流れる雲よりもはやく

モクジ

 雲が流れる蒼穹を縁側で足を投げ出しは口をあけて見つめていた。優雅かつ平和な一日すぎて退屈――といえば随分贅沢な悩みだ。
 不意に、足音が聞こえてきて彼女は身を起こす。足音からその主が誰かを判断すると緩やかに伸びをし姿勢を起こす。

君」
「やっぱり、帯刀さんでしたか」
「……ふうん、足音で分かったんだ」

 手に書簡を持ち歩いてきた小松には「ある程度なら」と濁すようにして答えを返すと投げ出した足を正座に組み替えた。けれどすぐに「別にそのままでいいよ」と彼は返し彼女の返答を問わずして隣に腰掛ける。
 随分と落ち着いたその佇まいに自然とは緊張する。そしてそれをきっと見抜かれているのだろう。小松は表情を崩さずに腕を組んだ。

「君は留守番?」
「ゆきが体調が悪いということで、見張りです」
「その割に自由そうだね」

 ぐさ、と何かが突き刺さった。おそらく彼は嫌味を言っているつもりは皆無なのだろう。藩邸で退屈そうに足を延ばしていては確かに羽を伸ばし休んでいると思われても仕方がない。
 だが実際はすることがなかった。
 ゆきは目覚める気配もなく、ただ静かに眠っている。まるで童話の姫のように、静寂に包まれて彼女の周りだけが真っ白な光に包まれるように。
 はその邪魔をすることもなく、隣の部屋でぼんやりとしているしかない。その間に恐らく坂本はあちこちを情報収集と日本をまとめようと動き回っていることであろうし、瞬と都、チナミは其れに付き合わされているだろう。
 桜智も彼なりに考えがあるようで、他の人間は仕事。つまり、はすることがない。

「何か手伝いましょうか?」
「手伝ったらゆきくんが見れないだろう」
「……そうですよね」

 ぴしゃりと鞭のように言い放った言葉は容赦も隙もない。苦笑を浮かべた後にはもう一度先程見ていた雲の流れを再び目を細め、見始める。
 緩やかに、静かに、時折吹く風に押されて雲は流れていく。

「……空なんか見て、何か面白いものでもあった?」
「え」

 気付けば小松は書簡に目を通している。に視線を移すわけでもなく、どうやらここで仕事をするつもりらしい。物好きだ――と思う一方でこんなに心地が良いならば仕方ないとは即判断し、「いえ」とだけ返す。
 流れる雲は白い。雨が降るような雲でもなく、ただなんとなく、眺めていたかった。

「雲を見ていると、自分たちは雲よりももしかして変わっていくのが速いんじゃないかなと思ったんです」
「……そう、私はてっきり君が遠い空の向こうにいる思い人のことでも考えているのかと思ったんだけれど」

 ぐさり、と彼の言葉がまたの心を刺した。
 彼女もまた、異界よりの旅人だ。この空で繋がっているかと聞かれれば答えは否だが、時折空を見上げては家族、友人、知人、周囲の人々を思い出していることを小松はどうやら見抜いているようだ。
 太陽が彼ら二人を照らす。縁側の板は日を浴びて温かくなっていた。さらり、と板の目をなぞれば決してフローリングのコーティングがされているわけではないのにどこか、つるり、と滑る。
 藩邸で一体何を話しているのだろう、と少しは自身を呆れかえらせたくなったが、すべて小松に良いように転がされている。
 そもそも、藩邸に何故ゆきが泊り込んでいるかと言えば、藩邸に来ていてそのまま倒れたからで、土佐藩だった坂本の傍に居るがここに居るのは矢張り「違和感」があった。希有な目で見られていることにも自覚があったが、彼女を抱きかかえ移動したならば間違いなく瞬、坂本を筆頭に怒られるだろう。
 何より病人を勝手に動かすわけにはいかない。ゆえには藩邸に居る。
 しかし先程からすることがなくぼんやりとしていては薩摩藩士に声をかけられているのも事実で、どうしたものだろうかと口元に手を当てては気付けば考え込んでいた。

「……くん」
「え?」

 そのせいだろう。
 ずっと小松が書簡に目を通しているとは思いこんでいたのだが、小松は静かにを観察していた。
 ピチチ、と鳥の鳴き声が聞こえてきて、が考え込んでいた空気をガラリと変えるように彼は尋ねた。

「流れる雲よりも早く変わっていくのなら、私たちは何のために変わっていくのかな」

 唐突の、それも予想外の小松の問いには目を丸くした。
 彼がそんな詩的なことを聞くとは思わなかったのもある。けれど彼は実に興味もなさげに書簡に変わらず目を向けている。
 ――不思議な人だ。
 はしみじみとそう考える。ゆきの傍にいるとき、坂本の傍にいるとき。他の人間に居るとき。彼はいつだって余裕の表情を浮かべて、時に呆れた顔をしている。
 けれどの前では笑うというよりも、どこか試すようなことが多い。


「――そうですねぇ」


 は少しばかり考えるように視線を空に戻す。手を空に向けて、少し影を作る。まるで「飛行機」のように手を動かし、小さく笑い手を戻し、膝を叩く。
 多分、と付け加えた上で指先をちっち、と振る。


「人間は止まってられない生き物だから、じゃないですかね」
「……そうだね」

 流れる雲よりもはやく、人は変わる。
 それがいいのか、悪いのかは分からない。はその答えをはじき出して小松を見ると少し驚いた。
 彼は、とても穏やかに笑っていた。持っていた書簡にはもう目を通していない。驚いて言葉に出来ずにいると彼はとても可笑しそうに言う。

「君は私を全くなんだと思ってるのかな?」
「え」
「……まぁいいか。ほら、君。戻るよ」

 まだ昼餉を取ってないだろう。
 彼はそこまで言うとの返答を待たずして立ち上がりスタスタと歩き出してしまう。慌てては立ち上がると待ってくださいと小松の後を追った。
 随分と小松が楽しそうに目を細めて笑っているのに、は背中のせいか気付かない。
 流れる雲よりもはやく変わっていく。止まっていられないから。決して合理的な響きではない。どちらかというと女性的な――感情的な、感覚に近しい。
 ぱたぱた、という足音と、鳥の鳴き声が奇妙な組み合わせで響き合う。
 二つの足音は少しずつ近づき、そして揃っていく。
 ゆきが目覚める、数時間前の出来事。


2011.04.18
モクジ

-Powered by 小説HTMLの小人さん-