アンリ・マユは己の名前を公にはしたくないらしい。その名前の由来が「この世全ての悪」だからだと彼は言う。
そもそもな話、サーヴァントと呼ばれる英霊は本来の所謂真名を聖杯戦争時は打ち明けるというのは主以外に対してはないらしい。
らしい、だとか、多分、であるとか、随分と曖昧な言い回しである。
そもそもどうにもイメージがつかず、からすれば現実離れしすぎた話だ。彼女の存在そのものだって十分過ぎるほどに非現実的なものであるのによく言ったものである。
アヴェンジャーはに端的に、かつ分かりやすく噛み砕いて説明していくのだが、魔術師であるとか、サーヴァントであるとか、英霊であるとか。
そういったものに関しては覚えていくのにも関わらず、システムに関しては未だにわかっていないらしい。分かっているようで、分かっていない。彼女の現状を称すにはこれ程分かりやすいものもない。
まるで自分自身の器のようだ。縁取っている男……要するに自分自身に向けてお前らそっくりだわ、と呟いた。
他人のために自分を捨てる。理解できない感情だ。その器を使っている自分もまた、彼が器であるからこそ仕方がないのだろう。
が持ってきた土産のチョコレートをひとつ摘むと口に放り込む。カカオが70%強入っているというチョコレートはゆっくりと口の中で溶けていくので、アヴェンジャーの心を同じように溶かしていく。は持っていたアヴェンジャーの狙っていたチョコレートをひとつつまみ、同じように口に含んでいく。
一粒300円程するというバカ高いチョコレートに漏れなく自分の器や遠坂凛あたりが見たら卒倒でもしそうだが、生憎とここにはアヴェンジャーとしかいない。机の上においてあるチョコレートはさくさくと2人の胃袋に収められていくばかりだ。惜しげも無く食べていく彼女の食いっぷりに「暴食してっと太るゼェ」と笑えば、箱をごっそり奪われかける。
そんなやり取りを何度か交わした後、小さくアヴェンジャーはため息を付いた。
「アンタの場合、ここで死んだら実態がねぇわけだから、どーなんだ?」
「さあ」
口に放り込んでいくチョコレートは彼らの其々の口の中にどろりと解け出していく。
ハート型のチョコレートの包を剥がしながらはアヴェンジャーに問われた質問に対して非常に端的に回答を述べた。
アヴェンジャーの質問は少々難しい。哲学的であったり、少々難易度の高い質疑応答で恐らくその答えは正解がないのだろう。は何度も何度も首を傾げずには居られないのだ。どちらであっても、自分が何者であるかを彼は初見で把握し、「
今こうして緑茶にチョコレートを食べている状況でも、彼の態度はまるで変わらない。
緑茶をすすりながら、は暫く考えた後、ハート型の包を片手でぐしゃりと丸めた。
「この世全てには何かしら理由があって全員生まれてくる。ついで死ぬときもやっぱ理由がある。でも、オマエは逆だ。肉付けする骨がない。だから、薄くて存在自体があやふやなんだろ」
言い回しは独特ではあるが、なるほどアヴェンジャーのいうこともまた一理ある。シャドウとして、ペルソナとしての存在を確立されたが存在消滅をしたところで、どうなるかなんてものは分からないままだ。
彼女が今「ここにいる」という事実と、「ここにある」理由はまた異なるし、乖離しているのだろう。机に顎を乗せたの頬を親指でぐにぐにと押せば彼女の手がぶん、と振り回される。機械的なその動きにアヴェンジャーがケタケタと笑い声を上げるとはのっそりと顔を上げた。
「アンリはどう思うの?」
「アンタは適当でいいと思うけどな、だって器がねぇ分あやふやな割に存在だけはしてるわけだし」
「……うーん」
アンリ・マユとはこの世すべての悪だという。だが、が知っている悪のどれとも彼は違っているように思えた。潜在しているものが衛宮士郎だからだろうか。彼は頗るお人好しの、口の悪い下っ端小間使いにも思えてくる。……それを言ったら小間使いじゃねえし、とやはり彼は笑うので、良くわからない。
暫くそんな会話をしていた後、下の段に入っていたクッキーをアヴェンジャーはの口に突っ込んだ。
「うはっ、アホ面。おうおう、シャドウさんよう、随分と御大層な状態じゃネーノ?」
いやあ可愛い可愛い。まるでハムスターだ。そう笑って言うアヴェンジャーに右拳を彼女は送りつけたが、さらりと交わされてしまう。
彼は彼女のことを女扱いはしない。いや、それよりも人扱いすらしていないだろう。人扱いをすれば「殺したくなる」らしいのだから、仕方ないのかもしれないが、少々不満だ。は手を戻した後に、アヴェンジャーの名前をあえて「アンリ・マユ」と呼んでやることにした。
「アンリのくせに」
「おいおい、最弱英霊に向かってなんつーこと言うんだテメーコノヤロー、オマエなんて俺の一部なんだぞー」
「一部じゃないしー」
「やー一部だろ、どう見ても」
この世すべての悪ということはつまり、この世すべてのマイナスの部分を請け負っているということだ。実際のところはにはさっぱりわからないし、言っては悪いが器が衛宮士郎の時点で全くを持ってそうには思えない。寧ろマイナス部分を相殺しあって現在のアヴェンジャーがあるのではないだろうかとさえ思える。
「緑茶にこのチョコレートところで結構合うな」
「ちょっと、セイバーたちの分は?」
「器がなんかするだろ」
最低だ、この「この世すべての悪」って男。が呆れたようにつぶやけば、彼はニタニタとシニカルに笑った後に「そりゃあ、この世すべての悪ですから」と妙に胸を張って言った。
……誰も微塵も褒めていない上に、自虐ネタとも言えないその会話に漏れなくが噴きだすと変なツボに入ったのか衛宮士郎(器)が戻ってくるまでケタケタと何とも言えぬ馬鹿笑いを揃って繰り返していた。
「……士郎、この箱はもしや駅前の!」
「はっ、本当だ、これはこの前セイバーが食べたがっていた5200円のチョコレートギフトセット!」
「よーし、そろそろ行くかぁ、!」
金髪碧眼の少女が怒りに狂い、褐色の肌の主と同じ外見をした少年に
……庭で騒ぎ立てている2人を他所に、のっそりと、静かに、彼ら2人は談笑を始めることにした。の「死んだらどこにいくのか」という疑問は晴れないままではあるが……空はどこまでも澄んでいるので、あまり気にしないことにしよう。衛宮士郎に当り障りのない世間話をしていれば、学校はそういえばどうするのか……という話になり、もれなくは顔をひきつらせた。
「……やっぱ転校かなあ」
「でもどうやって説明するんだよ、親戚も居ないのに」
「うーん……衛宮君の養子です!っていうのは?」
「なんでさ!」
じーさんがやってたからって俺が出来るわけ無いだろ!
……など、実に的確すぎるツッコミが屋敷に木霊する横で、剣がぶつかる音が妙に響きわたっていた。