珍しいこともあるものだ。
空がいつもよりも青く見えたり、屋上で昼寝を満喫したりはいつもの事だったが、先客がいた事だけは予想外の出来事で、「珍しい」と音也はその時思った。
風に飛ばされないようにト音記号の形をしたペーパーウェイトが楽譜を支えて、音也のお気に入りの場所でごろり、と横になっている。
ゆっくりと忍び足で近づけば、の目は固く閉ざされており両耳を塞いでいるヘッドホンは完全密閉型なのか音一つさえしない。しかしヘッドホンからつながっているプレーヤーが回っているのが見えるのでおそらくは何かを聞いているのだろう。

「凄い寝相なんだけど」

ごろり、と横になった彼女の横に転がっている楽譜とボールペンにはミミズ文字か、楔形文字か、何が書いてあるのかさっぱり分からない走り書きがされている。課題曲の永遠のトライスターのダンスは無事にクリアし、各パートナーが仕上げてきたそれぞれのアレンジを歌いこなすという課題を目下行なっている矢先であるため、その楽譜はおそらくは音也のための曲だろう。
おたまじゃくしを追いかけながら、元曲を思い出す。明るいテンポの早い曲だ。ダンスのレッスンでもイントロの部分の入りで何度か躓いた記憶がある。
胡坐をかき、彼女の描いた楽譜を目で追うとだいぶ元曲とアレンジを変えてきている印象を音也は受けた。
持ってきていたアコースティックギターを構えコードを押さえサビフレーズだけ弾いてみると矢張り音也が授業の最初に聞いた課題曲とだいぶ異なる印象が残る。

「これがエレキでのコードで、ええと、主旋律が……うわこれブレスどのタイミングで入れるのさ」

じろりとを睨みつけても彼女は相変わらず夢の中だ。取り敢えずサビの部分だけでも、と今度はメロディを追いかけて歌ってみる。ギターのコードを気にせずに済むので音也としては、よほど集中が出来たような気がする。
ぐい、と彼女のヘッドホンのコードを下に引っ張ると音楽機器はの横にぽつんと転がっていた。何を聞いているのだろうという単純な興味から、手にとって液晶に目を落とした。歌手名もアルバム名もない、「音也」というタイトルだけが書かれた画面。曲の半分は既に過ぎて目を閉ざしていた彼女の指先がわずかにぴくり、と震える。

「音也」
「んー」

目を開くこともないまま、はヘッドホンを外した。そこから漏れる音楽に音也は耳をすまそうとするがは「勝手に楽譜見ないで」と音也が今まで行なっていたことを、まるで見ていたかのように呆れた声で言う。
驚愕した音也はを見ていたが、のヘッドホンから流れてくる「音也」という曲に気づき、顔色をさあ、と一瞬で変えて次いで奇声をあげてしまう。その声はもう「奇声」としかいいようのない声だった。雄叫びとも、悲鳴ともつかぬ声には顔をしかめて「音也」と彼を睨むのだがそれどころではない。

「な、なんでがこの曲聞いてるのさ!」
「試験の時の曲は公表されてるから、落とした」
「やめてよ恥ずかしい!」

流れてくるのは二ヶ月前の音也の歌。この学園を受験する際に歌った自由曲だ。
好きに歌っていいと言われたから一生懸命に歌って、楽しんで歌ったことをよく覚えている。季節は冬だというのに何故か真夏のラブ・ソングを選んだことを少し後悔したことも。
音也は慌てて音楽機器を奪い取ろうとすればするり、とは逆によけて眉間にくっきりと不機嫌の証を残す。

「あああ恥ずかしいもう本当勘弁して」
「……じゃあ、今、歌って」

ここで。
唐突すぎる要求に、を凝視するものの、直ぐに音也は頷いた。とのコミュニケーションの時、大体は結局言葉で伝わり切らないのだ。それなら歌しかない。
今の文脈から察するに当時との違いを見せて欲しいと彼女は考えて、そして要求している。
音也は立ち上がると姿勢をただし、くるりとに振り返り手を上げた。

「一番、一十木音也。アイドルコースです、パートナーののために歌います!」

オーディションの時は振り付けも込みだったが、そんなことをはきっと望んでいない。ただ、歌いたいように歌ってみろと彼女は言うのだろう。瞬時に察した音也はア・カペラで同じ曲を歌いだす。鼻歌でも、オーディションのがむしゃらさでもない。
どうすれば彼女に伝えられるかを考えて、気持ちを乗せて歌う。歌い終わった時、は小さな拍手をくれた。ぱちぱちぱち、と無音の屋上に響く。

「音也、凄い」
「え」
「私の欲しいもの、言わないでも意識して歌ってくれた。凄いし、嬉しい」

ありがとう。はにこりと笑った。
思いがけない笑顔だが、喜んでもらえたのと自分の考えは間違いではなかったのだという確信から音也は「うん」と頷き返しにっこりと笑う。

「それで、ここのフレーズなんだけど」
「そうそう、息継ぎどうすんのこれ」

四拍子のリズムをは指でとりながら、楽譜通りに音也に音を教える。その音を聞いた音也は直ぐに歌ってみる。
はじっとその歌を聞くと同じサビ部分の下を合わせて歌う。二重音になり独特なハーモニーに変わり、音也は楽しさからぱん、と手を叩いた。
サビから、元の曲へ。
何も言わなくても、自然と体が覚えて言葉になって風に乗って歌が広がる。
「大好きだよ」と歌で伝えれば、は驚いたが直ぐに「知ってるよ」と音楽で返す。それをずっと、繰り返した。

そんな応酬をして、恋愛禁止という校則を頭の中にちらついたことへの嫌悪感を露骨に音也が顔に出すと、は歌をやめた。
くしゃくしゃになった音也の顔のように、音也の髪の毛をくしゃくしゃになるまで撫でると「先に戻るね」と言い残して楽譜を拾い去っていってしまう。


「……あー」

言わなくても、伝わるのも、それはそれで大変なのかもしれない。
しゃがみ込んだ音也の顔は彼の髪のようにほんのりと赤らんでいた。


この度は拍手有難う御座いました。

[2011年 10月 30日]