「ちーさんはさぁ、人がいいよね、むっかしから」
「……それは褒め言葉なのか?」
「さぁ、どうだろう。率直な意見だよ」
どうととるかはご自由に。えへら、とは笑った。彼女の片手にはゲームボーイが握られていて、聞く限りのBGMはどう考えても任天堂の生んだ世界的なゲーム、まぁ要するにポケモンだ。勉強もしないでゲームばっかり、と彼女の母が憂いていたのを千裕は思い出す。
だが最後は結局相手の“やる気”によるものなので、千裕が追及することはなかった。
「人がいいなんていわれたのは初めてだ」
「そーかなあー、絶対お人よしの部類だよ。もしくは物好き?」
「……矢張り褒められている気がしないぞ」
「だーから褒めても貶してもないってば」
気にしすぎだよ。カチャカチャとゲームのボタンを押しながら、は言った。小田千裕は本日何度目か分からぬ溜息をついてやっていられないとコーヒーを啜る。珍しくジュニアユースの練習が休みだったのと、学用品を購入に文房具屋にいったら珍しい人間にあった、それだけだった。しかし今こうして二人でお茶をしている姿は何ともいえぬ滑稽なものだ。
そもそも彼のことを「ちーさん」と呼ぶ人間は小学校のころの、それも一年生の頃の同級生しかその名前の由来をしらないだろう。単純に同じクラスに“ちひろ”が二人いただけだが、今でもその呼び方をするのはぐらいなものだ。他の友人たちは「小田っち」だとか「小田やん」とか割と苗字呼びのほうが多い。それは彼の名前が女性でも通る名前でもあることが関係しているのだろう。
女性の名前を呼ぶようで少し気恥ずかしいという何とも思春期真っ只中の子の発想。そして小田千裕にとってこの「千裕」という名前はコンプレックスに近いものがあった。同じチームの山口圭介なんてどこの角度で見ても「女の名前」には見えないし、同じ静岡のチームの下部組織の横山平馬も多分女と間違える名前ではない。
「ねー、ちーさーん。レッドさんってどこ居るの?」
「シロガネ山の頂上だろ、そんなの」
「えーシロガネ山ってうずしお使えないと入れないところ? やだなぁ、うずしお使えないんだもん」
文句をたれながら、はセーブをすると電源を切った。彼女の手元にあるオレンジジュースは既に汗をかいており、時折氷がとけてぶつかり合う「カラン」という音が小さく鳴る。
「で、なんだっけ、話。……あ、そうだ、ちーさんの名前の話だっけ。「千裕君」の何が悪いのか私にはさっぱりだけどなぁ」
「それはお前が女で俺が男だからじゃないのか?」
「んー……でもちーさんがちーさん以外の名前になったら私ちーさんのこともうちーさんって呼べないじゃない」
それはとってもきっと困るかも。
ストローをぐるぐる回して、は言う。既に氷は溶けてオレンジジュースは元の部分と水で薄まった部分で鮮やかなグラデーションを作り上げていた。
「ということでさ、いいんじゃない? 【小田千裕】のままで。ちーさんは人がいいちーさんのままで居ればいいと思うよ。そのほうがちーさんらしい」
世話好きで、学校休んだ人の日直何度も代わってくれる奴なんて早々居ないよ。うんうん、と何に納得したのかは千裕にはまるで分からないが、納得した素振りでは頷く。親には日ごろ金のかかるジュニアユースへの資金だとか色々をしてもらっているので感謝しても仕切れないのだが、どうも好きになれない「千裕」という名前。
……彼女の言葉で、幾許か、千裕という名前も悪くはないと彼は思う。
幼馴染という一種近すぎる距離ではあるが自分の名前を良いといってくれる人間がいるだけでも――自分の中にあるものを認められたという感覚になるのだという。その感情は正にその通りだ。
「……」
「何、ちーさん。コーヒーなんてよく飲めるねー、私カフェオレじゃなきゃ絶対飲めない」
「……有難うな」
「ななな何、何、ちょっと唐突に何?!」
驚いたように目を丸めたに、千裕は薄く笑うだけでそれ以上は何も言わなかった。
2009.10.26
back