振リ回サレ、浪漫須
いつから勇兄さんのことを?
そう尋ねられて彼女は盛大に持っていた急須を落としそうになった。何を言い出しているんだ、慌てて顔を上げれば茂はにこり、と品の良い笑顔を浮かべている。
思わずは声を失うが、直ぐに平静を取り戻し、持っていた急須から茶を注いだ。彼女が注ぐ急須からは玄米茶の独特の香りが鼻をくすぐり、より彼女を落ち着かせてくれた。
茂は頬杖をつきながら指折りで「もう何年も前からずーっとそのまんまだからさあ」と軽やかに笑う。
は目線でだけ茂を追いかけつつも、直ぐに急須に視線を戻し、湯のみに茶を淹れながら淡々と別に、と切り返す。素直じゃないと笑ったのは茂の隣に居た博だ。
お土産に羊羹を持ってきたことを彼女は心の底から後悔したが、後悔先に立たずとはよく言ったもので、は自分で茶を淹れていた。恐らくこの状況を見た宮ノ杜家の使用人なら卒倒するだろう。心の底で千富に詫びながら、彼女は3つの湯呑みに茶を注ぎ、夫々に渡す。
「あ、俺お茶漬け食べたくなってきた」
「後ではるにでも頼めばいいでしょ」
「そうだよ博。今はちゃんの話なんだからさ」
まだその話題を続けるつもりなのだろうか。
閉口したを他所に喜々と茂は問いただす。内容はおおよそ先ほどと同じ、勇との馴れ初めと勇に恋心をいだいたのかというすべてが「勇」関連の話題だ。
は顔を引きつらせながら逃げ道を模索するが、出口は二人の向こう側、すなわちに逃げ道は存在しない。話をごまかそうとするが、そこは二代目揚羽と名高い茂には太刀打ちなど出来るわけがない。
観念したように両肩を落とすと茂は「よろしい」と上機嫌に笑った。
茶はある。羊羹もある。
長く話をするには十分過ぎる環境だ。
「……元々はそんなに良くなかったけど」
「まぁ、会って早々に喧嘩したって伝説だもんねー」
「はに戻ったばっかだったんだっけ」
「そう」
の息子娘たちが死んだ直後、……すなわち、にとっては叔父、伯母らに該当する。
彼らや、その息子たちも含めて、すべてがまるで何かに呪われたかのように死に絶えていった頃のことである。
と両親はそれから会っという間に引き取られ今の屋敷に住まうことになる。
見合いが持ち上がったのは既には女学生として学校に通っていたのだが家柄のこともあり転校させられて環境に不慣れで居た頃のことだ。まるでその為だけに引き取ったのだと言わんばかりの縁談に、彼女は祖父に大してあきれ果てた。
「別に結婚が厭だってわけじゃなかったけど」
「嘘だあ絶対嫌だったんだ」
巷では恋愛結婚だ何だと騒がれて、モダンガールが主流になり始めている中での結婚。にとっては矢張り実感がわかなかった。
確かに、恋愛結婚には憧れていたし、モダン的な西洋の知識やものへの憧れもある。結婚と言われても、博が言うように二つ返事で……なんて彼女には出来ず、結果、会うだけ、と念押しし実際に会ったのが勇である。
彼は当時はまだ大佐ではなかった。
その時の出会いは決して世辞にもいいものとは言えず、会って早々に鼻で笑われ、さんざんコケにされたことを覚えているせいか、の顔がより険しくなった。
「大佐は穏当に家のことしか見てなかったし、私も嫌だったんだけど」
「でも、なんでかわからないけど好きになっちゃったと」
「……そう面と向かって言われると、その、恥ずかしいんだけど」
不思議なものである。
最初の出会いの衝突具合は今でもは手に握った湯呑みの感覚を覚えている。茶を投げつけようとしたのだ。ああ、そうだ。思い出して思わず笑った。
血気盛んな自分の性格と、短気で猪突猛進な勇の反りが合わないのは目に見えて、「とりあえず若い者同士で」となった瞬間には猫をかぶることもなく、勇にずけずけと言い放ち勇は勇で彼女に対して鼻で笑ったのだ。こんな小娘相手に時間を費やしているほど暇ではない。今でも一言一句覚えている自分に対しては嫌気が差した。
「……なんで本当、あの人なんだろ」
「そりゃあ恋は異なもの、味なものォ、ってねえ、いうし」
噺家のような喋りで持っていた扇子を軽く叩く茂の姿に思わず博が笑った。この兄弟は随分他人ごとのように笑っているが、一歩間違えればとの婚約は彼らだった可能性もあるのに……。が言葉にすれば茂は飄々と軍人は軍人同士の結びつきを求めるものだから、家の兄弟の中でなら勇がの縁談にあがるのが最も自然で、最も納得が行くのだという。
頬杖をつき、は窓へちらりと視線をやる。テラスには真っ白な鳥が時折止まって、そして羽ばたいていく。
「恋愛結婚、まだしたい?」
「……分からないけど」
「けど?」
大佐は、嫌じゃない。困惑しながらも答えを弾きだしたに、茂は満足気に微笑んだ。
随分と回り道をしているが、矢張り女は男よりも悟るのが速い。
は真っ直ぐに勇を見つめていたし、貼り合ってもいるがこうして自分の答えを導きだしてしゃんと姿勢を伸ばしている。
「いい子だねえ。兄さんが後はさっさとお嫁にしてくれることだね。あーでも兄さん結婚したがらないからなあ」
「じゃあさ、が別の兄弟と結婚するーって話しが上がった、とかにすれば?」
「は?!」
突如として言い出した博の提案に茂が悪乗りし、あみだくじで選ばれた長男正との縁談話には脳がついていかない。今の話をまるで二人は聞いていなかったのだろう。
部屋にやってきた正に事情を説明すれば案の定梅干しを食べたかのように酸っぱい顔をして、次にの予想通りの言葉を返してくれた。
「付き合いきれん」
「……ねえ」
全くを持って。
苦笑いしたに正がそんな遠回りなことをせんでもいいだろうがと何食わぬ顔で言ったので、は両肩を落とさずには居られない。
言えたらどれほどに楽か。
「ねえねえ、ちゃん、お見合いやっぱりやったほうがいいよねこういうのって」
「茂さん、そういうのは家の問題であって……」
「あっ、父さんには許可貰ってきたよ、ついでに俺と博に1点ずつ貰っちゃった」
「何?!」
もう意味がわからない。
彼女は頭を抱えた。
まさかの当主争いにが巻き込まれ、案の定点数が追加されたことに対して納得のいかない勇が乗り込んできてしっちゃかめっちゃかになったのは、これから直ぐのこと。
「よいか、貴様は軍人の娘たる態度をもってだな、もっと自覚をするべきである!博と茂の話を鵜呑みにするな馬鹿馬鹿しい!」
「いや、だから、あの、鵜呑みも何もないわけで」
「大体貴様は俺の許嫁だ、分かっておるのか!」
「えっ」
婚約は四年前、相互の意見の一致により速攻で破棄されたはずだ。
以降と勇は幾度も色々な人間と見合いをし、縁談が持ち上がっては蹴り飛ばし、終いには「もう一度会ってみるのはどうでしょうか」と彼らの奇妙な関係に目をつけた一族が勝手に縁談をまた持ちかける。実際と勇での見合いをした数はそろそろ片手では足りなくなりそうだ。
会ってのお楽しみ、からの強制ほど彼らにとっては「嫌な予感」なのも珍しい。
そんな状況だからこそ、勇の口から「許嫁」という言葉が出てきたことがには驚きで、何度も彼の顔を覗き込んでしまいたくなる。
「なんだ」
「大佐、私と大佐って許嫁なんですか」
「そうだろうが」
「……そうだっけ」
そうなんだっけ。
思わず博と茂を見れば、彼らはもう笑いが止まらないのか腹を抱えている。
「つまり、何が言いたいかというと」
「はい」
「……貴様は俺の許嫁だ」
さっきも聞いた、そして許嫁ではないような気がする言葉だということは、彼女はあえて言わないでおいた。というよりも、言い出したくても声が出ない。
頬が火照っていて、言葉もでない。視線も合わせることも出来ず虚空を見ていると頬を片手で触れられ、その後顎を持ち上げられる。思わぬ至近距離に身を硬直させたが、勇の目が随分と真剣で、その深い色に吸い込まれそうなほどの錯覚を覚えた。
「ゆえに、正との婚約は許さん」
うまく、彼女は言葉を返せなかった。はい、と言いたくても声が出ない。ゆっくりと頷けば持ち上げられた手がそっと離される。手袋越しの熱がまだ残っているような気がして、彼女はそのまま垂直に落ちていく。
絨毯の上に袴をつけてしまう形で座ると、あーあ、だの何だのという茂たちの声が聞こえてきた。ようやく頭が活性化し始めて、顔を上げると困った顔をしている勇が居る。
……今の出来事を振り返ると、もう顔を上げられない。困惑して、口を何度もぱくぱくと金魚のように動かせば勇は直ぐに仏頂面に変わった。
「大佐、そのように凝視したらが動けんだろう」
「……む、そういうものか?」
「……大丈夫か、」
目線だけで正が此方を見ている。は軽く頷いた後に体を起こし横目で勇を見る。
矢張りというべきか、彼は仏頂面のままだ。何が面白くないのか――わからないわけではない。
自分は駄目で、正はいいのかという嫉妬なのだろう。突き刺さるような視線で正を見据えている。彼は米神に今にも手を当てそうなほどだ。
「大佐」
「なんだ」
「……不束者ではありますが、何卒今後共宜しくお願い致します」
そんな言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。兄弟たちはそろってよく似た顔つきで目を丸めたものだから、何だかおかしくては頬を緩めた。