「魚なんかつって何が楽しいんデスカネー」
「毎日牛丼よりはいいんじゃないのー」
まるでギャルの会話である。隣に居た“アヴェンジャー”に対して至って簡潔には会話を返す。
誰でもあって誰でもない。精々名乗るとしたら「アンリマユ」だというその誰かはに会う度に何やら少しばかり楽しそうに手をたたき、性格の悪い笑い声をあげる。
釣りはいつもと変わらない。
いつも大体この場所は青い髪をした男が占拠しているのだが、たまに彼女が釣りをする時は何故か男がやってくる。
アンリという存在をバゼットに聞けば「この世のすべての悪」なのだという。座って足をぶらぶらさせているこの少年のどこがアンリマユなのか分からないが、世の中というものはいつもよくわからないもので、結局は余り気にしない。
彼も気にしないのか、大体何故かこの場所でいつも、アンリと出会う。
衛宮士郎のようで、彼とは違う髪質。肌色。そして大量の模様。……彼は、形は衛宮士郎ではあるがどうやら中身は“違う”ものであることは確からしい。
ひょい、と釣竿を引っ張りあげては何度か首を鳴らした。
「ヌシ様、ここにはやっぱり居ないのかー」
「……つーか」
オマエ、俺と“似てる”じゃん。
そう言われて、妙には納得した。ああ、と良くわからない声を上げると、じんわりと自分の胸に染みる。目の前にいたアンリマユはケタケタと笑い、お互い面白いことになってるな、と言い放った。
この世全ての悪として創りだされた青年Aと、一人の心の中から生み出されたシャドウAという存在。
けれどアンリマユは彼曰くの化物であり、は化物になった覚えは――……そこまで考えて彼女は顔をひきつらせた。
他ならぬ自分自身が、そうさせたのを思い出す。
じわり、とまるでジェルが広がっていくようにねっとりと、彼女の体を伝っていく緊迫感。
「我は影――真なる、我」
人の内側に眠るその性質をあの空間が作り上げて、自身の中にある無自覚に切り捨てていった自分。
それが今ここにいるだ。
アンリマユは盛大に笑って彼女の背中を叩いたが、余り良い感情とは言い難いそれ。
最終的に自分自身が自分を認めたので暴走も収まった上に彼女自身の中に戻り、そして溶け込みあったからこその“ペルソナ”になれたのだが――……。この世界では、主体になる自分がいないせいか、結果として彼女自身が主体になるしか無い。
「まぁ、いいんじゃねーの、人間っつーのはドロドロしててナンボな」
「……そういう自分を隠すのが“理性”なんじゃないの」
「理性?リセイ!違うね、それは人に見られたくないっていう別の気持ちがそうさせてんだよ!」
アンリマユは「この世全ての悪」である。
結果的に、部類としては悪魔が人の気持ちをそそのかすというのであれば、内なるの一面はアンリマユと近い存在なのだろう。
彼女は釣竿を何度か引き上げ、溜息を零した。そうだとしたら、それはちょっと嫌だな、なんて気持ちもあった。
「で、どうするんだよ」
「んー……そっちこそどうするの、カレンとバゼットに取り合われて。……っていうかなんで君ここにいるの」
色々あったという話は耳にしている。
彼はバゼットとともに四日間を繰り返していたことも。
結局彼は終焉のために走りだし、バゼットは五日目……すなわち続きを見始めたということも。
俄には信じがたい話ではあるが、実際問題自身がこの世界に居ること自体が俄に信じがたい話なので、彼女はその話を鵜呑みにすることにした。考えるな、感じろ、というやつなのだろう。
「左腕に憑いてるから、出てきちまうんじゃねえの。そもそもここは五日目だけど、現界しちゃったし」
「?ふーん。まぁ、私はアンリが嫌いじゃないし、いいんだけどさ」
「ハ?何?オ前誘ってんの?」
「まさか!」
彼女の瞳が鈍く、金色に輝く。淀みきった彼女の瞳の色は何処か悪、闇、内面的な部分のものと似ている。
負の感情に触れる度に彼女の瞳は“影”として存在していた時の自分と同じ色に変わっていく。
聖杯戦争は夜行われる。……故に、夜は影が濃くなる時間だ。の感情のぶれが、より変化を激しくさせているのだろう。
その色の変化を楽しむように、アンリはニタリ、と意地の悪い表情で笑う。
「俺は“人間”として認識しちまうと、殺したくなるからなぁ、おめでとさん、アンタも人間扱いしないでいてやるよ」
「元々人間じゃないし?」
「イーエッス!ブラボー大正解」
それはそれでなんか腹が立つなあ。
が小さく笑うと、釣られてアンリもまたケタケタと笑った。
……彼らはここにいるべきモノではないということは、互いに共通している。
しかし何の因果か彼らは並んでここにいる。不可思議なものだ。
「いつか、元の“”の中に帰って、お前という個は消える」
「まあ、そうだね」
たまたま「ペルソナ」になっただけだ。
彼女自身、もう一人のが受け入れたからこそ宿主を守るために姿を変えてペルソナとなった。
故に、彼女の抱いた感情、揺れ動き、絆はすべて彼女を映し出す鏡である「ペルソナ」たるにも注ぎ込まれる。
けれど、元のという宿主を守るためのペルソナは、きっともう要らない。
あの世界の霧は晴れた。
……残りするべきことといえば影はただ、宿主の中で静かに眠るだけだ。
曖昧な笑い方をすると、アンリマユはケタケタと笑い返してくる。
「また突然変異で残るかもナァ、俺みたいに!」
「そうしたらドッペルゲンガー?」
「元を食い殺すかどっちか。ワーオ、デンジャラース」
アンリマユはどこか楽しんでいるようだった。
は今の自分と、ここには居ない「本来の自分」が対峙している姿を思い描き――……頭を横に振る。
嘗ての対峙の時とは違うことになるだろう。それはどこか――少し、嫌だった。
もう一度、釣竿を垂らす。
……ここには、きっと彼女の求めている巨大魚はいないのだろう。そもそもあの魚はきっと自分では釣り上げることが出来ない。そんな気がした。
あちらの世界に生きてる光の中の自分を通して見ていた世界。
その世界とは明らかに全てが違っているけれど、中々に悪くはない。
この世すべての悪の中で、アンリ・マユは自分の行くべき道を考えているようだった。
アンリ・マユとの間ほのかな絆のような、縁のようなものをは感じ取る。
「あのさ、アンリ」
「んーやっぱヤっとく?」
「この世全ての悪の割りに、誘い方がナンパレベルが低すぎなんじゃないのー?」
ケタケタと彼女が笑うと、アンリはお前は煽り耐性のレベルが低いなぁなんて言い返した。
その時、確かには目の前で輝くカードを見た。
どこからか、厳格な声が聞こえてくる。
「我は汝……汝は我……」
妙に聞き慣れたフレーズだ。思わず彼女が顔を上げるとアンリと目があう。彼は目を細めて相変わらずケタケタと笑っていた。
……意地の悪い笑顔ではない。
子供のような幼い笑い方で、身なりが衛宮士郎の形をとっているせいか、どこか彼の面影を感じさせる。
「汝、新たなる絆を見出したり……絆は即ち、まことを知る一歩なり」
声が頭に響いてくるというのに、視界は恐ろしいほどにクリアになっている。千里先まで見えるような気がして、は海に目を凝らした。
居るのであれば光たるが出来なかった「ヌシを釣り上げる」ということをしてみたい。リールを動かしていると、声はこう言い、彼女の手を止めさせる。
呼応するように、青い光が足元にキラキラと広がり彼女を包む。その光を、彼女は何か知っている。
……これは、彼女と同じ同志たち、ペルソナたちの「コミュ」すなわち絆に応じた力なのだろう。
けれどその音はにとってみればハジメテの音だ。周囲は相変わらずの漣の音とアンリマユの笑い声だけ。
「それにしても、釣りセンスゼロだな、バケツの中空っぽとかマジ残念すぎるぜアンタ。ヌシ?とか無理無理諦めろ」
「……その服釣ってカレンのところ連れていく?」
「オコトワリシマス」
何処かで、イゴールの声が聞こえたような気がした。
ペルソナ能力は心を卸すものであり、心は絆によって強くなる。
他者と関わることで、絆を育んでいき、関係を強化していくことでコミュニティが生じるという。
……コミュニティの力こそが、ペルソナ能力を更に伸ばしていく。
どこまでが真意かはわからない。その言葉を聞いたところで、には分からない。
ただ、アンリと話をする時はオリジナルだの何だのを改めてつきつけられて考えることが出来――そういうのも、悪くはない、なんてぼんやりとは考えて笑う。
ケタケタケタケタ。
どちらも綺麗な笑い方とは言いがたかったが、彼ららしいといえば彼ららしい笑い方であった。