※ 有里→達海、達海×有里の描写があります。
サッカー選手というものの体調管理というものは面倒くさい。
改めてはしみじみとサッカー選手の嫁がやっているブログを閲覧していて思う。一日の献立のバランスはもちろんのことだけど精神面のフォローだってしなくてはいけない。
ああ、大変だ。思わず身震いすらしてしまいたくなる。
これからの予定を手帳でチェックするとまだ少し時間がある。文京区にあるサッカー協会から、ETUのクラブハウスまで時間はまったくといっていいほど掛からない。むしろ近所のレベルだ。
営業の仕事がてら、あとで顔を出してもいいかもしれない。そう考えると手帳を仕舞って、彼女はメールチェックに勤しむ。国際部から移動してきた以上その力を使わない手はないだろう。広報の仕事は営業も兼ねているから、新しいスポンサーとの提携のことを考えなければいけないし、何かと大忙しだ。
――けれど、やりがいがある。
楽しい、とは思わず口元が緩んだ。ああ、自分も相当なまでのフットボール馬鹿である。
午後、彼女は昼を仕事仲間と済ませた後スポンサーである飲料会社との会談を済ませ、総武線に揺られながらぼんやりと街中に目をやった。
がたん、ごとん。お揃いの釣革が電車の揺れに合わせて揺れる。
まるでサポーターのチャントのように、リズミカルに。は持っていた手帳に視線を落とすと、そういえば来週末にはプリンスリーグの決勝があったことに気づく。トップチームだけではなく未来のサッカー選手たちの育成の場。
サッカー協会に入った以上、高校サッカーも、ユースも、ジュニアユースも、もちろんトップチームも、地域リーグも。気になることがすべてフットボールに傾いていく。それを同期の友人たちは笑って職業病だというのだが、からすればそれでも構わないと思えた。
ふらり、と駅を降りて、その足で乗り換える。
がたんごとんと再び別の電車に揺られ、そのままふらふらと彼女の足取りはとあるチームの、とあるクラブハウスへと向かっていった。
サッカー協会の人間である以上、どこかのチームに対しての特別意識はよくない。そんなこともちろんだって分かっている。
けれど、どうしても。
日本の至宝と呼ばれた流星のように一瞬のうちに大きな煌めきを残した人間が率いるサッカーチームを、応援せずにいられなかった。
たくさんの月日をそれに費やし、それと共に歩んできた以上、それを否定することもには出来ない。
ETUというものがあったから、はこうして、サッカーと共に歩み、そしてサッカー協会という念願の仕事場に入ることが出来た。たくさんの紆余曲折を経てもなりたかったものだ。
「あれ、じゃん」
「わー達海さん、びっくりしたー、なんでいるんですかー」
練習場のグラウンドでごろりと寝そべっていた男が急に起き上がっての姿を確認すると思い切り彼女を指差した。相変わらずなまでの極限マイペースに思わずは笑ったのだが、有里から言わせればどっちもどっち、お互い様だ。
達海は持っていたボードのマグネットをすべて縦に並べ「なんでお前来てんの」とを見ることなく尋ねた。
「仕事?」
「いーえー、気づいたら、ここに」
「なーんだそりゃ」
薄く笑った達海に、もまたふわりと笑った。
この練習場に仕事以外で来るときはあまり人がいないときがいい。彼女の顔を割られては匿名掲示板に名前が出てしまったり、結果的にサッカー協会への悪印象にも繋がってしまうだろう。
ヒールを脱ぎ捨てて、練習場に入ると、彼女はまず一礼をしてピッチに足を運ぶ。
「おーい、怪我すんぞ」
「大丈夫、ヒール脱いだし」
「つーか、有里に会わなくていーのかよ」
有里との付き合いは長い。達海の知らなかった有里のことをは知っていて、親友、幼馴染、様々なカテゴリーに彼女を入れることが出来る。
たとえば、達海が現役時代だった頃、有里が彼に憧憬の眼差しを向けていて、それは恋慕にも似たものだったことだとか。
たとえば、達海が居なくなって、有里が一晩中「たつみのばか」とつぶやきながら泣いたことだとか。
様々なことを、は知っている。それがゆえに正直達海を探しに渡英するという後藤に付き合うという有里を引き止めようとしたなんてこともあった。結果は有里に「見つけたら一発ぐらい達海さん殴りたいし」と言われてしぶしぶ納得してしまったのが落ちなのだが。
はすとん、と芝生の上に腰を下ろし、達海と並ぶ形になると「んー」とのんきに言い返した。
仕事はまだある。オールスターの広告のことだとか、以降の試合の広報だとか、ナビスコの間に組み込まれる代表のキリンカップだとか。
あげていけば、以外に忙しい。
けれど、は笑って「大丈夫じゃない?」と呑気極まりなく言う。その姿に達海は少し考えるように彼女を見たが「ふーん」と気だるげに言葉を返すだけで終えた。
「ねぇ、達海さん?」
「なんだよー」
「……有里ちゃんはさー、ああ見えて、結構強い子なんですよー」
「ああ見えて、っていうか見たまんまじゃん」
ボードのマグネットをいじり、星を作って遊ぶ達海には「そうですねぇ」と妙な同意を返した。
有里は強い。それは、間違っていない。
「二部に落ちて、チームが下降線の一方をたどっても、有里ちゃんはETU以外就職志望出さなかったんですよー」
「……あいつも相当なETU馬鹿だな」
達海がいたETUと、今のETUは選手も違う。体制も違う。サポーターも、株式会社としても、違う。
それでも、同じETUだ。有里の好きなETUに変わりはないのだ。
「“嫁は変えられるが、応援するクラブは変えられない”」
有名な海外のことわざの1つだ。改めて有里にふさわしいことわざだとしみじみは思う。達海はそんなの有里に対しての気持ちを黙って聞くばかりだ。
「優勝しそうなチームだから応援する」 のではなく「好きなチームだから応援して優勝させたい」
それは、フットボールを愛するたくさんのクラブチームサポーターにいえることだ。ナビスコ、天皇杯、リーグ戦。
それぞれに違う。けれど、目指すべき場所はやはりリーグだ。日本一、長い長い期間のリーグ戦を戦い抜き優勝に向かっていく。そのときの興奮は鳥肌がたつほどだ。
ETUは優勝経験はない。それでも、有里も、後藤も、チーム経営陣、スタッフ、選手、サポーター、それぞれがたくさんの形の、たくさんの立ち居地でのファイティングポーズをして、その道を歩もうとしている。
協会の掲げる100年構想を夢物語だとはには思えなかった。いつか見た夢は、いつかの現実になる。
それは、達海が見せてくれた今に近いもの。
「……ねぇ、達海さん?」
「なんだよ」
「私の個人的意見を言ってもいい?」
「いい?っていうか、言うんじゃねーか」
夕焼けが、練習場を染めていく。練習場に人はいなかった。そういえばETUの公式ページに今日は午前練習だけだと書いてあったのをはぼんやりと今更ながらに思い出して、苦笑いを落とす。
ゆっくりと、彼女は唇を動かした。
「私は、ETUを応援することをやめないし、協会側だけど、こっちから皆をずっと応援してる」
たくさんある、ファイティングポーズの中のひとつでありたいなぁ、とは小さくつぶやいた。
達海は持っていたボードの手を止めて、すぐにふん、と小ばかにしたように笑って「何いってんだ、お前」とに向かって容赦なく言い放つ。どこまでもマイペースな達海らしい言葉を添えて。
「そんなもん、とっくの昔からお前はそうじゃねーか」
「…………そっか、そうだった」
にやりと笑った達海にあわせて、もにやりと笑いを返した。その次のタイミングで「あああ!」と少しばかり悲鳴に近い声が響き渡る。
声の主には直ぐに笑顔を引っ込めて「有里ちゃん〜、遅いよ〜」といたって呑気に言い返し、達海は達海で「うるせーぞ有里ー」とまったく持って意識しない返答を返す。
声の主である永田有里はわなわなと手を震わせて「なーんでちゃんここに居るの?!」と素っ頓狂な声をあげ、次に達海に「達海さんもなんで此処でごろごろしてるの!」とツッコミを入れている。
そういえば、とふとは有里を見据えた。大きな瞳を怒りにかえる有里の姿はどこか子犬が吠えているようにも見えて、かわいらしい。……勿論それをいったら怒られるので言葉にはしないのだが。
「達海さん」
「あ?」
「有里ちゃん」
「何!」
ぴん、とは左手の小指をたてた。
その彼女の行動に達海と有里はきょとん、と彼女を見据えることでしか反応を返せない。
の顔は相変わらず笑ってばかりで、真意はつかめない。けれど、彼女は小指をたてて、にっこりと笑顔を浮かべている。
「な、何?」
「……つながってると、いいね〜」
「……何が?」
恋愛に鈍感すぎる有里は置いておくとして、達海は直ぐに状況が把握できたのか「あほらし」と溜息をこぼした。達海が分かったことに反応し有里はぐるりと方向転換し「達海さん分かったの!?」と彼に意図を尋ねようとする。
だが、達海はそれに対して「お前には教えなーい」とのらりくらりとかわしていく。
ああ、やはりいいコンビだなぁ。呑気には笑顔を崩すことなくぼんやり考えて、不意に練習場にかかった時計に目をやった。
「あ、もうこんな時間。ねー達海さん、有里ちゃん」
「何?」
「あんだよ」
先ほどと同じように、はにこり、とまた笑った。
「ご飯でもさ、食べに行こうよ。達海さんは、作戦立て?」
ノー、とは言える雰囲気ではない。
にこにこと笑ったに、有里は「まぁいいや」とOKを直ぐに出し、渋る達海に「作戦立てなら宅呑みで達海さんの部屋集合でもいいけど」とけろっとしては言った。恥じらいといったものよりも、達海の真意を探ろうとするもの等しい。
達海は直ぐにそれを理解すると、試合中に見せるような悪巧みをした笑顔を浮かべ「上等だ、行ってやるよ」と少々好戦的に返答を返す。
結局焼き鳥屋でビールを呑み、有里の仕事の話に耳を傾けながら時折達海とくだらない会話をマイペースに繰り広げることになるのは、少しあとの話。
「嫁は変えられても応援しているクラブは変えられない」