海にたゆたう献花

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「帯刀さん」
「……やぁ、君か」

 坂本龍馬が連れてきた女御に、彼は見覚えがあった。なんでも行き倒れていたところを中岡慎太郎とともに連れて帰り、手当をさせれば喋る言葉は異国の言葉が時折混じるという。
 初めて会った際、彼女は底が知れないと思った。同時にどんな反応をするのか見てみたいと言う知的好奇心に近しいものが疼く。掌は空気に触れた血が黒くなり、固まっていて非常に「綺麗な手」とは言えない姿をしていた。

「どうしたの、その手」
「ああ……今しがた、怨霊にやられて」

 ゆきたちと別行動をしていたら、これです。やれやれと両肩を落とした後、は持っていた本を自分の傍らにおいて腰掛ける。書物は恐らく蘭学書の類だろうが、彼女がそれを把握できるとはとても思えない。
 どちらかといえば、中濱萬次郎の話とともに勉学を勤しんだほうがいいのではないのだろうか、と小松は思うのだが彼女に其れを言ったところで小松に対しての利益は特にない。そもそも彼女は「坂本」の連れてきた人間だ。信用を仕切っていいのかも分からない。
 けれど、一人きりで闊歩しているのを見てはいそうですかと放り出すわけにもいかない。

「君は馬鹿なの。一人でのこのこ歩いてもいい場所ではないことぐらい、分かると思うけど?」
「……まぁ、それもそうなんですが」

 は少しばかり困ったように笑って、海が見たいと思って、と返した。海なんて何が珍しいと言うのだろう。小松はあきれ果てた。物見遊山でもしたいというのだろうか。この御時世に。
 馬鹿だ馬鹿だとは言っていたが本当にそこまで短絡的思考を持っているとは思っていなかったのもある。仕方がない、溜息をこぼすといやでも、と慌てて彼女は手を振り言い訳を始める。
 海は繋がっている場所だから、という何とも言えぬ抒情的な表現に其れは唯の自己満足に過ぎないだろう、と彼は淡々と返す。言葉の一つ一つを合理的に、冷静に返していく小松に彼女はぐうの音も出せず顔を暗くさせた。

「……龍馬は」
「あ、坂本さんならゆきと瞬君と一緒に出かけましたよ」
「ふうん……。それで、君は一人で残された、と」
「……まぁ、そんなところです」

 異界から来た少女。ゆきや都を見ていると彼女もそういった不可思議な能力を持っているのだろうか、と疑問になるが彼女は残念ながら善良なる一般市民なのだと言う。
 しかし善良な市民が坂本龍馬と共に行動をするだろうか。取り残された彼女は苦笑いを繰り返し、いい天気だと目を細めて空を見上げるばかりだ。空に焦がれる鳥のように、なんともいえぬ哀れさがあったが小松は同情をしない。それは決して合理的ではなく、そして彼女のためにもならないからだ。

「海で、献花してきました」
「……献花?」
「知人が、海難事件にあいまして」

 彼女の言う海難事件に小松は思い当たる節があった。海援隊の面々が水難にあい死亡した一件は耳に挟んでいる。末端の末端とはいえ、彼女も「拾ってくれた人間」の都合上、海援隊と名乗っても良いだろう。当然、死んだ連中の中に彼女の知り合いがいても可笑しくはない。
 は、手を膝の上に乗せて「人の死って、悲しいもんですねえ」と淡々と返す。
 彼女たちの元いた世界では「死ぬ」という概念は少し薄いらしい。いつか人間は死ぬ。事故だったり、殺されたり、方法は様々だが死ぬ時は死ぬ。は頬杖をついてブッダあたりが助けてくれればいいのにと、ぼんやりつぶやいた。

「君は、仏を信じているわけ?」
「困った時の神頼み、ですよ」
「ふうん」

 傷だらけの手をぶらぶらとさせながら、は空を見上げてばかりだ。
 青い青い澄み切った空は彼女の目にはどう映っているのだろうか。彼女の生まれた場所、育った場所とここは違う。すべてが違うのだと言う。それはゆきたちと同じなのだろうけれど、彼女のように誰かがいるわけでもなく、孤独に耐えている。けれど、彼女はけろりとした口ぶりで言うのだ。命があるだけでも御の字だと。
 ふう、とため息をついたに小松は「何をぼうっとしてるの。……それで?」と話の続きを促す。


「あー、えっと、海難事故にあった人たちの弔いを何もしてなかったので、せめて花だけでもと」
「そう」

 殊勝な行為なことだね。小松はそういっての手をちょん、とつついた。傷口は大きいのだろう。思わず彼女は言葉にならない言葉をあげて、歯を食いしばり痛みに堪えるように縮こまる。
 その姿は少し可笑しかったが、笑ってやることはしない。努めて、冷静に。かつ穏やかに。小松はそう心がけて目を細めた。

「そんな怪我までして、一人でやって、弔いがしたい、ねぇ。それとも死んだ中に好意でも寄せてる人間がいたとか?」
「まさか。あり得ないですよ」
「そう? 男女なんてものは分からないものだよ」

 はい、手をだして。
 そういって自身の手を差し出してきた小松には目をぱちぱち何度か瞬きをさせると血まみれになっていない、綺麗なもう片方の手を彼の手の上に乗せた。瞬間、小松はもう一度「君は馬鹿なの」と淡々と聞き返してくる。
 その手をはたき落とすようにしてもう一つの、傷口が塞がっていない、血がこびりついた手を拾い上げる。うわ、とが声を上げたのも完璧に無視だ。

「綺麗な手が、台無しだね」
「何言ってるんですか、坂本さんたちに剣術叩き込まれるせいでぼろぼろですよ」

 決して「綺麗」とは言えない手で、怨霊に傷を負わされた手ではあったが小松はほんの少し、楽しそうに笑った。
 その笑顔には思わず目を丸めて「何が楽しいんですか?」と率直に質問を返してみる。小松は矢張り笑うばかりで応えてはくれない。そんな言葉の応酬を繰り返していると彼は持っていた手拭いで彼女の手をぐい、と拭った。

「いっ!?」
「我慢」
「いいいいたいですって!」
「聞こえなかった? 我慢」

 穢れにやられたのかは分からないが彼女の手の甲からは血がまたじんわりと出てきていて、空気に触れて黒く染まりあがった血の他に鮮やかな赤が手拭いを再び濡らす。痛いです。とが小さくこぼした。

「痛い思いをしたくないなら、少し控えると言うことを知るべきだね」
「……帯刀さん」
「何?」
「……なんで、やってくれるんですか?」
「さあ。存外君のことが気に入っているからじゃないの」

 は驚いて顔を上げた。そんなことを言われたのは初めてだ。小松はそんなの表情が楽しいのか、さらりと伸びた髪の間から見える切れ長の目を細めた。この娘と言い、龍神の神子といい、面白い。
 動揺しながらは掌をぷらぷらと手首から以降上を動かす。先ほどより痛みも、汚れも引いた。

「帯刀さんはどこからが本気かさっぱりですね」
「私はいつでも本当のことしか言わないけれど?」
「……掌で人を転がさないでください」
「さぁ、君が勝手に転がっているだけじゃないの」

 ああ、ああ言えばこういう。
 は溜息をこぼすと手を先ほどはたかれた手でそっと守るように添えて、有難うございましたと頭を下げる。本来なら瞬に頼むようなことだ。だが彼はゆきを守るという使命が最優先である以上、聊か頼みづらい。
 さざ波の音が、どこかから聞こえた気がした。
 ふいには目を閉じて、ふうと笑う。異界に来た自分が生きていて、異界で生きている人間が死ぬというのは不可思議な運命だ。

「ああ、でも」

 不意に、小松が何かを思い出したかのように指を口元に持ってきて、すぐにふわりと笑った。その笑顔はとても穏やかに見えて、予想していなかったからこそドキリ、としてしまう。

「献花してきたからだろうけど、君からは花の香りがする。……血を浴びても、尚」

 彼の言葉はどこか艶めいている。何を唐突に言い出すのかとは狼狽したが、頬を紅潮させて「からかわないでください」と眉を顰める。けれど彼は笑うばかりだ。

「からかわないでください。怨霊の件なんですが、やっぱりゆきに言ったほうが良いです……よね?」
「彼女は神子だから、当然だね」
「……あんまり無理させたくないんだけどなあ」
「だからといって君が何か出来るわけでもないでしょ」

 彼の言葉は艶めいていて、そして容赦がない。
 ばっさりと切り捨てられ、はそうですけどねと諦めにも似た溜息をこぼす。自分に出来ることと言えば精々坂本龍馬の代わりに借りてきた猫状態になることと、勉強ぐらいで、怨霊の言葉や神子の苦しみを代わってやることなど出来もしない。そんなこと、自身が一番分かっていることだ。

「――それでも、君がいることで状況は少し変わるんじゃないの」
「え」
「…………まぁ、微々たるものだろうけれどね」

 信じられないとばかりに目を向けるに、小松は笑った。彼女はどうやら小松のことを鬼か何かと勘違いをしているらしい。

「弱っている女性に厳しい言葉ばかり浴びせると思ってるの?」
「…………いや、あの、意外で」
「それとも、君自身が女性だということを忘れているのかな?」

 予想だにしていない言葉の数々に慌てては「大丈夫です分かっています」と振り切り礼を言いながら脱兎の勢いで去って行った。
 取り残された小松は何やら楽しそうにやはり笑い、彼女が忘れて言った蘭学書を手に取る。どうやらまだまだを弄るきっかけはあるようで――関わることをやめられそうにはない。
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