酔っ払い協奏曲



彼女の指先はまるで画家のそれと大差ない、と守は考えている。
実際今目の前にしている女はどこからどう見ても田舎出身者の人間には見えなくなっており、銀座で遊んでいる女学生らと何ら変わらない洒落た雰囲気を作り出していた。
当人といえば硬直したままで、の道具が彼女をなぞるたびに、まるで猫のように体を跳ねて目をじっと固く閉ざしている。

「ふむ……それで、その朱を塗るのか?」
「瞼の上に少し乗せると、開いた時に少し華やかに見えるんですよ。色は……涼し気な色がいいですかね。水色とかどうでしょうか」
「俺に聞くな」
「おはるさんは、好みの色ですとか、ありますか?」

ぱち、と瞼を開けるとそこには幾つもの化粧道具を持ったと、そんな悠生を呆れたように見ている守の姿があった。はるは好きな色と言われて「ええと」と一瞬躊躇ったが……化粧師が言うのであればもうそれに従うしかない。
特にないですと首を振ると彼女は自分の言った水色の化粧品を掬い、はるに目を閉じさせる。
音を立てて瞼の上を何かが走る感覚はどうにも慣れないものではあったが、あっという間にそれが終わると次に彼女は頬に何か柔らかい生地のものを押さえつけて、すぐに離した。
守の質問に答えながらとはいえ、彼女の指先ははるを振り回すに十分であり、の声がやっとかかって瞼を開けると言いようのない脱力感と疲弊がどっと押し寄せてきたのである。


「いかがでしょうか、こんな形で」
「ううむ……俺にはわからん、が、参考になった」

小説のモデルになって欲しいと守に呼び出され、会わされた女に玩具にされ、はるには何が何だか分からないが……どうやら彼女と守は旧知の仲であるのか、まるで知音のようなやり取りを何度も繰り返している。
化粧道具一式を片付けながら、手鏡をがはるに差し出してきたので、はるは恐る恐る自分の顔と対面してみる。……そこには、やはりというか「自分ではない」誰かが立っていた。


「あの、え、え?」
「やっぱり濃すぎましたか? あまり化粧をなさらないとお聞きしたので張り切っちゃったんですが」
「濃いのか」
「濃いですね」

女性的といえば、女性的なのですが。が守に化粧品の説明をしながらはるを立たせ、どこに何を使ったかを教えていく。
化粧の濃さ云々というよりも、「誰かに施される」ということが初めてである以上固まらざるを得ない。加えて、守も至って真面目にあれはどこでこれは何かという名前を確認していくので、動くこともままならない。
暫くの間の化粧談義に付き合わされ、開放されると彼女は少々申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません、お付き合いいただき有難うございます。私が自分でやって説明をしてもよかったのですが……」
「貴様が自分でやっては俺が確認できないだろうが!」
「……ということらしいので」

おはるさんに付き合っていただけて本当に助かりました。
晴れやかな笑顔を浮かべるに、はあ、と思わず同意してしまうが、そもそもの話、は初対面である。なのに、何故こんなにも打ち解けているのだろうか。化粧を施されたからかわからないが、はるは頭を下げ、己の仕事に戻ろうとしたが――、守にその行く手を阻まれてしまった。
恐る恐る、何でしょうと尋ねると彼は繁繁とはるを見つめ、「感想は」と尋ねた。

「えっと、あの、自分じゃないみたいです」
「ふむ……女は化粧をすると化ける、というやつか。ならばさしずめ、貴様は妖かし使いか」
「己のため、殿方のため綺麗であろうとすることは今も昔も変わらないものですよ、守さん」
「……ふん、女というものはわからん」

その女性に対して本を書くというのだから、驚きである。
はるが部屋を出ていくと、はくつくつと笑い、守が腕を組みこちらを見据えるさまを目を細めていた。

「何が可笑しい」
「いえ、宮ノ杜にあんなに行くのを渋っていらっしゃったのに、分からないものだなあと」
「……
「失礼しました。でもご当主はよろしいんでしょうかね、私を上げて」
「さて。……どうせ宮ノ杜の狗が嗅ぎまわっているのだ、問題あるまい」

狗、がどれを指しているのかは分からなかったが、は周囲を伺うようにしながらも守の話に耳を傾ける。
当主は何を考えているか、相変わらず掴めないらしいが――……。


「ご兄弟とは仲良くされてますか?」
「する必要もなかろう、あ奴らは俺がいづれ殺す相手なのだからな」

ふん、と笑った守を他所に少し先に悲鳴が響き渡る。
……思わず守とが顔を見合わせると足音がどんどんと近づいてきた。


様!」
「な、なんだ貴様は!」
「おはるさん!化粧もう崩れちゃったんですか!?」


全く両極端の反応に、化粧がぐちゃぐちゃに崩れたはるはめそめそと泣きながらにそうなんです、と泣きついた。……一体この短期間に何があったのか、守とが顔を見合わせていると「どこいったのさ!あのゴミ!」と元気のいい声が帰ってきた。


「六男か」
「ああ、あれがお噂に聞く、ええと、まさし、様でしたか」

やいのやいの声を上げる六男の声と、釣られてやってくる別の男たちの声。
……はるに化粧を落とすに適した石鹸を渡しながらは安心させるように背中をぽん、ぽんと叩いた。

「折角ですし、お化粧をしたら今度は街を歩いてみてください。きっと皆が振り返りますよ」
「そうですか……?でも」
「ええ、胸を張ってください」

元祖、女性は太陽なのですから。
朗らかに笑った彼女にはるは頷くと、守の部屋の扉が勢い良く開く。


「おい御杜!ゴミ来てるんでしょ、出しなよ!」
「何、おはるちゃんお化粧したんだって〜?また皐月やる?」
「ええい貴様ら人の部屋で騒ぐな!」

やいのやいの言い合う兄弟に馴染む守の姿に、思いがけずは吹き出した。
口先で殺すだの何だの物騒なことを羅列しているが――彼は十分、ここで馴染んでいるようにも思えて仕方がない。

「えっお客さん!? しかも女の子。……何、守くんってば、隅に置けないね」
「なっ、この女は違う!」
「あーあ不潔」
「違う!」

ああだこうだと言い合う彼らを他所に、ははるに化粧を落とさせるために逃し、ゆっくりと守の少しずつ変わっていっているさまを目の当たりにすべく、観察を続けた。
……気づけば、二人が三人に増え、最終的には守よりも歳上であろう兄、に部類される眼鏡の男に挨拶までされてしまった。

「いえ、宮ノ杜様には度々お世話になっておりますから」
「ああ、舞踏会とかの時に静子さんたちの化粧をするために来る子じゃん!今気づいた!」
「あ、はい。お世話になってます」

「やだー守君そんな子に手ぇ出してたのー!?」


違うといっているだろうが!
今にも抜刀しそうな勢いで激昂する守に耐え切れず、ころころと声を立てては笑ってみせた。

ああ、そうだ、多分、彼はきっと。
ここに来て、良かったのだ。

笑うな、という叱咤の声が聞こえてくるが、耐え切れずにはくすくすと笑い続けた。


2012.06.17