とある書生との対談
「つまり守さんは本来ならば宮ノ杜の家の四男であったと」
そういうことでよろしいのでしょうか。復唱したに守は頬杖をつきながら同意した。丁寧に画材のように色とりどりの化粧道具をしまい込みながら、守の会話に耳を傾ける彼女は彼の言葉に「そうですかあ」と呑気極まりない返事を返す。随分と重々しい会話だというのに、彼女の空気は穏やかでついでに言えば守も特別意識している様子もない。淡々と会話が繰り広げられていく。化粧道具の櫛を仕舞うと一息ついたのか彼女は守に振り返った。
少しばかり訝しげな顔をしている守がどこか少し新鮮ではあったが、眉間の皺はない。
「それで、宮ノ杜家のご兄弟として入ると」
「……そういうことになるな」
「あれだけ厭がってたのに分からないもんですねえ」
「やかましい」
何かお考えでもあるんですか、という彼女の問いに彼は応えることはなかった。も答えを期待していなかったのだろう、この家はどうするんですかと直ぐに次の話に繋げていく。この家は宮ノ杜の援助もなく彼が度々世話になっている大家との付き合いも母を通し何年越しにもなる。
「この家は引き払わない。……所詮、あの家に長くいるつもりもない」
「はぁ」
「故に、。お前に頼みがある」
人に頼む態度には決して見えないのだが、という彼女は内心指摘したが、はあ、と曖昧に返事を返す。
概要はこうだ。必要最低限の荷物だけ持っていくが、連中と馴れ合うつもりもなく、彼には「目的」のためだけにあの家に行く。故に、その他の荷物……例えば、桐箪笥の中にある衣類。執筆途中の草稿。作家としての持ち合わせ。後は部屋の掃除。それらをに持ちかけたのである。……当然、彼女の顔は一瞬曇った。いくら付き合いが長いといっても男の部屋においそれと入り、部屋を片付けるなんて、どこの邸の使用人だ。家政婦だ。
「……あの、守さん。私嫁入り前なのですが」
「うむ、そうだな……なんだ、嫁に行く予定でもあるのか」
「ないですけどね」
余計なお世話です、と付け加えたに守は薄く笑った。
彼女との会話は波長が合うらしい。彼女に家のことを任せたと言えば渋々ではあるが、彼女は首を縦に振りぐるりと部屋を見渡す。
「貴重品は置いておかないでくださいね。後刀とかどうするんですか?」
「最低限は持っていくつもりだ」
「危ないですから……はあ」
宮ノ杜に飼われている犬は少なくない、最低限の対応は出来るようにしたい。
守は薄く笑いながら原稿に目を通していく。散らばった草稿から、連載のためのメモ用紙。どれが必要でどれが書き損じか分からない。は話の流れが出来ているものを読みがてら、守の走り書きを手早くまとめていく。
「貴様こそ、化粧道具に毒でも混ぜておけば早々に殺せるであろうに」
「私は暗殺者になった覚えはないですから」
「全く、惜しいものだな」
「惜しく感じないで下さい」
阿吽の呼吸で会話を弾ませる一方で、の手元は紙だらけになった。紙の束を丁寧に方向を整えてまとめた後、文鎮で抑えこむ。守は愛用している眼鏡を机の上に置き、をじっと見据えた。自然と彼女も手を止め、彼を見据える。暫くの沈黙の後、どちらかともなく笑い出すと柔らかい風が頬を撫でた。
「ああ、風が出てきましたね」
「、宮ノ杜の犬やらが来ても追い返すように努めるように」
「ううん、難しいご注文をなさいますね」
よく言う、と彼は笑った。
はほんの少し、側にいながら守の考えが掴めず、苦笑いを浮かべると守が「頼りにしておく」とそっけない一言を述べるので、仕方なしに溜息をもう一度こぼす。彼と付き合い始めてから何かにつけては溜息の回数が増えた気がしないでもない。文句を言っても飄々と通り抜ける風の如くのらりくらりと守が流すのでの杞憂で済んでしまっているのが現状だ。文句を言っても取り越し苦労以外の何物でもない。
「まぁ、尽力は致します」
「うむ。……本来であればお前をつれていくことも考えたのだが」
「あら、連れて行かれたとしても出来る事などありませんでしょうに」
守は必要以上に人を踏み込ませたがらない。それは生きていく術の中の一つに弱みに付け入られることを避けているのだろう。は素知らぬふりを繰り返しながら、彼との距離感を常に図っている。守は小さく笑うと彼女の商売道具である化粧道具を小さく小突く。ハイカラな作りをしている箱は軽いこん、こんという音を響かせる。
「お前が居ると飽きない」
「……褒めてます?」
「ああ、それはもう」
少々胡散臭い言い方をする守に対しては大げさな溜息をついて「貴方っていつもそうですよね」と笑った。
変わっていく時間を見つめながらはやがて観念し、守から鍵を預かると襖を開ける。質素な部屋には思いがけないほどの物騒な武具の数々。ジト目で振り返れば、気まずいような、何とも言えないような乾いた笑い声だけが響いてくる。
……前途多難なのは、どうやら目に見えているようだ。
「……やっぱり私も宮ノ杜様に参りましょうか、どうにも心配なのですが。何なら本条院様にお願いを――……」
「いい、いらん!というかお前も仕事と私情を挟むな」
本条院トキはにとっては実にいい給金をくれる得意先だ。守と知りあうよりも早く彼女に化粧師として雇われたもので、守にとっては異母兄の母であるということを聞いた際は寝耳に水だった。守はぶっきらぼうに余計なことは詮索するな、心配するな、問題などない、と三点を述べるとそのまま横になってしまう。
「守さん」
「俺は寝る。……お前はどうせここの片付けをして、夕餉も取っていくのだろう?任せた」
「任せたって……ああ、もう」
仕方のない人。呆れたような、可笑しいようなの声に守は片目だけ開けて「元からだ」と小さく笑った。
(2012.04.29)