本日、麻婆豆腐売り切れです
「本日は麻婆豆腐品切れなんですよ」
「……なん……だと……」
彼が近くの教会の神父であることを、は知っている。……が、実際のところ彼が何者で、どういう経緯でここにいるのかは知らないし、彼自身そこまで興味もない。
というのも、単にバイト先の常連なのでたまに話したら段々打ち解けていったとか、そんな話に過ぎないからである。
泰山の麻婆豆腐は辛いということで一首の通には人気があるが、日本の一般的な麻婆豆腐を求めると泣きをみる羽目になる仕様になっている。もそのパターンであり、そもそもの元凶といえば、目の前に居るこの神父が来るたび来る度に麻婆豆腐を食しているのでそんなに美味いのかと一度まかないで希望をだした結果だった。
……因みにその時は、一瞬お花畑の向こう側に死んだ祖父が手を振っていたのを目撃した。
兎に角、この麻婆豆腐、予想外に一部に人気らしくこの度見事に神父が来る前に完売したのである。
世の中には変な人間が居るもんだ。
何度かが頷く一方で、男は随分と険しい顔をしていた。
……そんなに麻婆豆腐が好きか、あんた。
「うむ……だが品切れであれば仕方ない……」
「すみません、お手数かけますー」
XO醤が上がったのでそれをホールに運ばせながらは男を見る。
……年齢は、三十代か、もしかしたら四十代ぐらいだろうか。法衣に麻婆の匂いがついていいのだろうか、という疑問は抱かないに越したことはない。
彼はたまに二人の青少年を連れてきている。片方は青い髪をした長身の男。サングラスをしたらどこからどう見てもヤバイ仕事をしている男に見えてしょうがないのだが、実際のところはどうか知らない。もう片方は、恐らくはとそう年齢の変わらないであろう金髪に赤目の男である。
そして、その二人にセットで無理矢理麻婆豆腐を食させるのだ。
神父の言葉を借りるのであれば、アーメン。
内心で「生きろ」なんてつぶやきながらも麻婆を盛りつけて彼らに運んでいたもので、結果として彼らが揃いも揃って辛いだの何だの叫び声をあげていたのはよく覚えている。
故に、たまに喋る程度のことしかしたことがないが――眼の前の神父は、神父なのに超弩級のつくぐらいの「ドS」なのだとは思っている。
……口に出したら彼ら同様の被害に合いそうな気がするので、沈黙に徹しているが。
「ふうむ……それは豆腐が無いのか?」
「いや、単に仕込みの量が……」
「ならば出前を頼もう。仕込みが終わり、届けられるようになったらいつのタイミングでもいい。場所は――」
「あ、知ってます。あの丘の上の教会ですよね?」
この人、本気で変な人だ。
全力で叫びたかったが、せっかくの物好きで、折角のお客人だ。場所を認識されていたことに男は頷くと「そこに、コトミネ・キレイ名義で頼む」と自分の名前を名乗った。
コトミネ。ことみねきれい。
どんな字を書くのかさっぱりは思い浮かばず、思わずハンドソープだとか頑固な油汚れに対策としてよく潜在の名前で使われる字を連想したが――もしそうだとしたら、ギャップが激しすぎる。
さらさらと彼の名前を書くと、は顔を上げた。
「一人前で?」
「いや、3人分頼もう」
「ああ、前に来たお客さん達の分ですね」
わかりました。
特別深い意味はない。さらさらと書き上げて顔を上げると男――コトミネはを凝視していた。
突然のことなので思わず尻込みをすると、彼はいつものような表情で「では、よろしく頼む」と淡々と返答を返す。
なんだったんだろうか。は首を傾げたが、店を出ていったコトミネに「あざざっしたぁ」とまるで何を言っているのだかわからない礼の言葉を上げるとメモを貼り付けて店長を呼びに走った。
「あの麻婆豆腐……目に染みるんだよなあ……頑張れ、青いにーちゃんたち」
生きろ。多分そなたたちは美しいかもしんない。
思わず握りこぶしを作りたくなったので作っていると店長に「バッカそういうのは俺を通せ!!」と怒鳴られ頭を盛大にはたかれてしまった。
そして、出前に行った先にて青いにーちゃんと金髪の男が揃って武器をに向けるのだから冗談ではない。
揃いも揃って涙目で、誰が食うか、あんなもん、と言い出しているあたり人の店の商品になんてことを言うのだ、と思わずは言いたくなった。
確かに麻婆豆腐は辛いし涙が出るし決して美味いかと聞かれれば辛いだけのような気がしないでもない。
……しかし、他人に言われるとむっとするものである。
が反論するよりも前に依頼をしたコトミネが麻婆豆腐の来訪に随分と嬉しそうな表情を上げたせいか……彼ら二人は、半ば無理矢理、沈静させられた。
(そっとしておこう……)
心から、彼はそう思い、代金を受け取るとそそくさとその場を去っていった。
……後ろの方から断末魔が聞こえたような気がするが、は振り向くこと無く、店へと戻っていく。
麻婆豆腐、恐るべし。
2012/06/04