ホースで水をまくたびにキラキラと虹が出る。その虹をぼんやりと見ていると後ろから「暇人発見〜」と至極楽しそうな声が聞こえてきて、はくるりと首だけを振り返った。至極楽しそうな顔でにこにこと笑っている男に思わず小さな悲鳴を上げかけたが、彼女の肩をこれでもかといわんばかりに彼は掴み逃げるという選択肢を最初から与えてはくれなかった。
「せ、んどう先生……」
「おーおー肩震わせちゃってドーシター?」
三百六十度どこからどうみても「教員」には見えない男の姿には思わず腰が引けた。この人は苦手だ。その「苦手」がどういう意味で苦手かと聞かれれば実に説明しにくいところではあるのだが、彼のそのしたり顔や逆に爽やか過ぎる笑顔は毎度毎度「何を考えているのか分からない」という意味で苦手だった。
右手に持っていたホースを危うく落とすところだったが、顔を引きつらせながらもどうにか対応をしようとしている。にっこりと清春は甘く優しく微笑んだ。ぱっと見では「人の良い」笑顔では有るが連日の悪戯を受けてきたには分かる。
これは何かを思いついた笑顔だ。そして、この場合のターゲットは間違いなく自分である。一気に彼女は青ざめて逃げようともがくが、大の大人に女子が叶うわけも無く、結局清春に肩をつかまれたままは大きな溜息をこれみよがしについた。改めて七瀬がいかに不憫で不幸なポジションに居るのか――考えただけで同情するしかない。
「な、何か用事ですか?」
「おーう、よく聞いたな! これを見やがれ!」
「…………水鉄砲、ですか? やたらごつごつしてますけど」
サンダーバーストストリームだ。とてもいい笑顔で清春はそういいきった。恐ろしいほどに大きいその水鉄砲……というよりもウォーターガンは恐らく清春の手によって改良されているのだろう。
装具は多く、とても子供の玩具とは思えない重量だ。が顔を引きつらせると「お前には撃ちゃーしねーよ」と予想外にも清春はしれっと言い切った。その発言が以外すぎたのもあってか思わずは「えええっ」と驚愕の声を上げた。あの聖帝の悪魔と呼ばれるような散々な歴史を持つ男が、目の前にターゲットが居てもそれを相手にしないと宣言をした。
その衝撃が隠しきれずまじまじと清春をは食い入るように見据えた。意外なんてものではない。明日は大雪なのではないだろうかと錯覚するほどだ。
「ンだよーそのツラは。そんなに受けテーノカー?」
「いえ全くそんなことは全然ありませんから!」
「遠慮スンナって。お前もホース持ってるし反抗出来んダロー?」
「意味分かりません、微塵も、全く持って分かりません!」
思わずツッコミを入れるが、それもあえてスルーされる。そして、狙わないといっていたにもかかわらずは次の瞬間思い切り水を頭から被った。ばしゃあ、と水音がしたと思うと服がずしりと重みを増す。
一体どの程度の水が放出されたのだろうか。は一瞬確認が遅れたが、シシシ、と意地悪そうに笑う清春によってやっと現実が見えてきた。
「な、何すんですかー!」
「何ってぇ、水かけてほしかったんダロー? 最近暑いしナー」
ケタケタと笑うその笑い声が、には悪魔の笑い声にさえ聞こえてきた。
この人は苦手だ、とか、全てを見透かされていそうで話しかけにくい、だとか様々な気持ちがあったにも関わらずただただ言葉が出ない。しかし手に握り締めていたホースの存在に気付くとホースの口をへの字に変えて水道の蛇口をこれでもかと強く捻る。
水の勢いを増したホースをへの字にすれば範囲は広がり、勢いも増す。彼女はそれをばっと清春に向けるが、相手は流石にバスケットボールで慣れているせいかひょい、と体をバックステップで避けた。
「危ネーナァ? チャーン?」
「……そこは水も滴るいい男ってことで被ってくださいよ」
「ヤーなこったァ、ほれ!」
「わっ?!」
ばしゃ、と再び水が彼女の顔にかかる。どんくせー!という盛大な笑い声が耳に聞こえてきてはホースを更にぐるりと回し清春を狙って水を放つ。けれどもひらり、ひらりと彼はまるで牛若丸のように避けていく。しかも避けながら問題を出すのだ。意地の悪い、数学の中でも瞬間的には答えられないような問題を。
思わず言葉に詰まれば「はい時間切れー」と再びばしゃりと水をかけられてしまう。
「1×2×3×4×5×6×7.答えは?」
「7×12×20×3だから、えっと」
「はい時間切れーザァンネーン、つーかなんだその分かりにくい計算式は」
ばしゃあ、と勢いよくサンダーバーストストリームが火を吹く……基水を吹く。どのくらいその戦闘を繰り広げていただろうか。後ろから「やめなさーい!」という聞き覚えのある女性の声が耳に響く。が振り返れば彼女は呆れと怒りと様々な感情をむき出しにして、腰に手を当てて怒っている。彼女の両サイドには何かにつけてジャケットプレーをする学年主任と清春と同じくどの角度から見ても学校の先生とはいいがたいヴィジュアル系バンドの先生が立っていた。彼女との違いは両サイドの二人は呆れている比率が高いことだろうか。
蛇口の栓をが戻すと清春は心底残念そうに「ンだよ、邪魔スンナヨ〜」と唇を尖らせて文句を連ねている。仙道、いい加減にしろと七瀬が言っても清春は飄々と交わすばかりで結局のところ反省はまるでしていない様だ。
「俺たちは補習をしてたダケだぜぇー? なあ、ー?」
「……確かに、問題出してもらってただけなんで……」
「だからって地面ここまで水浸しにしてどーするんですか仙道先生!」
真奈美の矛先はどうやら仙道に向かっているらしいが、清春の主張はあくまでも「補習の一環」だ。そして自身が肯定も否定もしないからだろう、天童が「仕方がないですねえ」と苦笑を落としてしまったので話はそれでチャラになってしまった。
の服装は既に水浸しで既に衣類として機能をしていない。髪の毛も顔も服もびっしょりだ。あーと濁点つきで鞄を持ちよろよろとした足取りでが歩き出そうとすると「」と不意に声を掛けられた。が振り返るとほぼ同じタイミングでべし、と何かが顔に当たる。べしん、と微妙に痛い音がして彼女は目を丸くしたが、それは乾いたスポーツタオルだ。
「精々頭ぐらいは拭けヨ〜?」
「……八割仙道先生のせいだと思うんですけど……」
「そんなに頭からまた水被りたいならいつでも協力してやるゼ」
「いや、いいです、全力遠慮します」
思い切りに首をぶるぶると振ったにニヤリと清春は笑って「そりゃー残念だ」と言うとジャケットを脱いで少々だるそうに歩いていった。その服はとは対照的にまるで濡れている様子もない。恐ろしい勢いの反射神経だなぁとぼんやりとは思いながら彼の背中を見つめ続ける。
どこか上機嫌に見えた彼の背中に組まれた手に収まるサンダーバーストストリームの威力は恐ろしいものだ。
けれど、好意的に見れば楽しみながら問題をやれたともいえる。……少しばかり意地が悪いとは思うのだが、矢張り仙道清春は嫌いになりきれない。
「……ほんと、変な人」
思わず呟いたその言葉は、妙に胸に浸透しては薄く笑った。彼が投げつけたスポーツタオルは太陽の匂いがする。彼は本当に、どこまでも、わけが分からない人だ。
その感情を愛と呼ぶのか思慕と呼ぶのか憧れと呼ぶのか、信頼と呼ぶのかは分からないが、仙道清春は「苦手」ではあるが「嫌いじゃない」ということが分かって思わずはくすくすと笑い転げる。そんな彼女にわけがわからず七瀬と真奈美と天童が首を傾げるが、はあえて説明をしないでおいた。
ほんのちょっとだけ、その感情は秘密にしておきたかった。
(2010.06.27)