「サーン?」
「……じゃあ先生、私先に行くね!」
あ、と真奈美が何かを言いかけたのを彼女は盛大に無視し全力疾走して逃げる。全力疾走といったところで、無論スポーツ選手である清春とやりあっても勝てるわけがないのだが、それでも彼女は脱兎の勢いで逃げる。
てめぇ、という声が聞こえると真奈美の横を何か青い物体が去っていく。それが清春だということに気付くまでそう時間はかからなかったが――ぽかん、と彼女は二人が去っていった方向へと視線を投げる。いつものことだが、あの二人は毎度毎度よくもまぁ、飽きもせず走り回っているものだ。それはA4を担当している自分が言えたことではないのだが――それにしても、あの二人の体格差だとかその他を含めればどう考えたって清春が彼女を捕まえるなんてこと造作もないはずなのに彼は敢えてそれをしない。
天性のいじめっ子、といったところだろうか。
「加々美先生! 匿って!」
「うぉぁ?! な、なんだなんだ」
「黙って静かに私を匿って! 今度何かおごるから!」
「はぁ?」
はプレハブ小屋らしきものに転がり込むと放置されたダンボールにその身を入れて隠れた。意味が分からないこの小屋の住人は取りに来ていた教材をテーブルの上に置き首を傾げるばかり。いいから、と彼女は小さく声を潜めながら言うと、そのまま沈黙した。
騒音が聞こえ、次に扉を蹴破るような音が聞こえてくる。加々美はその瞬間把握した。こいつ、また逃げてるな……呆れからに視線を投げかけるが彼女は代わらずに沈黙している。
「オォイ、此処に居んだろ! 出せ!」
「なんだなんだ、いきなり」
「逃げられるとでも思ってるのカヨ、ー?」
どこのホラーゲームだと思わず加々美は内心突っ込んだが、どこから仕入れたのか分からない巨大水鉄砲を彼が構え――そして、彼女の居るダンボールを見極めるとそれを構えなおした。
まずい。
非常にまずい。
水浸しフラグが立っている。
「ほ、ならそこのダンボールにいるからさっさともって帰れ!」
「あっ、加々美先生の鬼!悪魔!ゲーオタ!」
「うるせえ!」
がば、とダンボールから彼女が反論しながら出てきた。しかしその行動により、清春は満面の笑みを浮かべる。無論――悪い意味での。
ご愁傷様、内心彼は手を合わせるがキーキーと彼女は文句を言い続けている。ひょいと清春がダンボールごと彼女を持ち上げると「ぎゃあああ」と今度は奇声に変わるがそれは聞こえないフリだ。
身の安全、第一。それの何が悪い。加々美は何事も無かったかのようにホイミを唱えた。
「やだやだ何ですか離してー!!おろしてー!!」
「やーなこったぁ」
「うわ性格悪い!」
「知らなかったかぁ?」
「十分知ってますから! あーもうやだー! 皆助けてー!」
A4のメンバーに叫び声を上げたところで彼らは現在トランプに夢中で気付いてはくれない。真奈美には迷惑をかけたくない。そして行き来する生徒達は清春に関わったら最後死ぬということに気付いているのだろう。一様に視線をそらしている。
ぴた、とダンボールの揺れが収まると、ぼす、と地面に落とされて彼女は盛大に腰を打つ。悶絶するようにばしばしとダンボールを叩き、張本人である清春を睨みつけるべく顔を上げると、いつもより神妙な顔をしている彼が眼に入る。
……大人、だ。
一瞬彼女は息を呑んだが、直ぐに現実に帰り、痛いんですけど、と反論すれば「馬鹿じゃねーのー?」という言葉が返って来る。
「なっ」
「最初からー?逃げなければー、イイんじゃネーか」
「えー」
「えーじゃねーよえーじゃ」
「だって仙道先生悪戯の伝道師じゃないですか、無理無理」
「ほーぅ」
「……じゃ!」
くるり、と回れ右をしようとしたが、体がびし、と軋み彼女はへなへなと床に座り込んでしまった。呆れたような清春の声が聞こえたが、そういう問題ではない。
誰のせいでとも反論したいはずなのに、うまく言葉に出来ない。そもそも彼女は彼とあまり話がしたいわけではないのだから。
「おーい、生きてるかぁー?」
「っ……」
「ほーれ手を貸してやるぜ、きらーん☆」
「……う、胡散臭い……」
「うるせーよ、さっさと手ぇ貸せ!」
ぐいと引っ張られて、無理やり立ち上がらせられると「馬鹿だな」と何度目か分からない言葉を浴びせられる。失礼な、と睨みつければ頬を思い切り引っ張られる。その痛みに思わず顔をゆがめると「アホ面ー」と笑われた。全く持って一体何なのだ。ぐしゃぐしゃと頭を撫でられ「ほら、さっさと戻れ」と背中を押される。
見たことのない大人の顔をしていた仙道清春の姿はもうない。何だったんだろうか、ぐしゃぐしゃにされた髪の毛をどうにか手で直す。
いつも忘れているのだが、あの人は大人なのだ。自分の知らない時間を持った大人。B6の中でも一際子供っぽい一面を持っているが、彼はバスケットボールで世界と戦う人間だ。自分とはフィールドの違う、何もかもが違う人間だ。
歩いていた足を止めて、ふ、と振り返る。彼は既に居ない。そのことには何故だろうか、安堵した。
「……何、これ」
意味も分からない痛みに顔をゆがめ、彼女は盛大に溜息を零した。何だっていうのだろう。分からない。分からない。――否、分かりたくない。そんなことをは認めたくないし、認められない。
あの人に迷惑をかけられているのは自分だ。悪戯というレベルでは済まされないようなこともされたこともある。さっきだって、女に向かってすることではないことをされたというのに――それでも、それでも。
信じられない。ぶるぶると彼女は首を振ると授業に戻るつもりだったがそのままの足取りで小さな誰も知らないほどの聖堂に入っていく。聖堂はとても埃っぽく、静かだ。はすう、と深呼吸を一つするとそのまま椅子に腰掛けて沈黙し続けた。一時間ぐらいなら、いいだろう。全ての世界が遮断された静寂に包まれた世界は考え事をするのに一番いい。
だというのに。
だというのに。
「なんであの人が出てくるのー!!」
冗談じゃない。
冗談じゃない、彼女は何度も言い続けて、沈黙し、もうやだ誰か助けてと小さく呟いた。
(2010.06.27)