ホットケーキ・リミックス

少しばかり話していた声のトーンを落とし、残念そうな目では彼を見つめていた。
目の前に置かれたホットケーキは湯気を立て、一番上に乗っているバターはゆっくりと溶け出し、ホットケーキに染みこんでいく。
簡単な料理であるというのに、少し厚みのある丸いそのホットケーキの甘い香りには段々と泣きたくなってくる。
……当の本人であるアーチャーは気まずそうに視線を逸らしたままだ。

「……食べないのか、
「食べたい」
「では、食べればいいだろう」
「……食べたいんだけどさ」

きつね色のホットケーキ。理想的な形に理想的な厚み。まるで私を食べてと手招きしている感にさえ襲われ、は目頭を抑えた。もういっそ泣きたい。泣きだしてしまいたい。

「……そんなにプールに行きたかったのか?」
「違うよ、そうじゃなくて!」

ばん、と机を叩くと机の上に置かれているホットケーキのバターが小さく震えた。



事の発端は、30分前に遡る。
何故か唐突にプールに行きたいと凛、セイバー、イリヤ他が言い出し、其処に居合わせたバゼットとランサーが巻き込まれ、アヴェンジャーとカレンと略全員で彼らはプールに出かけたのである。
……そしてこの時、バイトで席を外していたは戻ってきて早々に仏頂面無表情のアーチャーに皆が出かけた、という旨を聞いたのである。

「……うう、皆してずるい……」
「……はぁ、たかがプールであろう。それに、凛からは君のことを任されているのだから、君のことの配慮をしているのだと思ったほうが無難なのではないか?」
「でもー!」

私だって皆とワイワイ遊びたかったよー!
淡々と本屋で重たい本を並べ、何だかわからない学術書を探せと言われ探しまわり、くたくたになってみればこれだ。泣かずには居られない。
ついにボロボロと泣きだしたに、アーチャーは今一度溜息をついた。埒が明かない。
朝からのバイトでふらふらとまるで廃人の如くの足取りで帰ってきたにアーチャーが聞いたことは「食べたいものはあるか」だった。
そして、それに応えたのが「ホットケーキ」である。


……それが、この机の上に置かれたホットケーキの出処である。


「ならば、私が食すとしよう」
「……うう……明日もバイトだし……皆と遊びたい……」
「いただきます」
「待って待って!食べるけど!食べますけど!」

まるでのことを気に留めず食べようとしたアーチャーの手を思い切り掴むと、彼はが今まで見た中でも最も綺麗に、だがしかし意地悪く笑った。ニヒルな笑いであると言えば言い方こそは綺麗であるが、全くを持って嬉しくない。
けれども、甘い香りは彼女の鼻孔を擽り、バイトで疲れた体は糖分を求めるように知らずして涎が出てくる。
終いには止めと言わんばかりに腹の音。
……アーチャーの、呆れたような同情のような、生暖かい目が注がれていることに気づき、悔しそうにぐう、と彼女は小さく呟いた。

「……い、いただきますっ」

そうだ、ホットケーキには何の非もない。ホットケーキに溶けて形を失いつつあるバターをフォークの裏で広げ、染み込ませた後にナイフで真ん中にまず二等分。
切っていくだけでホットケーキの美味しそうな香りが益々漂ってくる。さらに言えばまるでクッキーのように表面を切る度にさく、さくと音がなるのだ。
次に、半分。そして更に半分、最終的に綺麗に六等分すると、側面のホットケーキの内側は綺麗なクリーム色をしているのが分かる。ほんのりとついた焦げ目が益々彼女の食欲を掻き立てる。

まずは、一口。
外はさくさくとしているのに中はふんわりとした、優しい味だ。それでいて甘過ぎない。思わずの口元が緩んでいく。
文句なしの100点満点。
顔を上げると、アーチャーはそんな彼女の表情が楽しいのか此方をじっと見ている。

「……結構なお味で」
「注文が簡単なものだったからな」

ホットケーキなんて誰にでも出来るものだ。淡々と述べるがどう見てもうれしそうなアーチャーに、の表情はみるみるうちに明るくなっていく。いつも自分が作るホットケーキと、彼の作るホットケーキは違う味に思えた。
何が違うのだろう。一切フォークに刺してじっと見つめていると、彼の手が彼女の手を包み込む。

「え」

反応を返すのが精一杯だった。
それからの出来事は、顔が近づいたと思えばあっという間に離れていく。彼女の手に握られた銀のフォークに突き刺されっていたはずの狐色のホットケーキは、見事なまでにあっさりと――彼の腹に収まったのだ。

「ええええ!ちょっと待ってよ!」
「ふむ、矢張り少し変えてみると味が変わるな」
「アーチャー!ちょっと!最後の一片!」

言い出したところで、既に彼の腹の中に収まっているのだからどうしようもないのだが、としては納得がいかない。繰り返し文句を言うとアーチャーは何かを考えこむようにしてじっと空になった皿を見つめている。
食べたかったのに。そもそも今日はバイトで友達には私抜きの全員で遊びに出かけられるは、折角のホットケーキは奪われるは災難続きである。
空っぽの皿に銀のフォークとナイフが実に余計に虚しさを煽る。

、今君が食べたのは牛乳の量が少なく、加えて隠し味としてみりんが入っていた」
「……そうなの?」
「そうだ。みりんが入ったことで少しばかり味に濃さが増した筈だ」
「……そーいわれると、確かに」

今となっては味を思い出すことしか出来ないことが惜しくて堪らないのだが、それでもアーチャーの作ったホットケーキは十分すぎるほど彼女を魅了した。
一言で言えば、美味しかった。それに尽きる。
重たいため息をつくと、アーチャーは少しばかり笑い彼女に片目をつぶりながら、話しかけた。

「そこで、私としては幾つかの隠し味によっての味の変化を試してみたいのだが――。君の胃袋がまだ余裕であれば、の話だが」
「!」

ぱっと一気に顔色が明るくなったにアーチャーは内心で「犬のようだ」と達観しつつ思う。
……勿論、それを言葉にすれば機嫌を損ねてしまうので、そつなく、それとなく、回避するのだが。
その後アーチャーのホットケーキを心ゆくまでは堪能し、帰ってきた彼らを機嫌よく出迎えセイバーに自慢したのは暫くしてのことである。

今はただ、二人でゆったりとホットケーキと紅茶を楽しむ時間ばかりが過ぎていく。


2012.6.4