ふたりきり、雪の中


深々と降り積もる雪を見上げながらは沈黙し続けていた。羽織りと首巻きだけでは矢張り寒い。
袖に手を入れてこすりあわせながら、雪が振り続ける空をぼんやりと見つめていると、周囲の全てに音が消えたような錯覚に陥る。

―― ひとりきりだ。

淡雪のように溶けて居なくなった神子達を見送りながら、毎日こうして空を見上げる彼女の瞳には見えるものなどたかが知れている。
為すべきことは山積み状態だ。彼女が生きていく術で手にいれたものの一つだから、仕方ないのだろうけれど。些か、辛かった。
やれやれと溜息をこぼせば後ろからばさりと何やら温かいものが被せられる。


「……何してるの、君」
「リンドウさん」


怪訝な顔をしたこの屋敷の主に、は直ぐに姿勢を正す。星の一族、と言われる一族の末弟だというリンドウはどうやら時空を遡れないらしい。
故に、ここでこうしてと共に待っているだけの日々だ。
神子が戻ってくるまで一日か、一週間か、それ以上か。


「鼻、赤くなってるよ」
「ああ……すみません、醜態を晒しました」
「別に良いけどね。風邪引かれたら困るから」
「……ああ、毛布」


今しがた被せられた毛布に気づき、は深々と礼を言った後、それを羽織の上から肩にかけた。それだけでも幾分か温かい。
息を吐けば白く彩られて世界を染める。
その光景がどことなく儚く見えて、ゆらゆらとは虚空を見上げたままだ。
を観察していたリンドウは呆れたように「君、いつまでそうしてるつもり?」と尋ねるとやっと彼女は顔をリンドウに向けた。臙脂色の毛布は雪が舞い降りるせいか白く、そして染みを作る。


「いつまで……考えてませんでした」
「あっそ」
「ただ」


ゆきたちが戦っているのに自分が何もできないのが時折非常に歯がゆくて。苦く言うにリンドウはそれ以上何も言わなかった。
真っ白に染まる地面。
ゆらゆらと揺れる世界。
ただぼんやりとしたの瞳に何が映っているのか、興味深かった。


君」
「はい」
「あんなにも神子は無力だ」
「そうですね」


淡々とは言う。
神子が無力であること。自分が無力であること。すべてが思い通りにいかないこと。すう、と息を吸えば肺に入る空気は冷たく、彼女をより冷静にさせた。
視線をリンドウに戻せば、リンドウはどこか飄々とした笑みを浮かべるばかりで彼女を見つめている。


「……君は、あんな神子の力になっていて、何になると思っているんだい?」
「私は」
「そうまでして、龍馬君の力になりたいのかい?」


彼の言いたいことはの本心を貫いた。リンドウは知っているのだ。坂本との出会いを。
けれど、は小さく首を振る。
がどうであれ、坂本がどうであれ、彼女が「ここ」にいるのであれば理由は簡単だった。
龍神により呼び出されただとか、細かい話はどうでもいい。もう決めたことなのだから。



「……私は、不完全だからこそ人は美しいんだと想います」
「……それは、世界の危機が迫っていなければね」
「では、リンドウさんは何故神子の力に?」


彼女の問に彼は何食わぬ顔で答えた。
世界を滅ぼされたくない。だから神子に加担する。
あけすけのない物言いに、は薄く笑う。嘘であることがわからないほどは鈍くはない。
掌を空に翳せば、静かに雪が彼女の指に触れる。


「しもやけになってもしらないからね」
「大丈夫です、火鉢で温めます」
「……あ、そ」


君って、変だよね。
繰り返し「変」と称すリンドウには苦笑いだけを返すことにした。
異世界に取り残されている自分たちが滑稽で、どこか同志にも似た奇妙な感覚を覚える。リンドウは相変わらずの格好でそれこそリンドウのほうが風邪を引いてしまうのではないかという疑問が頭をよぎったので、そのことを彼女が問えば随分と呆れた声が帰ってくる。どうやら余計なお世話だったらしい。
はぁ、とついた溜息はほぼ同時で、白い息が重なりあう。
掌は既にかじかんで、淡い桜色に染まる。


君」
「はい」
「……少し、僕に付き合ってよ」
「え?」


手招きされて、立ち尽くしていた庭からゆっくりとはリンドウを追う。
リンドウは決して歩みを合わせてはくれない。どうやらそれは心情らしく「気が合わないのならそれはそれで個性」というものなのか、にもゆきにも、他の人間たちを前にしても、何も変わらない。
スタンスの違い、と思わずが言えばスタンスの意味が分からないのか頭の上に疑問符を乗せたチナミが意味を問いてきたのは数日前のことだ。
やがて庭から縁側へやって来ると、縁側の縁は随分と暖かく感じられた。どういうことかと顔を上げれば彼は矢張りというべきか、飄々とした表情を浮かべていて彼女に言う。

――……寒いんだよね、と。


「いえ、寒いのは分かるんですが」
「君、そこにあるの何か分かる?」
「……酒、ですね。……まさか」
「ご明察」


頭のいい子は好きだよ。
はにかんで、縁側に座ったリンドウには思い切り溜息をつく反応で返す。
術が施されているのか、随分と暖かく感じられるこの空間に置かれた酒は、どこからどう見ても熱燗のそれだ。別に、成人している男なのだから何一つとして問題はない。……問題は、ないのだけれど。


「何も今、ゆきたちが戦っている中でなくても」
「いや、今はどうやら戦っていないみたいだよ。つまり、君の取り越し苦労」
「……」


呆れた、というべきか、安堵したというべきか。
どちらとも言えない溜息を付けば、くつくつとリンドウは心の底から楽しいのか笑ってみせる。睨みつければ悪気はないよ、と肩を落としてくるのでもう何も言えやしない。


「……もしかしなくても、見抜いてましたね」
「君の性格上ね、絶対何もしないが出来なさそうだし」
「……まぁ、そうですが」
「いいから、おいで」

隣を指さされ、自然とは文句を言うのを止めて腰掛けた。
じんわりと温かい状況に思わず現代に変換して「床暖房……」と呟いてしまうと、リンドウは随分と興味深そうに此方を見てくるのではそれとなく、床暖房のことを話せば実に楽しそうに彼は笑った。
熱燗を差し出され、思わず彼女は受け取ってしまう。
……やってしまった。
顔色を変えれば彼はにやりと意地の悪い笑顔浮かべている。……もはやに退路は残されていない。
心の中でゆきたちに詫びながら酒を煽ると熱燗の独特の熱さに体がじんわりと火照る。

「……おいしい」
「そうだろうね、いい酒だから」
「……どうして、私と?」
「さあ」

ただの気まぐれかもね。
静かに笑ったリンドウの姿はどこか儚気では息を呑む。少し長い前髪がさらりと揺れて、目が細められれば普段は見えない「色男」と言われる姿にも納得が行く。
彼が飄々とした佇まいの裏に何を考えているのか、には分からなかった。

君」
「……一献だけですよ」
「優しいね、君は」
「……そうでしょうか」
「少なからず僕よりは優しいんじゃないの。甘いとも言えるけど」


君は龍馬君に似ているから。
熱燗から注ぎながら言うリンドウにはほんの少し躊躇いの表情を浮かべた。ここにはいない、戦いにいった人々。
異世界がどんな状態なのか、どんな風に作られているのか――は識らない。その世界はの世界でもあるはずなのに、戻れないのであれば仕方がない。
術が施されている中で外の雪景色を見ながらはぼんやりと思う。
この世界を救う龍神。そして龍神に選ばれた神子。陽の神子、陰の神子。そしてそれらが交わった応龍。
選ばれる人間は二人だけ、そして白龍の神子を支えるための八葉、星の一族。
そこに、自分はいない。


「……君?」
「はい」
「君、顔色が良くないけど」
「そうですか?……冷えたんでしょうね」

リンドウは黙って彼女を見ていた。
全てを察したような目で沈黙し、そして、最期まで何も言わないでいた。
は熱燗を口にしながら、雪を見続ける。見送り続けることしか出来無いのであれば……その中で自分ができることもある筈だと確信して。
リンドウがそっと彼女の頬に手を当てると、随分と彼の手はひんやりしていた。あまりの冷たさに目を細めるとそのまま彼の指先は彼女の頭へと伸びる。

「よしよし」
「……子供じゃないんですから」
「君が子供みたいに泣きそうな顔をするのが悪いんだよ」


大人しく撫でられてなさい。
犬猫を撫でるようにの頭をくしゃくしゃにしてリンドウは矢張り笑う。
泣きそうだった気持ちがふわりと軽くなっていく。は持っていた徳利から手を放しリンドウを見上げた。彼はいつもと変わらぬ飄々とした表情を崩して、少しばかり驚いていて何やら幼くも見える。はほんのすこし、自分の手を彼の撫でていないもう片方の手に添えた。矢張り彼の手は冷たく、の心をすっと冷静にさせてくれる。
不思議な人だ。
誰もいない、がらんとした庭にふたりきり。

彼らの内側に密やかに眠る気持ちに被さるように、深々と、雪が振り続けていた。