「郭、何読んでるの?」
目の前で郭は本を読み続けていた。図書室は人が疎らで、司書すら姿が見えない。
職員会議にでも出ているのだろうか、そもそも司書って職員会議でなくちゃいけないんだろうか? そんな疑問がふと生まれたけれど聞いてみるほどでもないのでやめておく、ぐるりと周囲を見渡せば、図書委員は疲れているのか頬杖をかいて舟を漕いでいた。
郭は名前を呼ばれてふ、と目を細めて私の方を見た。
口元がかすかに緩んでいて、元々整っている顔が見栄えるくらいに綺麗に笑うのだ。
「 “ 銀河鉄道の夜 ” だよ」
「ああ、宮沢賢治」
名前くらいは知ってるよ、と私の反応にそうだろうね、と郭は存外冷めたような口調で返答した。
何か不機嫌なのだろうか。そんなことを思ったけれど、特別聞く必要性もなかったのでほうっておいた。
先ほどから香る甘ったるいお菓子に目もくれず頁を捲る郭の前で私も何か本を読もうかと本棚の方へ向かうため立ち上がる。
郭は既に宮沢賢治の世界に入り込んでいて、目を少し伏せ目がちに黙々と読みふけっていた。物を立てないように抜き足差し足で図書室の中を歩いていくと膨大な資料に取り囲まれて完全に包囲されてしまった。
もしも、これが人間だったのなら視線で殺されていただろうな、なんて呑気なことを考えながら適当に回る。 すると、分厚い本がいつもいくつも並んでいたある一角で足が止まる。
“ はだしのゲン ” やら手塚治虫やらの漫画がびっしり並んでいて、特別読みたいわけじゃなかったけれど一冊本をとって郭の下へと戻った。
「、何借りたの?」
「あ、ごめん邪魔した?」
「別に?」
郭は私が戻ってきたときの足音に気づいたのか視線を上げて私の顔をまじまじと見て手を止めた。
席に座って頁を捲ろうとすると郭が本に手を伸ばして背表紙を向けた。
「“銀河鉄道999”? 何、本じゃなくて漫画?」
「郭が銀河鉄道読んでるから影響されてね」
「それ “ へ理屈 ” っていうんだよ」
まぁ、いいんだけど。 と軽く郭は笑ってまた視線を自分の本へと向けて其れ以降黙り込んでしまった。 多分本の世界に入り込んでいったんだろう。
私も特別話を振るわけでもなく、999を読むべくページを捲る。細かい話は知らないけれど鉄の体を求めていくつも、いくつも駅を巡る話だ。
印象的なのといえば金髪のロシアっぽい雰囲気な服を着たメーテルぐらいだから、これを機にちょっと詳しくなってみようかと漫画へと引き込まれていく。
ぺら、ぺらと頁を捲る音だけ心地よく耳に響く。
どのくらい時間が経過したのだろうか。司書は相変わらず戻って来ておらず、相変わらず図書委員は眠たそうに欠伸をしていた。 ぱたん―― そんな、本を閉じる音が今度は耳に響いた。
視線をちょっと上げると予想通り郭が本を閉じて頬杖を付いていた。
「読むの早くない?」
「途中まで家で読んでたからね」
「ふぅん」
「もこっち読めば?」
細い指で銀河鉄道の夜を擦らせて正面に座る私に差し出してくる。弾くわけにも行かなかったのですんなり受け取ってみると薄っぺらいかと思えた本が案外厚かった。
郭はそんなことをお構いなしに篭った空気を入れ替えようと窓を開ける。五月の風はさわやかで私の頬を撫でた。 まだ初夏で、六月の梅雨には程遠い。
暑くも無く、寒くも無い。微妙な季節。
「あ」
「何?」
「、あの星見える?」
「いやいや今昼だからね」
思わずツッコミを一つ。
郭ってそんなボケだったっけ? と如何ということも無い考えをめぐらせていると郭は、そうじゃなくてと小さく笑った。
郭は私の印象だと 「 良く笑う人 」 だ。 皆が言うような 【 クール 】 というようなのは全然見えない。 寧ろ本当に、唯の中学二年生にしか見えなくて、どうして皆がそんな風に言うのか理解できない。
「星ー? どこ」
「あそこ」
「…………見えない」
「だよね、俺も見えない」
何がしたいんだ、という怪訝な目で郭を見ると郭は銀河鉄道999をいつの間にやら手中に収めていて何事も無いように本で先ほどと同じ方向を指した。そして、相変わらずの、少しだけ笑ったような表情を作って言う。
「星に向かって電車乗れるなら、は如何する?」
「……本の影響?」
「まぁね」
銀河鉄道の夜と銀河鉄道999は話の内容が似ているのだろうか、そんなことを思った。
タイトルは似ているよなぁ……と考えながらも思いつかないので別に、と答えると郭はそうだよね、と頷いた。
不機嫌だったのが、知らず知らずに消えていた。
「で、郭何で不機嫌だったの?」
「え、俺不機嫌だった?」
「何無自覚ー?」
「気づかなかった。 ……甘いの貰ったからじゃない?」
適当だなぁ、と笑う私に人生ってそんなもんでしょ、と妙に郭は悟ったように笑った。
同じぐらいの年齢の癖に、といったところで多分何ら代わりはしないのだろう。
郭のそういったちょっと年齢に似合わない年寄りくささは嫌いじゃない。 寧ろ自分が無いところを持っていて、羨ましさすら感じる。
――本人に言うことは無いだろうけれど。別にこれは意地でも何でもなく、唯単に郭が大人びているねーって言われるのを嫌うからだ。別に一言も嫌いだなんていってないだろうけれど、多分嫌なのだろう。
私が思うのは年寄りくさい、皆が言うのは大人びている。この違いは何だろうか。
「……まーいいか」
「何が?」
「別に」
考えることをやめて、とりあえず今は如何でもいいことを話したほうが有意義に感じた。郭は相変わらずで、私も多分相変わらずなのだろう。
何が相変わらずなのかはわからないけど、とりあえず相変わらずなのだろう。
そう考えたら、何か如何でもよくなって、唯唯笑いだけがこみ上げてきて、郭も私も笑った。
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