伏兵はemphatisch
「聖川さん」
「……。何をしてるんだ」
何をしていると聞かれ、は「勉強」とテーブルの上に置かれた教本を指差し、イヤホンを引っこ抜いた。図書館で音をたてることはご法度だが、音漏れに気を使っているのだろう。
楽典にソルフェージュの教本……今更基礎といえば基礎なのだが、は改めて一ページ目から書き写してはまるで女子のノートかと違和感を抱くほどにカラフルに色をマーカーでひいている。
「随分と熱心だな」
「いや、そうでもないよ」
苦笑いに近い形では笑った。
Sクラス、Aクラス、Bクラス……と段階があるこの学園の中で必死にSクラスに齧り付いているの努力たるや波波たるものではないのだろうが、真斗は単純に「凄い」と思う。周囲には色の濃い面々しか居ない中で、よく粘っている。
そういったのもっている「ハングリー精神」は嫌いではない。きっと、この業界では必要なものだ。真斗はの向かい側に座ると黙々と読んでいたページを捲った。随分と使い込まれたそれは彼の私物なのだろうか。オレンジ、ピンク、グリーン、様々なカラーの付箋が貼られている。
「は、作曲コースだったか」
「俺?違うよ」
俺はアイドルコース希望してる。
目を丸くして言うに真斗は驚いた。今まさに勉強している内容はどこからどう見ても作曲コースに必要な基礎的部分だ。勿論アイドルでも楽譜くらいは読めたほうがいいのかもしれないが――、一体何故彼はそんなことをしているのだろうか。
じいと凝視していると困ったようには笑って「俺はどっちかっていうと俳優になりたいんだけどね」と付け加える。
シャイニング事務所の俳優といえば、日向龍也が代表的だ。ドラマ、舞台、トーク。捕われないそのバリエーションと演技力。はにこり、と少なからず真斗が見たことのない笑顔を浮かべた。
「だから、負けないよ」
予想外な一言にドクン、と真斗は胸が高鳴った。好敵手と書いてライバルと読むような、そんな古典的な相手に会えたようなその感覚。
誰にも負けたくないと言ったの顔はたしかに「Sクラス」のそれで。レンのもっているその表情とは違う。
そして、湧き上がる負けたくないという気持ちに、緩やかな日差しがすこしばかり彼らふたりを差し込む。柔らかい日差し。静かな図書室。けれども、間違いなく彼ら二人に火花が散っている。
は持っていたジャケットに袖を通し、ぐ、と伸びをして「俺はもうちょっとやっていくけど、聖川さん、どうする?」と尋ねる。先程の火花はもう跡形もなく姿を消した。
「……お前の歌を聞きたい」
「俺? ……あんま歌は得意じゃないんだけどなぁ。じゃあこの後俺、七海さんに用事あるからその時に」
「七海に?」
七海という単語にわずかに反応した真斗には「へえ」とすこしばかり内心驚いた。
七海春歌に注目している人間は意外に多いということだ。恋愛禁止のこの学園の中で一人の人間に集中する理由といえば――単純に、実力か。はたまた魅せる何かがあるのか。
彼女がどちらなのかはには分からない。そういう人間だっている、ということだ。
「……七海の歌を歌うのか?」
「この学校受験したときに作った曲、歌わせてもらうことになってさ」
「……歌が苦手なのにか?」
苦手なのは克服するんだよ。
苦笑まじりにそう言ったに「そんなものか」と真斗は納得した。そんな会話を二三挟んだ後、二人揃って春歌の元を訪れたのだが、そこには何故か音也、那月も揃っておりのことを驚きながらも歓迎し――気づいたら大合唱になっている状況にまで陥ることになる。
新たなライバルを自覚した、その日。
真斗はいつもよりもどこか、楽しく笑を浮かべた日でもあり、にとってもまた、インパクトの大きな日になった。……そんなこと、お互いは気づかないまま、彼らは歌に手拍子を入れて歌い続けた。
2011.07.24
emphatisch:【独】力強く,表情多く