あの人は常に前を向いている。天才肌というやつなのだろうか。外見はとてもいいのにやってることがとても残念だ。がっかりイケメンという言葉を言い出した人は天才だと思う。
図書室で何を真面目に読んでいるのだろうとこっそり遠目から見てみれば世界の妖怪伝とか、そういった類のものだ。物好きな、と思う反面「やっぱりclass Xなのかー」と呑気に思う。
「うぉい」
「?!」
いきなり独特すぎるイントネーションで肩を掴まれた。何事かと振り返れば本を読んでいたはずの人は俺の肩を掴んでにまぁ、と所謂「性格の悪そうな笑顔」を浮かべたのだ。顔がいいから余計に腹立たしいが、残念なことに自分は男で彼の笑顔を見ても「あーテレビの人みたいだ」と少しばかり斜め上の結論にしか至らないわけなのだが。
何してんだァ?と上がり口調で図書室であるにも関わらず金属的な「何か」が後頭部に当てられる。銃口のように、重い。
その瞬間俺は瞬時にこれは俺死んだなと妙に思いながら両手をあげ「いや、あの」オロオロ答えにならない回答をしていた。もう少し頭の回転が速ければどうにかなったのだが残念なことにClass Aの人々とは縁もない。ごく一般の、地味に楽しく平凡に楽しんでいる。それが俺だ。仮に知り合いだとしても精々部長会議に出てくる岡崎生徒会長ぐらいだ。しがない茶道部。しかもくじ引きで任された部長だ。
ぐるぐると考えが巡る俺に対して、咽喉の奥を小さく鳴らし至極楽しそうにそのがっかりイケメンは笑った。あ、笑うと予想以上に若く見える。中学生でも通るな、これは。そんなことを考えたのが仇になったのだろう。ばしゅ、と音がすると思わず目を固く瞑った。けれど発射されたのは弾丸ではない。……冷水だ。
「つめたぁ!!」
「ヒャーハハッハ、バーカ! まんまと引っかかりやがっテェ〜ウーケルー!」
「うわ、びしょびしょ……」
忘れてはいけないが、ここは図書室だ。その図書館の主は実に残念なことに舟をこいでいて、こんなに大騒ぎをしていても熟睡体勢に入っているから無意味。他に利用者はとぐるりと見渡すが忘れていたことに今は「授業中」だ。
……要するに、さぼっていた自分と、何でいるのか分からないこのがっかりイケメンだけだったのだ。不幸中の幸い。本気でそんな言葉を使う日がくるとは思わなかった。
「おうおう、お前さっきから何なんだァ〜? こっち見やがって、変態か!」
「いや変態ではない」
「じゃーナンナンだよ?」
「……えっと、授業中なのに何してんのかなって」
そりゃーお前もだロ。語尾がやたらとカタカナを使っているあたりが妙に違和感を覚えるが、容赦なく濡れた髪をばしばしチョップされる。聖帝始まって以来の困ったちゃん、というべきか幼稚舎時代から何も変わっていないだとか色々な噂が耐えない人。
仙道清春。
バスケットボール部でもなく、ただバスケの腕は誰よりも上。学校近くの公園のストリートバスケでバスケをしているのだけは見たことがある。ただ、それ以外は常に悪戯を練っている印象。それが、このがっかりイケメンくんだ。
「……おい」
「はい?」
「お前、どこのクラスだ?」
「ああ、俺、B組の」
「あーお前か、地味な茶道部部長」
なんで彼が茶道部部長のことを知っているのだろうだとか、地味は余計だ、だとか言いたいことは山のようにあったが、いくら五月だといっても冷水を被っておいて平然と会話は出来ない。というか寒い。本当に寒い。
そもそもぬるくなって当然なのに水鉄砲の中身は恐ろしいくらいに冷水だ。氷を溶かしたかのような、あのキーンとくる独特の冷たさ。思い出しただけでも身震いが出来る。
「あー、あの、仙道君?」
「ンだよ」
「俺服着替えにいきたいんだけど」
恐る恐る挙手をすれば彼はまたにやぁ、と笑った。怖い。それに動じずに「いい?」と聞けば彼はおういいぞ、と先ほどの笑顔をものもとしないとても良い笑顔を浮かべた。見間違いなのか、と思うほどに爽やかな笑顔だったので逆に身構えたのだが彼はとてもすんなりと俺を解放してくれた上にタオルまで貸してくれた。
……と、ここまでは美談で済んだのだが、状況はもっと悪化する羽目になった。そもそもどうして男子トイレで頭からバケツ、もしくはホースで水を被らなければならないのだろう。これはどこの苛めのドラマ番組だろうか。しかもこれをやっているのはたった一人なのだ。思わず呟きたくなる「駄目だこりゃ」とか「どうしてこうなった」といった類の言葉。
「ギャハハハ!」
「……ぶえっくし!」
確実なまでの風邪フラグを感じながら、俺はゆっくり立ち上がると仙道君にフラフラと近づいた。忘れかけていたが彼と俺はこれが恐らく初対面なのである。マンモス校だし、外部と内部だし上げていけばきりがないが、まぁ要するに縁がなかったといえばいいのだろう。彼はゆらゆらと近づいた俺に対して涙目になっていた笑いを止めた。
ひたり、ひたり。初夏なのに、まるで怪談話をしているような寒気が二人を襲う。俺は一足先に彼の横を素通りし、後ろに回ると自分の両手を彼の首に回した。ぎゃあ、冷てぇ、という叫び声。断末魔が響き渡るが生徒の姿も教師の姿もない。
「つめてぇっつーの!」
「俺はもっと冷たかったって」
「つかやること地味!」
「地味地味言うな自分が華やかだからって!」
B6と呼ばれる目立つメンバーの中の一人と、AでもXでもないクラスの地味な茶道部部長。比べてみれば分かりやすい華やかさだ。聖帝なんて、親が悲鳴を上げるくらいに高い学費がかかる学校に幼稚舎からいる彼だ。
地味ということばを恐らくは知らないのだろう。羨ましいような、それでいて少し可哀想な……なんともいえぬ気持ちにすらなった。
猫っ毛の毛先を濡れた水で梳かして恐らくワックスをつけたような髪の毛を自分同様びしょびしょに濡らせば「てめぇブッコロス!」という叫び声が聞こえてきた。しらない。俺知らない。俺悪くない。何度もめげそうかつビビる心を奮起させるように何度も何度も言い聞かす。
「こらぁ、仙道君!」
「ゲッ」
「……南!……せんせー」
普段呼び捨てかつそこそこ美人でそこそこウケもいい女教師。南悠里。こらあ仙道君というからには彼を探しに来たのだろう。しかし何も男子トイレに入ってこなくても。
俺たちの行動をみたのか「喧嘩はやめなさい」とのしのしと入ってきて振り分ける。いや、待ってくれ。どっからどうみても俺被害者なんだけど。
「あなたB組の君ね! どうしてここにいるの、今授業中でしょ!」
「はぁ」
「それとそのままだと風邪引くでしょ、制服は?」
おたくの生徒さんにしてやられました。そんなことは言えず思わずがっかりイケメンくんこと仙道清春に視線を投げれば彼は既に姿はなかった。
「あっ!」
「えっ? あっ!」
俺の話なんか聞いてる場合じゃないだろうに、南先生は俺に先に聞いたから案の定仙道清春の姿はなかった。どんだけ速いんだ、足。思わず内心ツッコミたくなったが、それをぐっと堪えてやたらと覚えた疲弊感に「疲れた…」と思わず呟かずにはいられない。
そして、恐らく。多分。絶対。俺はこの日を境に、絡まれることになるであろうことを確信した。
「ぶえっくし!」
バケツとホースの水コンボに思わずくしゃみが出ると南先生は「ほらやっぱり」と呆れたように言う。先生、忘れてますがここ男子トイレなんですけど。
それとなく指摘をすればあわあわと彼女はトイレから飛び出していった。Class Xは変な人ばかりという噂はどうやら本当にようだ。
よたよたとする体を無理やり動かしてトイレから出ると南先生は頭を抱えて「で、どうしたの」と物事をちゃんと聞く体勢に入っている。先生、先生。多分どころか間違いなく趣旨がずれてます。
「……先生仙道君追いかけなくていいんですか」
「仙道君がしたの?」
「……まぁ」
頭を抱えながら南先生ははぁ、と溜息をつき精練された動きでごめんなさいと頭を下げた。別に謝って欲しいわけではない。寧ろ俺としてははやく着替えたいわけで。
南先生は本当に申し訳なさそうに「最近は授業にちゃんと出ててくれたんだけど」と頬に手を当てて悲しそうに言う。特記して美人というわけではないが、所謂素朴美人なのだろう。こういうところの表情にきゅんとくる男子はきっと多い。
「君、本当にごめんね」ともう一度彼女は謝るとその場を去っていった。いなくなって、しばらく一人で居ると授業終了のチャイムがなる。ああ、もう、結局休めなかった。
はぁ、と溜息を零すと茶道部の部活動中に着る和服を探しによたよたと部室へと向かった。結果、この和装をして出たことにより鳳先生に名前を覚えられるわムダに「和服の人」と呼ばれることになってしまうことを俺は知らない。
それもこれもがっかりイケメンくんのせいだというのに、彼は結局どこ吹く風で、しかもこの一件以降やっぱりというべきか俺にちょっかいを出すようになる。芋づる式といえば分かりやすいだろうか、ずるずると日向へ向かう羽目になり当時地味であったのに気付けば有名人の仲間入りを果たしてしまったのは幸か不幸か。
「……だめだこりゃ」
なんだか常に判断力とかその場においての適応力を試されている気がしてしょうがない。
取りあえず何とかかんとかこの学園生活が無事に終われば、なんて呑気にぼんやり思うことにしよう。