YAH YAH YAH!
ぐい、と血がついた頬を拭いは顔を上げた。
ナイフのように尖った瞳でまっすぐに相手を見据える。手に持っていたバッドを握りしめ直す。わずかに手が震えたが、それでも必死に握りしめ、前だけは見据え続ける。
息が荒れていた。それでも、はまっすぐと前を見据えている。
ガシャン、と隣に居た男が椅子を蹴り飛ばす。ガラスが割れる。騒がしい声、男たちの怒号。その中で彼は息を荒らしながら、彼らに負けぬように一歩踏み出した。
じゃり、と音がする。ガラスの割れた破片をスニーカーで踏みつぶす。
一人を思い切り殴り飛ばす。彼は簡単に吹っ飛ばされたが、の後ろには既に男が詰め寄り、拳を振り上げる。がつん、と殴り飛ばされ、体が吹っ飛ばされる。
苦悶の表情には代わったがすぐに立ち上がり、右ストレートをお見舞いする。左足を思い切り上げて、蹴り飛ばす。ぶん、と風を切る音がする。うおおお、と怒号が耳につく。
五月蝿い。五月蝿い。はすぐに周りを見渡し、中心角にいた男を見つけ出す。彼は既に戦っていた。挑発的な表情。気の強い笑い方。相手も、また同じ表情をしていた。ぞく、と背筋が凍る。強い。そう体から全てを発していた。
「うおおおお!」
走りだし、拳を振り上げる。殴り飛ばし、殴られる。何度も何度も、どのくらいそれを繰り返していただろう。
息が切れ切れになった時、静かに「カット! オッケーです!」という言葉が響いた。
それまで本気で殴り合っていた男たちが「あー」だの「疲れたー!」だの「大丈夫か!」という声が響き渡る。は着ていた学ランをばさり、と脱いだ。
「お疲れ、君」
「お疲れ様です、思い切り殴ったけど大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。そっちこそ、思い切り背中からやられてたじゃん」
「お陰さまで」
同期の青年は敵対の制服を着ているが随分と気さくに笑顔を作った。
形だけの演舞に近いやり取りのはずが、監督の意向の本気の殴り合いというハードルの高い注文を受け、今こうして彼らは戦いをしていたわけだが――周りはつかれたのかぐったりと座り込んでいる。
もまた、脱いだ学ランを片手で背中に引っ掛け、ふー、とため息をつく。
「おい、なかなか良かったぞ、今の演技」
「日向センセ」
「担任としては鼻が高いぞ、よしよし」
頭をわしわしと撫でられ、思わずは「わあ」と気の抜けた反応を示した。
ドラマの急遽端役が降板したのでと回ってきた仕事。ヤンキーと、その先生のハートフル物語という台本に台詞すらない役だったがはガッツポーズを見えないようにしたのはつい先日のことだ。殴り合い、口の悪いヤンキー。エキストラの「一般人」とまではいかないが、メインにはなれない、そんな役だ。
クラスメイトの一人によく回ってきたと思ったが、彼にとっては演技へのチャンスだった。何だっていい。早乙女学園のコネクションでも、何でもよかった。ただ、演技がしたかったのだから。担任役の、元担任は豪快に笑った後に頭をバシバシと叩く。
「お前の演技は居ると目が行くな」
「有難う御座います」
くん、と彼の話が監督にわたり、ほんのワンシーンだったが彼に対して台詞が増えたのは幸運で、彼はその舞台で言葉を発することができた。勿論、覚えはもらえないような薄い言葉かもしれないが――彼にとっては、大きな一歩だ。
その他大勢から、ひとつの台詞へ。
前へ、前へ進めている実感を彼は得た気がしてしょうがない。たまたま現場に日向の演技を見に来ていたレンと春歌が「楽しそうでしたよ」とうきうきしながら言ったのは、その少し後のこと。
「今からそいつを、これからすぐに、殴ればいんだよ!!」
演技が終わり、ロケが終わり撤収作業を行うスタッフに頭を下げた際、見ていた一般人が目をキラキラさせ「応援しています」とにこにこと笑う。
ファンになってくれたのだろうか。は頭を下げてお礼を言う。彼女は「名前、聞いてもいいですか」と尋ねたので直ぐに自己紹介を行う。ドキドキしてしょうがない。これがプロというものだとも、実感する。
彼女は直ぐにくん、頑張って、と言い残し、他に本命がいたのだろう、メインを張った日向の相手役――いま駆け出し中のアイドル、よりも先輩になる彼へ黄色い声を上げる。
「くん、嬉しそうですね」
「そうか? うん、嬉しかった」
彼は心から、演技の神様ありがとう愛してる、と叫びたかったが、隣でニコニコと笑っていた春歌が話を聞きたそうだったので、先ほどの出来事を言葉にした。
( ああ、本当に、神様、ありがとう! )
小さなガッツポーズをしたにレンが「サインぐらいじゃあ考えておけよ」と笑ってツッコミを入れる。サインを決めていなかったせいでサインすら渡せなかった。彼女は笑って「次までに考えてね」と言っていたが――惜しいことをしたものである。
日向が「お前ら撤収するぞ」という仕切る声に合わせて、スタッフたちに頭を下げる。一つ、また一つ。積み重なっていく気がして、は「楽しかった」と大きく息を吐きながら言う。ゆらゆらと、夕焼けが揺れて、彼らを染め上げた。
チャゲ&飛鳥「YAH YAH YAH」