見てわからないですか。
にこやかに笑ったに正はこれみよがしに溜息をひとつついた。
何故このような展開になったのか、説明に困るため省略するが、結論から言えば彼は今遊ばれており、その遊んでいる張本人はどうやら楽しんでいるようである。
袖を丁寧に片手で抑えて、正の眼鏡を興味深そうに見据えた。爛々と輝く瞳が時折眼鏡にかかる光を反射し、より輝いた。
物好きな女であると頬杖をつきながら観察をしていれば彼女は思い出したように眼鏡をテーブルに置き、振り向く。その一連の動作を見ていると子犬が円舞曲を踊るようにくるくると回っているように見えた。正さん、と彼女の言葉に漸く現実に引っ張り戻されて、何だと問えばは掌を彼の前にそっと出す。
なんだこれは。
二度見すれば、彼女はにこっと笑顔を浮かべる。
腹のたつ笑い方だ。
手を伸ばせば頬に触れる。少し強く押せば弾力で跳ね返ってきたので、何度かそれを繰り返すと腹の立つ笑い方をしていたの顔から笑いが消えて柳眉が上がった。
両手を広げていた状態のまま、表情だけ強張らせるので、おかしくて少し笑えば何とも言えぬ唸り声が返って来る。
のような態度を見れば、誰がどう見ても拗ねているようにしか見えないのだが……それでもやはり彼女は違うと主張する。は眼鏡ではなく湯のみを手にとって茶を啜る。
一連の行動に合わせて、仕方なしに正も茶を飲めば未だ冷めきってなかったのか中途半端な温さが残る。
こくん、と飲み干す。
眼鏡を奪い取り、かけ直せばは何だか可笑しいのか、矢張りくつくつと笑った。
目を細めて、くしゃりと笑う姿は子供のそれと大差ないもので、年齢を改めて問いただしたくなるものだ。
は淡々と最近起こった摩訶不思議な出来事を語る。幽霊だ、何だという言葉に思わず手が止まった。幽霊といえば先日はるの住む村にある旅館に幽霊が出た。無論、そんなものを正は微塵足りとも信じてはいないのだが、如何せん弟たちが幽霊たちと会話をし始めるものだから思い出す度に薄ら寒くなる。
今もぞくりと背筋が凍ったが、見ないふりをして咳払いを一つ。
電車に乗り込んでくる幽霊、本屋の前で本屋を覗く幽霊、ダンスホウルで踊る幽霊、鹿鳴館へいこうとする貴婦人の幽霊。指折り数えていくに思わず頭を抱えた。
どこからそんな情報を仕入れてくるのだろうか。半ば呆れて観察していれば彼女は気づいたように恥ずかしそうに笑う。
会話内容のどこに恥じらいを見せるのか、まったくをもって正は分からなかったので、とりあえずあしらうように分かった、分かったと繰り返す。
というわけで、と区切りを一つつけるとは深々と頭を下げた。
「……幽霊と遭遇した時ってどうしたらいいんでしょうか」
「……怖いのか」
「怖いですね」
正さんの眼鏡でどうにか出来ないかと今策を練っていました。真顔で問い返すに心底彼は呆れた。眼鏡でどうにかなるのであればとっくに誰かが幽霊退治をしているだろう。
一瞬脳裏を勇や進が通り過ぎたが、彼らにこの話題をすれば最後間違いなく巻き込まれることを正は確信した。しかし、困った困ったと顔を渋めるも放って置くわけにはいかない。
……そもそも幽霊の話を何食わぬ顔で話しているのに怖いというのは何事だ。
訝しげに考え込んだ正を観察しながらは幽霊の話をまたいくつか上げ始める。このお屋敷にもいらっしゃるかもしれませんね、なんて呑気に言うが全くを持って冗談にもならないのでやめていただきたい。
「策は出て来なかったが、送っていくことぐらいならしてやっても構わん」
「……それで十分です」
「そうか」
「はい」
ようやく妥協策として正が上げた案には真顔で頷き、手際よく用意を始めた。そんな時だ。
ゆらり、と何かが蠢くのが正の目に飛び込んできた。
静かに揺れる橙の灯火に思わず息を呑んだ。大体電気を使っている現代に灯籠の灯だなんて、と思う反面背筋が凍る。
否、あれは千富たちだ。そうに違いない。
必死に冷や汗をかきながら、を見ればはぽかんと口を開けて“そちら”を凝視していた。
の名前を呼べば彼女はその指で真っ直ぐ、虚を指さす。……嫌な予感がして、しょうがない。正は彼女の手を奪い取るとぐいぐいと引っ張り、直ぐに屋敷を出る。
運転手が困惑したようにどちらへ、と尋ねたがそんなものはどうでもいい。
今直ぐ、とにかく、どこにでもいいから、逃げ出したかった。
宮ノ杜の長男が聞いて呆れると言われようが、怖いものは怖い。そもそも正の周囲に見える人間が多いのが悪い。
は状況がまだ把握していないのだ、正に「やっぱり、いたんですね」と、随分と淡々といいのけた。
……彼らが銀座を車で徘徊した後、やす田にやってきて呆れた茂……基揚羽と一夜そこで飲み明かした結果、見れない人間たち同士でどうにかしなければと膝を突き合わせて相談をしている姿が時折目撃されるようになったのは――また、後日談である。