ひまわりは静かに佇む

「ヨウスケ」

 ぱたん、と持っていたノートパソコンの電源を切ると彼女は顔を上げた。暫くの間沈黙をしていた彼女が動き出したことに驚いたのだろう、フライパンを持っていた手を一旦止めて彼は顔をゆっくり上げ彼女を見据えなおす。
 調理室には似合わなさ過ぎるテーブルの上にどんと置かれたノートパソコンと無造作に束ねられた資料。USBが五本に、CD-ROMが七枚、紙での資料の束。山になりかけているそれらは今にも崩れそうで、それをどうにかこうにかバランスを保っているせいかヨウスケの視線は山に行きがちだ。

「……どうした?」
「飽きたしお腹すいた」

 第一声に何を言い出すのかと思えば、個人的理由にもほどがある理由。思わず無言になれば、ベーコンを焼いているフライパンが油でジュー、と音を立て続けている。
 ははぁ、と溜息をこぼすとノートパソコンを横にずらし、大量の資料を全て丁寧に一つのケースに入れていく。その手慣れた作業をヨウスケはぼんやりと見ていると油が小さくぱちん、と跳ねて指にわずかに触れた。

「っ!」
「どうかした?」
「……チッ、なんでもない。油が跳ねただけだ」
「大丈夫?」
「よくあることだし、問題ない」

 じゅう、じゅう。美味しそうな匂いと、美味しそうな音。その二つには聴覚と嗅覚を鋭くし、そっと目を閉じた。ここ連日連夜終わらない仕事と格闘し続け、途中で現れた敵のデータウイルス型に振り回され格闘し、結局三日間ろくに眠っていない。
 データウイルス型の敵のタイプがあることを知らなかったせいか対応が遅れてしまい、侵食型、戦闘型の戦いの中で身を投じる形になってしまった。データウイルス型ではライダーが戦えるわけではない。物理攻撃ではない、進行を食い止めるデータをその場で作り送り出し、圧縮、沈静化。
 こういうときはライダーに戦闘を任せてばかりのオペレーターならびに技術科の腕の見せどころいったところだろう。モニター画面、配線コード、技術科総出で走り回りウイルスを追いかけ、捕まえ、侵食を食い止めた。その「終わった」という感覚にまだ浸っていたい気持ちも山々だ。
 だが、敵は待っていてくれない。どのタイミングで来るかも分からない以上、万全の準備をしなければ為らない。の手元に次々とやってくる情報を捌いていては一日一日パソコンに向かっていても終わる気がしない。データは毎日更新される。…終わる、という考え自体がそもそも間違っているのかもしれない。
 あー、と全てに濁点がつきそうな声を上げるとそのままはへばるような形で机に抱きついた。
 0と1の文字の羅列だとか、データを数値化したものだとか、先日の精密検査のライダーの情報のリストアップだとか、やらなければいけないもの、はんこを押さなければ為らないものはまだ山のようにある。始末書だってまだ書きあがっていない。
 けれど、彼女の精神はおそらく参りきっている。
 美味しそうな匂いと、ここ連日の疲れと、ついでに次いつ来るのか分からない危機感、緊張感。張り詰めた状態を維持し続けることは疲れることだ。はぁ、とこめかみを押さえるとヨウスケは苦笑いをしながら「あんたでも参ることがあるんだな」と声をかけた。随分な言い草である。は首をどうにかして捻ると彼をじろりと眠っていない充血したその目で睨みつけた。


「……」
「悪かった」
「……ところで、何作ってるの?」
「アスパラのベーコン巻き炒め。……味見するか?」

 ひょい、と一つつまみ小皿に移すとヨウスケはのテーブルに置いた。肉の厚い匂い。野菜を炒めた油の香り。それらは全て絡み合っての嗅覚をくすぐる。胃の中は朝一番に飲んだ栄養ドリンクですっからかんだ。ごくり、と彼女が咽喉を鳴らすと、ヨウスケは無言でちらり、とを見据える。
 両手で箸を持ち「いただきます」と一礼すると彼女は一口でそれを放り込んだ。


「……おいしい」
「……そうか」
「うん、サラダ油じゃないね、今日の」
「ああ、オリーブオイルにした」

 箸をおくとはぐっと首を伸ばし、ふう、ともう一度溜息をついた。いい天気だ。空はどこまでも青く、こんな日に見る海は空に反射して尚のこと青いのだろう。想像するだけで「ああ、いいなあ」と溜息が漏れそうになる。



「仕事、やだなぁ」
「……この後、少し時間借りれるか?」
「え」

 ヨウスケの放った言葉には一瞬理解が遅れた。仕事仕事仕事で疲れていたせいもあるのだろう。ヨウスケをまじまじと見れば、彼の視線は相変わらずフライパンだったけれど、彼は淡々と「少し、あんたはガス抜きをしないと爆発しそうな感じがする」と言い切った。爆発とは随分な言い草な気もするが大体間違っていないかもしれない。
 LAG内での息抜きなんて授業を出たりだとか、昼寝をしたりだとか、少々女子としていかがなものかというものしか出てこないは首をかしげ「何かあるの」とヨウスケにたずねた。
 しかしヨウスケの返答は「まあ」と曖昧なもので、最終的には「来れば分かる」という何とも微妙な結論に行き至ってしまった。微妙な状況、微妙な会話。全てが微妙な中だが、これ以上の仕事を続けたところで持続性はないだろうし、何よりもパソコンのキーボードをそのうち叩き壊しそうな勢いだ。ははぁ、と額を押さえると聊か訝しげにだがヨウスケの「暇なら付き合え」という言葉に了承をした。





「よ、ヨウスケ、ちょっと待って」
「なんだ、体力ないな。……技術科に行ってからあんまり運動してないだろ。体力落ちてるぞ」
「うっ」

 山道を黙々と歩き続けて30分弱。案の定青い空と、覆い茂る青々とした木々。木漏れ日がきらきらと行く道を照らしている中でヨウスケはをつれまわす。まっすぐの山道かと思えばどこからどう見ても獣道に次第に入っていき、は思わず絶句した。
 そういえば以前「歩ければ何でも道だ」ということをタクトに言って怒らせていたことを思い出したが、こういうところは彼の「大雑把というレベルではない大雑把」な性格が出ている。
 ふらふらと上手く足取りがつかめない道をどうにかこうにかヨウスケの黒い髪の毛を目印にしては追いかけていく。そもそも彼は荷物を持っているというのに随分と歩くのが速い。歩調をあわせているのかいないのか微妙なところだが、おそらく合わせていないのだろう。マイペースな性格なのでそこはしょうがない。何よりもそんなことは期待していない。したところで意味がない。
 何度か躓きかけながらもどうにか獣道を抜けると高い薄を掻き分けていく。丈が長いせいでヨウスケが見つからない。まずい。一瞬にして顔を青くするとはぐるりと周囲を見渡した。
 けれども、来た道は獣道。前は薄。右も左も薄。
 ……ヨウスケの姿は、見えない。

「よ、ヨウスケ……ヨウスケ、ちょ、ちょっと待って!」
「なんだ?」

 ひょこ、と薄から顔を出したヨウスケは葉っぱを頭に乗せて、首をわずかにかしげている。ほ、とはその顔に安堵感を覚えたがこれ以上置いていかれるわけにもいかないので、彼の傍にいくと、両手をぱん、と音を立ててあわせると拝むようにして頭を下げた。


「お、おいていかれると困るんで置いていかないで!」

 ヨウスケは一瞬意味が理解できなかったようだが、すぐに何かに気づくと、ああ、と小さくうなずいて開いた手をほら、といいながら差し出した。手を繋げ。意味が分からないほどは愚鈍ではなかったし、彼女も彼女で彼とはぐれるのはどうにかして避けたかったのもある。人目はない。……しかし羞恥心というものがないわけでもなかった。恐る恐る、その手を掴もうとすると痺れを切らしたように彼の手はあっさりと握手をするような形での手を掴みとり引っ張りながらずんずんと道を進んでいく。
 わ、と思わず漏らしながらも道を切り開いていくヨウスケに慌ててもつれる足をは追いかけていく。
 どのくらい薄道を突き進んでいただろうか。やがて切り開かれたところに出ると、思わずは息を呑んだ。
 広がったのはどこまでも広がる青い空。たくさんの向日葵。圧倒されながら進めば、崖から見える青い海。
 絶景。そうとしか言いようがなかった。こんな場所があったことすら知らず、は何度か瞬きをすると潮風を受けながら一歩、二歩とヨウスケが彼女の隣にゆっくりとやってきた。


「この前、山菜を取りに来たときに見つけたんだ」
「……向日葵」

 ざぁ、ざぁ、とやってくる小波の音に耳を傾けながら、ゆっくりと深呼吸をする。ここ数日多忙すぎて忘れていたことが一気に波のように押し寄せ、そして去っていく。
 眠っていないこと、走り続けていたこと、たくさんのこと。考えて、考えて、そしてもう一度はふう、と溜息をこぼす。
 もしかしなくても、気を彼は使ってくれたのだろう。
 ……思わずちらりと視線を配れば、音をたててばち、と視線がぶつかり合う。すぐに彼は海に視線を投げつけるように背けてしまったが、顔が赤いのは見れば分かることで、照れ隠しなことぐらいにだって分かった。
 少しおかしくて、ふ、と笑みをこぼせば「笑うな」と小突かれてしまう。ああ、彼は本当に不器用な人なのだ。


「ヨウスケ」
「なんだ?」
「つれてきてくれて有難う」

 張り詰めていた気持ちが、絡まりあって身動きが出来なかった気持ちが徐々に解れて行く。空は青く、海はその空の青さに反射して青く、科学上いくらでも説明が出来る状態なのに、彼女の心を揺さぶるには十分すぎた。
 細波の音に耳を傾け、すう、と深呼吸を一つすれば潮風が再び吹いて、向日葵と彼ら二人の髪を揺らした。


「――…また、来るか」
「……息抜きに?」
「いや」

 日差しに彼は思わず掌で目元に影を作ると、少し困ったような顔をして言った。

「デートにでも」
「……………はい?」


 鈍感ではない。愚鈍でもない。けれども、唐突なことに慣れていないせいか、彼女は目を白黒させながら、ヨウスケを食い入るように見ることしかこのタイミングで出来なかった。
 もう一度。
 彼がもう一度言ったら、どうやって返事をしよう。
 答えは最初に言われたときから決まっているというのに、彼女は困惑を押し隠すことも出来ず、おろおろとヨウスケを見つめた。
 ゆっくりと唇が開かれたとき、先ほどとは異なる強い強い風が吹き――彼の言葉は少しかき消されてしまう。それでも彼女の顔を見れば、伝わったことは明確なようだ。


B A C K

「ひまわり」の花言葉:「あこがれ」 「私の目はあなただけを見つめる」「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」