めぐり、めぐれ
※ 翠炎×真奈前提です ※
暁月にとって、その女は実に面妖で不可解だった。
言う言葉ひとつひとつが妙に悟っていて、とてもじゃないが「好き」な部類とは言いにくい。
だが、彼女の言葉は適格で、ぐさりと時折鎌で自分の心を抉る。まっすぐに見つめるその瞳は負けん気の強さから御使いを思い出させるのだ。
「暁月」
「――なんだよ」
「……少し、寒くなってきたね」
何気ない会話。とても、ゆるやか過ぎる会話。
月の出ない夜に一人で出かけるなとあれほど多くの人間に言われていたにもかかわらず、どうしてこの女は外に出るのだろうか。やりきれない苛立ちからため息を暁月はつくと、彼女は、緩く笑った。まるで暁月が苛立っているのを分かっているように。
「ねえ、暁月。……貴方は軒猿よね」
「……当たり前のことを聞くな」
「そうだね」
軒猿とは、妻帯も持たない、家族も持たない。ただ一人で生きている世界。はぼんやりとその話を耳にしながら持っていた扇をぱちん、と閉じる。考えていた言葉もすべて、その扇と同じように閉じこんで。
穏やかな風。ゆるやかな会話。ゆるやかな表情。男女が並んでいるというのにそこに甘さはなかった。ただ、は緩やかな声で言う。
「帰還の時は近いのかもね」
翠炎が死んだ時、彼女は取り乱さなかった。ただ淡々と「そう」とだけ返して、泣いている真奈に手ぬぐいを差し出して彼女の「泣く場所」を与えた。真奈は翠炎のことが好きだったのだろう。それは暁月も薄々感づいていたけれど、軒猿は恋をしない。
偽装で妻を娶っても、それ以上でも以下にもならない。翠炎が彼女に妹の面影を見ていたのか、それとも彼女自身を見ていたのかまでは分からない。
けれど、なら、何か分かるのではないかと思った。
答えのない答えを求めて、それが故に彼女の元を訪れる。けれどもはそんな暁月のことをとっくに見抜いていて、そして静かに言うのだ。いつもと何も変わらない喋り方で、いつもと変わらない、まるで今日は晴れた空だというばかりの口調で。
「私の知っている翠炎は、真奈のことを大切にしている一人の男だったよ」
彼女は軒猿と呼ばない。軒猿は人ではない。忍だ。暁月はそのことを何度も言っているのに、彼女は変わらずの笑顔で言う。
別に人扱いしちゃいけない法律があるわけでもない、だとか、ああ言えばこう云うだ。しかも、尋問されても絶対に答えないはずの答えを引っ張り出すのだから性格が悪い。何故そんな引き出す能力があるのか、どこかの忍びかと尋ねれば腹を抱え笑っていたのを思い出す。
翠炎が死んで、真奈は憔悴しきっていた。そんな真奈をは見ていられないのだろう、この世界から帰る日を彼女は計算し、静かにじっと待っている。
暁月はそんなを見ていて、そっと自分の中にあった感情に対して鍵を掛けることを決意した。これは、きっと叶わないものだ。願ったところで意味などない、と。月のない夜でも暁月の髪は目立つ。ゆっくりとは暁月の隣に立ち彼の髪をぐいと引っ張った。
「いてぇ!」
「ねえ、暁月。髪の毛頂戴」
「はあ?!」
「……だめ?」
突拍子も無い彼女の要求に思い切り暁月は馬鹿かと呆れた声を上げる。
緊迫していた雰囲気とは変わりすぎた彼女の言い分に、思わず呆れた。何を言い出しているのだろうか。
ちぇ、と笑いながら彼女は言うと指を離す。
「暁月」
「今度はなんだよ!」
「……好きだよ」
え、と彼が聞く前に彼女はにこりとまた笑って、付け加えるように「髪」とまるで最初から分かっていたかのように言う。
からかったな、と暁月が睨んだのに対して彼女は苦笑いをして頭を振る。からかった覚えもない。単純に――自分だけが、幸せにはなれないということを彼女は決断したからだ。暁月が必死に鍵をかけたそれを自分が取り除くわけにはいかないから。
しん、とした空気の中では扇を開いた。
「――戻ろうか」
「ったく……」
暗いから。そういって暁月が差し出した手を彼女は受け取り、ゆっくりと歩き出す。
静かに、穏やかに吹いた風。菩提樹が静かに揺れる。
「ねえ、暁月」
「あ?」
「――また、迎えにきて」
待ってるから。彼女はそう言うと握っていた手をぱ、と離し、暁月の横をすり抜けて一歩前へ出た。穏やかに笑うその姿に暁月はぽかん、となり、次に「ああ」と苦笑を浮かべる。
一瞬だけ、暁月は目を丸くした。その時のが随分と泣きそうな顔をしていた。
宵闇に隠れて分からないが、彼女はたしかに泣きそうで、それでも笑っている。
、と彼が問おうとすれば草木をかき分けるようにして道を踏みしめて、踊るようにくるくると回って歩き出す。まるで飄々とした蝶蝶のようだ。
「ほら、前みてねーと転ぶぞ」
「うん」
そうして――朝はまた、来る。
想いを直隠しても、誰が死んでも、生きても、それでもまた、朝は来る。と真奈が去った後、暁月はと歩いた場所をなんとなく歩いた。さらり、と風が吹く。菩提樹があの時と同じように揺れて、心のなかに沈めた感情がふつふつとまた蘇っていく。
柔らかな日差し。
そこで暁月は静かに笑った。笑っているのに、涙が一筋だけ落ちる。泣く理由などなかった。親友が愛した女が、きちんと元いた場所に帰れたから。親友の愛した女が、親友を忘れないと言ってくれたから。
そして、が、ここではないどこかで、誰かと幸せに笑っているのだから。それだけで――彼にとっては嬉しい筈なのに、彼は泣いた。
彼女との最後の会話を思い出す。迎えに来い。最後の最後に彼女はそういった。その意味を暁月は理解し、悔しそうに「やられた」と呟く。
それはつまり――……追いかけてこい、ということだ。来世。450年後。随分と先の未来だ。その未来には真奈が、がいる。ちゃんと見失うことはないようにと彼女たちはまるで自分を試しているような言い方をしていた。
そこには翠炎の生まれ変わりもいるのだろうか。「妹背は二世」というのだから、きっと真奈の横にいるのだろう。そう思ったら、暁月はなんだかとても悔しくなって仕方がない。今を精一杯生きたら迎えにいって文句言ってやる。ぐいと頬を拭うと音もなく彼は去っていった。
愛の言葉なんてものを交わした覚えはない。
それでも――それでも。
鍵をかけて、しまいこんだその気持ちをきっと、彼女は見抜いているのだろう。
「くっそ!来世で覚えてろ!」
憎まれ口をたたきながら、彼はにやりと笑い、ぐっと背伸びをひとつ。
そんな彼を見守るように菩提樹が静かに揺れていた。