小説家 ト ハイカラ娘
薄紅色。 韓紅色。
は空に舞う紅葉を見上げ、ほうとため息をついた。見事なまでの紅葉に心も鮮やかになる。うっとりと見上げていれば下らんと一蹴され彼女はぐるりと振り返った。
目を三日月のように釣り上げた先には軍服を纏った状態で何食わぬ顔で日本酒を煽る勇の姿があった。そして、その隣は随分と不機嫌そうな書生の姿。
彼ら二人を見た後には露骨に嫌そうな顔を浮かべる。
「……なんだ、その顔は」
「別に。大佐も御杜君もてんで女心を理解しないなあって」
今更だからいいけど。彼女の睨みなど意味はない。
すぐには視線を紅葉に向けて掌を空に向けた。そんな露骨な彼女の態度に、何なんだと勇は眉間に皺を寄せ、守は心外だと文句を言う。
「」
「なんですかー女心を理解しない大佐と、女心を理解しない小説家さん」
やる気のない返事に勇の睨みが強くなるがはまるで気にはしない。
団子を口に含みのんびり野点で茶を楽しむ。……大層不機嫌に見えるのは気のせいではない。
風流なことこの上ない。熱燗を飲む勇を見た後に、守に彼女は声を掛けた。
「御杜君は小説進んでるの?」
「言われんでもやっているが、騒がしくてな」
「ああ、宮ノ杜五月蝿いから」
大佐とか、大佐とか、後大佐とか。
指を折り数えるようにが言うと、いかにも、と彼は頷き返し次男とか、次男とか、後は次男が騒がしいな、と彼は繰り返す。
存外、宮ノ杜守という人間がは嫌いではない。寧ろおそらくは人間としては好ましい人種だ。人殺しの男で、勇を撃った男と聞いた際には驚きもしたのだが実際問題、話してみるとそんなに恐怖心はない。宮ノ杜の人々より下手をすればはよほど守との会話が進んでいるのではないか――とそんな錯覚を覚えるほどだ。
彼は、おそらくはと同じである。人を殺す殺さないの違いはある。そしての場合は両親の問題ではあるが、どちらにしても絶対的圧力をかけられながら、家を恨み呪いそして振り回されて生きてきている。
故に、彼女は気づけば「御杜君」と彼を呼び、話をするようになった。決して「宮ノ杜守」を認めていないわけではないのだが、どうにもしっくりこない。以前それを尋ねれば好きにすればよかろう、と帰ってきたのでそれに倣っている。
「貴様ら……放っておけば言いたい放題言いおって」
「事実じゃない、大佐が五月蝿いの……」
「なんだと」
「大佐、もう参拾参ですよ? 私いい加減心配になってきます」
はると同い年であるとて、嫁に行き遅れた年齢なのだが、彼女ははるとは異なりあまり気にしている素振りはない。縁談が来ても相変わらず片っ端から断っているというが、その理由は何なのか守は首を傾げる。そして、その割には彼女は勇につっかかるのだ。今もこうして、彼の揚げ足をとっている。
「貴様に言われる筋合いなどないわ、斬るぞ」
「そんなことばっかり言ってるから、当主になれないんですよ……」
「なにか言ったか」
「御杜君、そういえば、以前エゲレスの本を種本にした話書いていたけど、あれはどうなったの?」
会話の骨をここまでわかりやすく折るに守は内心感心した。どことなく彼女のはっきりとした物言いは母を思い出させる。もっとも、と母は少しも似ていないのだが。そんなやり取りを送りながら、は最近読んだ江戸川乱歩という小説家について嬉々としながら語る。
どうみても、勇の額に青筋を立てているというのにまるで気にしない素振りをしているあたり、勇に心を開いているのか、はたまた喧嘩を売っているのか、些か組取り難い。
「『D坂の殺人事件』の素人探偵、明智小五郎が良いの。読んだ?」
「探偵小説か……そういえば以前出版社からそのような雑誌を貰ってな」
「あの作者、きっとこれから沢山書くわ。新聞小説とか書いてくれないかなあ、毎日きちんと読むのに」
最近の新聞小説は少し面白みがない。目下情を交わすシーンの多い小説ばかりが取り立てられ、明治の頃に比べてはだいぶ読む人間は減った。キネマの台頭や舞台が増えたこともあってなのだろうが、それでもは些か不満だ。
「……そういえば御杜君は新聞小説は」
「久しく書いては居ないが……俺はもっぱら雑誌だな」
「そう」
「……おい、」
「あれ、大佐」
まだいたんですか?
団子をひょいと食べながら尋ねたに彼はついに抜刀した。……よほど無視されたことが腹立たしかったのだろう。青筋を立て、不機嫌を露骨にした勇には何が何なのかわかっていないのか、守に理由を求めるように首を横にする。 可笑しな二人だ。守は熱燗をちろり、と舐めながら「知るか」とだけ返しておくことにすると、すぐに二人の口喧嘩が始まる。……が、言っていることは支離滅裂であり、とても参拾参の男が言う台詞ではないものが飛び交う。それに対抗するも大人気ないといえば大人気ないのだが。
「そんなだから貴様は行き遅れるのだ」
「あっ、人のこと言えないじゃないですか、大佐の年の方は皆子供がすでに小学校は行っていますよ」
「貴様ぐらいの女子もすでにややがいるものだ、なのに貴様とくれば西洋にかぶれた挙句に洋行を試みるなど、言語道断である」
「女が洋行してはならないなんて規則、聞いたことも見たこともないわ、いいじゃないの別に」
勉強をしたい。
世界を見たい。
色々なことを感じたい。
まるで夢物語で、おそらくが男であったのならばこれほど頼りになる男もいなかったのだろう。
……と、思うと同時に、男であったのならばこんな縁もなかったのだろう。
ぎゃあぎゃあと騒がしかったのだろう、抹茶が茶碗の中で揺れる。熱燗を飲みきり口元が少しばかり寂しい守は茶をごくり、と飲み干した。二人が喧嘩をする横で紅葉が色鮮やかに映る。
「男が妬くのは見苦しいぞ、次男」
「誰が何に妬くのだ莫迦莫迦しい!」
これを妬いていると言わずして何というのか、守は知らない。……が、おそらくは勇に自覚はないのだろう。
彼女は勇にだけはつっかかり、勇にだけは吠える。逢引をするだとか、情を交わすだとか、そういったものがまるで無縁に見えるせいか、彼らに色恋なんてものは夢のまた夢に思えてくる。
は髪にひらひらと紅葉が乗ったがそれに気づかず「大佐ってば本当に女心も秋の空もまったく理解していないんだから」と文句を言う。その頭についた紅葉を勇がそっと取れば猫が逆撫でされたかのように跳ね、驚き目を丸くし大きく後ずさった。生娘であろうその態度に思わず勇が笑うと、彼女はきいきいと今度は文句を言い出す。
「大佐とまた縁談あがっても絶対絶対、断りますから!」
「フン、当たり前だ莫迦め。誰が貴様のようなじゃじゃ馬と結婚などするか」
「勇さんとあったら、御杜君とがいいですって言いますから!」
がっと茶碗を持ち、勢いよく茶を煽った後、はぷいと背中を向け大股気味に歩いて行く。
取り残された勇は座りなおし不機嫌そうに熱燗を煽った。
……正直なところ、守からすればどちらもどちらであり、そんな色恋沙汰を百戦錬磨の勇がしているとは到底思えず、思わずクククと音を立てて笑ってしまう。
『秋桜浪漫須』の次は堅物かつ素直ではない大日本帝國陸軍大佐と、ハイカラかつこちらも全く素直ではない、名家を飛び出し駆け落ちをした罪深い夫婦の娘の物語でも良いかもしれない。メモにそんなことをさらさらと書くと題名に、ふと彼は顔を上げた。
「『軍人 ト ハイカラ娘』……よし、これだな」
「なんだ、それは」
「いや、『軍人サン ト ハイカラサン』の方が良いか……?」
「おい、御杜」
全く世界に帰ってこない守を横目に、勇は先ほど言われた言葉に理解しながらも全く認めたくない感情を抱き、店主に一番強い酒を持って来い、と無理難題な注文を押し付けた。
彼ら三者三様の思惑を知るは、赤、橙、黄、と色鮮やかに染まった紅葉たちと女心のように移り変わる秋の空ばかり。
ガリガリと頭をかきながら構想を練る守が後日編集者にその草案を持って行くと大層喜ばれ、早々に次の題材が決まってしまったのは言うまでもない。
更に、その小説が月刊で出た際、元々御杜の小説を読んでいるが名前を変えながらも「名家の長男でありながら、使用人と恋に落ち、駆け落ちをした後に生まれた娘」という設定に思い切りパーラーで読んでいた際紅茶を吹き出しそうになり守に詰め寄っていった光景が見られたが、てんやわんやで自分の感情を認めざるを得なくなり流れとして何故か勇にその感情をぶつけてしまったというのは、また後日のことである。