ヴァイオリンの音がよく聞こえる。星奏学院はいつも音で溢れている。
そのレベルは高く、特に新入生で入った衛藤桐也はアメリカ留学からメキメキと伸び、月森蓮とはまた違う解釈と奏で方で学内外を問わず評価されている。当人はそんなことを言われても「努力しているのだから当たり前じゃないか」と返すばかりで全く謙遜をしない。
 彼はその性格ゆえ、敵も同時に作りやすい。
 本来人懐っこく、誰とでも接することが出来る反面努力をすることが当然だと思っているため人に自分と同じレベルを求めてしまう。星奏学院に入ってくる学生たちは鳴り物入りが多い。そんな思春期の彼らの天狗になった鼻をベキベキに折ってしまう。
 お陰で「月森第二号」だとか、「衛藤桐也と月森蓮は顔と技術はいいが付き合わないほうがいい」とまで揶揄される程になってしまった。

「衛藤」

 ドア付近に居るクラスメイトが顔を出して彼の名前を呼ぶ。
 桐也は授業休みに友人と趣味であるマリンスポーツについて談笑を交わしていたところだったが、このクラスに「衛藤」は一人しかいない。会話をやめて振り返ると、同じくドア付近にいる何人かの女子が彼をちらりと見た。


「何?」
「彼女来てる」

 彼女というワードに一瞬だけクラスがざわついた。
 衛藤桐也という人間に「彼女」がいることがそんなに違和感なのだろうか。高校生にもなれば彼女ぐらいいても別に何でもないことだというのに。
 彼女と言われて誤解されるであろう人間を何人か思い浮かべながら教室の入口へと足を伸ばせば、随分と見覚えのある人間がそこに立っていた。

「ちわー、彼女でーす」
「なに馬鹿言ってんの」

 そこにいたのは、入学前から何かと関わりのある三年生であるで、明らかに悪乗りしている。にこにこと笑いながら移動なのだろう、ソルフェージュの教典を持って隣に女子を連れている。
 隣に居た女子は興味深そうにと桐也を伺っていたが「先いってるよ」と言い残しさっさと去っていく。露骨に気を使われたが、桐也は特別意識せずドアに手をかけると「何」と随分とそっけなく尋ねた。


「会いたくなったから来たんだけど……だめだった?」
「はいはい、冗談はいいから」

 クラスの何人もが彼らを注目しているというのに、ときたらそれを分かって悪乗りをしているので桐也としては頭が痛い。その証拠に隣にいた先程桐也に声を掛けた男子生徒は「リア充め」とぼそりとつぶやいている始末だ。
 は桐也にあしらわれたことに対して特別何かをするわけではなくあっさりと「そうそう、用事なんだけど」と切り替え、彼に両手を広げるように指示した。言われるがまま手を広げると、ぽん、と手の上に何やら軽く乗せられる。

「……何、これ」
「ジェリー・ビーンズ」
「見れば分かるけど、そうじゃなくて」
「あ、後おまけにこの前頼まれた楽譜」

 明らかに順番が逆じゃないか。突っ込みたい気持ちをあえて抑えて「ほんとアンタってさあ」と頭を桐也は抱えたがは楽譜を渡し、桐也のその何とも言えぬ表情を見たかったのか満足そうに笑った。
 廊下とドアの間で話しているせいか、行き交う生徒たちがのことを気にして、そして去っていく。一年生の教室のところに三年生がいればそれは確かに悪目立ちするだろう。そして何より話しているのが衛藤桐也ならなおさらだ。オーケストラ部でもなければ、人懐っこく友人が音楽科に多いかといわれたら否だ。どちらかといえば彼は音楽科よりも普通科の友人のほうが多い。

「ジェリー・ビーンズ、嫌いだっけ」
「いや、好きだけど」
「じゃあいいじゃん」

 先輩からの差し入れはありがたく受け取ると相場は大体決まっているんだよ、と諭すように笑いジェリービーンズの袋にポケットの中に入っていた飴玉を一つ、更に乗せた。渋々ジェリービーンズと飴玉を受け取り、桐也は楽譜のタイトルを確認するとの頭をわしわしと撫でる。

「サンキュ、助かったよ」
「いいよ。じゃあ私移動だから。ちゃんと勉強しなよ、学生」
「うるさいよ、そっちこそちゃんと勉強しろよ、受験生」

 分かってますよー、そう言い残しはパタパタと走りさってしまった。
 まるで嵐のように去っていったの背中を見送り、溜息を一つつくと、彼女を案内した学生は桐也を観察した後に「今の、彼女?」と聞いた。
 そんな甘酸っぱい関係に見えるのだろうか、内心桐也は笑ったが手元にあるジェリー・ビーンズや飴玉や、やり取りを見ればそう見えるのかもしれない。
 黒板の前で女子と男子が談笑を交わしている。クラスでも有名な恋人である彼らを横目に考えてみる。彼氏彼女か、と聞かれればノーだ。甘い関係になった覚えはない。

「衛藤?」
「ん、あ、ごめん。彼女じゃないけど……友達でもないっていうか」
「なんだそれ」

 男子生徒は笑い、あまり気に求めていないのか自分の席に座り後ろに座っていた彼の友人と先日のテレビの話を始めている。
 取り残された桐也はもう一度手に握られたジェリービーンズを見る。あまり日本では食べないと言われるジェリー・ビーンズだが、渡米している際にはよく食べた物だ。
 飴玉は苺の、至って普通の飴玉で、改めて彼女のポケットの中にはお菓子が詰まっているのだということを確認し思わず吹き出してしまった。
 とのことを「彼女」と聞かれるのは慣れない。そして友達でも恋人でもない曖昧な先輩後輩以上の関係に上手く説明できず、ううん、と小さく唸ることしか桐也にはできない。

「桐也、彼女との話終わったかー?」
「だから、彼女じゃないって」
「ちげーの?じゃ、お前の彼女はアメリカにいるのか?」

 友人がつつくように言ったので馬鹿、とだけ返す。恋愛面についてはアメリカに居た際三角関係に巻き込まれたことがあるぐらいで、それ以上でも以下でもない。
 日本に帰国して恋愛面はと聞かれればそれどころではない怒涛の日々だ。学外コンクールに出ることもさることながら、授業とヴァイオリンの練習に行くことと、まだ不慣れな面も多い。
 コンクールといえば、に頼んだ楽譜もその一つで、廃版になった幻の楽譜を偶々が持っているということなので貸して貰う約束を三日前にしたところだ。
 中身を確認するためにパラパラとめくってみると中に一枚メモが入っていることに気づく。
 手にとって見ればオレンジ色のラインが書かれたシンプルなメモに、全くをもって似ていない、有名な緑色の恐竜がヴァイオリンを持った姿で描かれていた。恐らくが描いたのだろう。タレ目と出っ歯ぐらいしか公式のイラストと合っていない。

「弾くときは聴かせるように!」とセリフを吹き出しに書いてある恐竜に愛くるしさはない。寧ろ何だか腹のたつ顔をしている。指の数もあっていないし、何よりヴァイオリンの構造を理解している人間とは思えないくらいにヴァイオリンが下手だ。
 しかし段々見ていると何となく愛嬌があるような気がしてくるものだから、不思議だ。

「へったくそ」

 飴玉の袋を裏返してみれば真っ黒のマジックで顔文字とセットで「おつかれ!」と書かれているものだから、変なところで気を使うが可笑しくて、桐也は笑う。
 努力をするのは当たり前だ。上手くなりたいから、選んだのは自分だから、負けたら悔しいから。誰よりも上に行きたいから。結果なんてものは努力でついてくる。パーフェクトにつながる。そのスタンスを桐也は変えるつもりはない。それが衛藤桐也である。自分が自分自身を信じるのは当然のことだからだ。
 日野香穂子の音楽は桐也の知っているものとは違うものだったが、彼女の音は人を惹きつける。上手くはない。けれど、魅せる。何より本人が「もっといろいろな音を弾いてみたいから、上手くなりたい」という闘争心とは少し違う考え方だからかもしれない。音楽が好きだから音楽が楽しいから、だから彼女はヴァイオリンを奏でる。
 彼女の影響は少なからずあり、桐也がほんの少しだけ柔らかくなった原因は彼女にあるのだろう。
 は日野香穂子とは違う影響を少なからず桐也に与えていた。だから、友達とも言いがたい。ただ、彼女の音楽観は刺激を与えてくれる。
 それは“恋愛”なのかと聞かれると、少し難しい。けれど言い切れることは桐也がという人間が好きであるということだ。それが恋であれ友愛であれ、変わらない事実。

 恐竜の絵つきのメモ用紙をクリアファイルの中に移動させると興味を持った男子生徒が指をさし、聞いてくるので「ラブレターだけど」と笑顔を作って答えてやった。そんなことをいう性格ではないのだが、何となく。そう、何となくだ。


 が態々教室なんかに来るから。が態々ジェリー・ビーンズを買ってくるから。が態々ご丁寧に下手くそなイラストまでつけて背中を押すから。
 少しだけ、自慢をしてやりたかった。彼女ではないけれど、友達でもないけれど、特別な関係である、と。
 教室にいた生徒たちのざわめきの中で、桐也は薄く笑った。ソルフェージュの授業内容を後で帰りにでも聞いておこう。そんなことを考えながら再びマリンスポーツの魅力について友人たちとの談笑をしに、桐也は立ち上がった。


この度は拍手有難う御座いました。

[2011年 10月 30日]