努力の結果だ。
両親、特に裕福な出ではなく、学が高くないかつて使用人として生きてきた母は嬉しい、誇りだと手をたたき喜んだもので、それだけでもにとっては十分だ。 おずおずと顔をあげながら、彼女は巽に尋ねた。
「巽様、あの、此度の事なのですが」
「ええ、なんでしょう」
「……」
「さんはお嫌でしょう、この縁談」
巽大将という男についてはは祖父の話と、加えて宮ノ杜勇の話しか聞いたことがないが、その息子は随分と聡明らしい。
朗らかに笑いながら「実は自分も嫌なんですよ」と付け加えて言う。思わず顔を上げれば彼はにこやかに矢張り笑うばかりで彼女の手を離し、船の手すりに身を預ける。
「父は家同士の関わりを好む人ですから」
「そう、ですか」
「この縁談、さんはご存知でしたか? 自分は今日聞かされて相当驚いたものでして」
「私もです」
巽は父にも困ったものだと呆れながらに語りかける。随分と落ち着いた空気を持っていて、は彼の話に耳を傾け、時折意見を挙手をして話してみると彼はゆっくり頷き答えてくれる。
「さんはそれでは、洋行に興味があるんですか?」
「はい。まぁ、勿論、行ければの話なのですが」
亜米利加も、仏蘭西も、英吉利も、独逸も、阿蘭陀も興味があります。彼女が上げた各国に巽は「欧州ですなあ」とニコニコ笑う。彼は微塵もの夢を笑わなかった。それだけでは胸のあたりから込み上げてくる感情を噛みしめたくなる。近くにいる人間の誰よりも巽は真摯にの言葉に耳を傾ける。見合いの話であるということを忘れ、は学校のことを話す。本当は理科や数学やそういったことを学んでみたいとも願望も加えて。
「第八高等学校のようなものが女學校にもあればいいものを、とよく思うばかりです。学ぶ内容は「良妻賢母たれ」な内容ばかり。飽きてしまいます」
「なるほど」
「……」
「おや、何か?」
巽はの言葉を否定しない。ただ耳を傾けて、ゆったりと笑う。大人な男で、紳士な男だ。いえ、と首を横にが振ると彼はにこりと笑ってと視線を合わせる。
ずっとより背が高いその佇まいは好青年のそれで、には勿体無さすぎる相手だ。彼は、笑いながら顎に手をやる。
「どなたかと、お比べになっていましたか?」
「そういう訳では……別に、そんな相手もいませんしね」
「おや、意外ですね」
彼は風に飛ばされぬように帽子を抑えながら「恋というものはわからんですからな」と付け加える。ちらりと片目では巽を見ると、巽は品の良い笑顔をに向けて、ふふ、と笑った。
「この縁談は、自分が断るので大丈夫ですよ」
「……すみません、有難うございます」
「いいえ、どういたしまして。その代わりというのは違うのかもしれませんが、一つさんにはお願いがあるんです」
良ければ、自分と友達になってください。彼はその手を差し出し、言う。友人、とが復唱すると、左様ですと柔らかい口調で繰り返した。
の周りには同性の友人が多い。
異性の友人を上げろと言われれば同年代の博、雅、身分は違えど交流のある喜助、とある一角が多い。
少しばかり進と似ているこの青年彼らのどれとも違っている。よろしいのでしょうか。が首をかしげると彼は大きくうなずいた。力強さに礼をいい、は彼から離れ歩き始めた。
ここで舞台は冒頭に戻る。
今まで出来事を思い出し、見合いの場を設けられたことに腹立たしさを感じながら、森林浴を満喫していると、とある屋敷にたどり着く。その屋敷をは知っていて、屋敷の前に止めてある車の運転手にあれ、と首を傾げた。
「様。自動車連れてください、の運転手が今頃泣いてますよ?」
「あなたこそ、大佐の相手して、しんどくならないの?」
勇のお抱え運転手はタイを緩く結び、なにやらビスケットらしきものを食べている。
彼がいるということは勇は出かけるのか、はたまた帰ってきたのか。運転手はぱくり、と最後の一口を放り込んだ後にの考えを見抜いたのか笑った。
「勇様なら、今お帰りですよ」
「……ふうん」
なんとなく。深い理由はないがは少しばかりためらった。話す理由もない。
気まずい空気を醸し出しているのを察したのだろう、勇の運転手はまるで喜助のように笑うと様、との名を呼び、その手をぐっと拳に変えて言う。女は度胸である、と。
「何がおありになったかはわかりませんが、以前うちの嫁がそう言ってましたよ」
「……そう」
女は度胸。
復唱し、彼女は礼を言うと扉をこれでもかと強く握りばん、と開いた。
その背中たるや男と変わらぬ「背中で語る」男気に思わず助言をした運転手が苦笑いを零したのは言うまでもない。
2011.12.12
随分と気持ちのいい五月晴れ。だがしかしはふと「何故自分はここにいるのだろう」と考え始めた。
思い返せばは宮ノ杜家に遊びに来たわけではなく、祖父のまた勝手な思いつきと気まぐれに振り回され海に来ていたはずだ。
海軍中将という立場を遺憾なく発揮し、船にを乗せて祖父はさっさと去ってしまって、取り残されたは祖父の策略にあっという間に乗せられその場で見合いをさせられたのである。
陸軍大将の子息。名前だけは聞いたことのある男で、精悍な佇まいと大きな瞳が印象的だった。
はじめまして、とその手を差し出され、手を伸ばせば西洋式の挨拶だと青年は笑い手の甲に口付けを落とした。何事かと慌てるに対して彼はどこ吹く風で、随分と柔和な雰囲気を漂わせている。
「さんのお話はお伺いしております」
「……どうせ悪いことでしょう?」
「とんでもない、聡明で利発なお嬢さんだとお伺いしていますよ」
ニコニコと笑う巽という青年に、は顔を思わずひきつらせた。誰だ、そんなことを言ったのは。
は確かにこの春、女学校で最優秀学生として認められ真紅のリボンを拝受したのだが、そんなことは祖父は別に褒めもしない。もまた、褒めてもらいたいわけではない。単純に両親に変なレッテルを貼られることを矜持が許さなかったがゆえの努力の結果だ。
両親、特に裕福な出ではなく、学が高くないかつて使用人として生きてきた母は嬉しい、誇りだと手をたたき喜んだもので、それだけでもにとっては十分だ。 おずおずと顔をあげながら、彼女は巽に尋ねた。
「巽様、あの、此度の事なのですが」
「ええ、なんでしょう」
「……」
「さんはお嫌でしょう、この縁談」
巽大将という男についてはは祖父の話と、加えて宮ノ杜勇の話しか聞いたことがないが、その息子は随分と聡明らしい。
朗らかに笑いながら「実は自分も嫌なんですよ」と付け加えて言う。思わず顔を上げれば彼はにこやかに矢張り笑うばかりで彼女の手を離し、船の手すりに身を預ける。
「父は家同士の関わりを好む人ですから」
「そう、ですか」
「この縁談、さんはご存知でしたか? 自分は今日聞かされて相当驚いたものでして」
「私もです」
巽は父にも困ったものだと呆れながらに語りかける。随分と落ち着いた空気を持っていて、は彼の話に耳を傾け、時折意見を挙手をして話してみると彼はゆっくり頷き答えてくれる。
「さんはそれでは、洋行に興味があるんですか?」
「はい。まぁ、勿論、行ければの話なのですが」
亜米利加も、仏蘭西も、英吉利も、独逸も、阿蘭陀も興味があります。彼女が上げた各国に巽は「欧州ですなあ」とニコニコ笑う。彼は微塵もの夢を笑わなかった。それだけでは胸のあたりから込み上げてくる感情を噛みしめたくなる。近くにいる人間の誰よりも巽は真摯にの言葉に耳を傾ける。見合いの話であるということを忘れ、は学校のことを話す。本当は理科や数学やそういったことを学んでみたいとも願望も加えて。
「第八高等学校のようなものが女學校にもあればいいものを、とよく思うばかりです。学ぶ内容は「良妻賢母たれ」な内容ばかり。飽きてしまいます」
「なるほど」
「……」
「おや、何か?」
巽はの言葉を否定しない。ただ耳を傾けて、ゆったりと笑う。大人な男で、紳士な男だ。いえ、と首を横にが振ると彼はにこりと笑ってと視線を合わせる。
ずっとより背が高いその佇まいは好青年のそれで、には勿体無さすぎる相手だ。彼は、笑いながら顎に手をやる。
「どなたかと、お比べになっていましたか?」
「そういう訳では……別に、そんな相手もいませんしね」
「おや、意外ですね」
彼は風に飛ばされぬように帽子を抑えながら「恋というものはわからんですからな」と付け加える。ちらりと片目では巽を見ると、巽は品の良い笑顔をに向けて、ふふ、と笑った。
「この縁談は、自分が断るので大丈夫ですよ」
「……すみません、有難うございます」
「いいえ、どういたしまして。その代わりというのは違うのかもしれませんが、一つさんにはお願いがあるんです」
良ければ、自分と友達になってください。彼はその手を差し出し、言う。友人、とが復唱すると、左様ですと柔らかい口調で繰り返した。
の周りには同性の友人が多い。
異性の友人を上げろと言われれば同年代の博、雅、身分は違えど交流のある喜助、とある一角が多い。
少しばかり進と似ているこの青年彼らのどれとも違っている。よろしいのでしょうか。が首をかしげると彼は大きくうなずいた。力強さに礼をいい、は彼から離れ歩き始めた。
ここで舞台は冒頭に戻る。
今まで出来事を思い出し、見合いの場を設けられたことに腹立たしさを感じながら、森林浴を満喫していると、とある屋敷にたどり着く。その屋敷をは知っていて、屋敷の前に止めてある車の運転手にあれ、と首を傾げた。
「様。自動車連れてください、の運転手が今頃泣いてますよ?」
「あなたこそ、大佐の相手して、しんどくならないの?」
勇のお抱え運転手はタイを緩く結び、なにやらビスケットらしきものを食べている。
彼がいるということは勇は出かけるのか、はたまた帰ってきたのか。運転手はぱくり、と最後の一口を放り込んだ後にの考えを見抜いたのか笑った。
「勇様なら、今お帰りですよ」
「……ふうん」
なんとなく。深い理由はないがは少しばかりためらった。話す理由もない。
気まずい空気を醸し出しているのを察したのだろう、勇の運転手はまるで喜助のように笑うと様、との名を呼び、その手をぐっと拳に変えて言う。女は度胸である、と。
「何がおありになったかはわかりませんが、以前うちの嫁がそう言ってましたよ」
「……そう」
女は度胸。
復唱し、彼女は礼を言うと扉をこれでもかと強く握りばん、と開いた。
その背中たるや男と変わらぬ「背中で語る」男気に思わず助言をした運転手が苦笑いを零したのは言うまでもない。
2011.12.12