ソレハ、何トイフ感情ダッタカ


「……なんだ、。久しいな」

 宮ノ杜家の当主が勇に決まり、慌ただしく一年が過ぎ春に使用人だったはるが宮ノ杜家の嫁に入ってしばらくたっての事だ。久しく足を運んで居なかった家の娘が客室にてソファーに座り優雅に茶を飲んでいる姿を確認し、勇は少し驚いた。
 女學校を出て以降、髪を切り、街中で歩いているモダンガールそのものとして颯爽としている姿をはるが喜々としながらモダンガール特集でが出ていることに対して嬉しそうに語っているばかりで実際に会ったのは実に結婚式以降初めてであろう。


「お元気そうで何よりです」

 にこり、とが笑うと幼さがまだ残るその表情に僅かながらに勇は安堵した。
 外見は変わったといっても実質中身はまだ子供のようで、紅茶と共に出されたシュウクリイムをフォークで上手く切って口に運んでいる。手がべたつかないようにうまく食べているあたり、勇がシュウクリイムを食べる際に苦戦をしたのを思い出させたが、はぱくぱくと口に放り込む。


「フン、貴様も変わらんな」

 彼女の向かい側に座り、足を組むとは「そうでもないです」と苦笑を浮かべ紅茶を呑む。
 今彼女は女學校を卒業して雑誌の編集者になったと耳にした。
 流行の最先端を行き、雑誌にが載った際のはるの喜びようは異様ではあったが、考えてみればはるも久しくに会っていないという。ならば当然といえば当然だろう。


「……貴様は結婚をしないのか」

 ふと、思ったことを勇は真っ直ぐ彼女に聞いてみた。
 自分や正と同じく片っ端から縁談が来ては切り捨ててきただが、結婚すると視界が変わる。のその強い意志はどこか着ているのか不思議ではあった。
 正は男であり、彼も男である。けれど、は女である。家は跡継ぎがしかいない。故に彼女が結婚をし一族繁栄をするしかない。
 は言われ慣れているのか、苦笑いを浮かべた。

「大佐から言われると心外というか、余計なお世話ですと言いたい気もしますが……そうですね、考えてはいます」
「そうか」

 正直なところ、意外ではあった。
 といえばじゃじゃ馬で、突っ走り気味で、子供であったが、結婚について考え、動いているという。
 数年前であれば冗談ではないと騒いでいたところであろう。
 勇は特別続きを語るわけでもなく、使用人が出してきた茶を自分もすすった。

 はすっと姿勢を正すと、頭を下げながら「お世継ぎ誕生、おめでとうございます。大佐」と本日の来訪の理由を言う。
 はるが世継ぎを生んだ。そのことに一番喜んだのは他でもない勇ではあったが病院に毎日通い最終的にはトキに帰れと訴えられたのはつい先日のことだ。つまり、彼は、この時明らかに浮かれていた。

家一同お喜び申し上げます」

 にこにこと言うの態度に「ありがとう」と言おうとした彼の手が止まる。彼女は誰だ?
 であって、自分の知っているとはかけ離れていた。
 家のことなど口に出すような人間ではなかったはずなのだが。礼を述べるとは矢張り笑って「いえ」とだけ言った。


「はい?」
「……やはり前言を撤回しよう。変わったな」

 女というのは恐ろしいものである。しばらく見ない間に少女は大人になりもはや別人だ。
 は勇の言葉に、嬉しそうにそうでしょう、と頷き返した。


「私も変わったんですよ」
「……も、とはどういうことだ?」
「大佐が先に変わったから、負けてられないなと思ったんです」

 勇とといえば、会えば口喧嘩を始まるというのに、彼らは随分穏やかな空気で数年前の自分たちが見れば「薄ら寒い」と騒いだことであろう。の胸には金色の鎖がつながっている。懐中時計だろうか。は勇にくすくす笑うばかりで、彼女の言葉がどこからが真実であるかなどは勇にはわからない。

「私と口喧嘩をしていた時の大佐よりずっと落ち着かれたなあと思います」
「……そうか」
「母のこともありますので、これからが大変だと思います。……ちなみに、家ははるの後見人になっても良いという考えです」

 の両親は身分違いの恋に落ち、駆け落ちをしたという。
 家は彼らを勘当したが、家に残った残りの息子、娘たちはコレラにかかり、皆床に伏せ、そして死んだ。現在の当主はの父であり、の父からすれば、はるが細君と被って見えたのだろう。の話に涙を流し合い分かった、とさらりと文面を書き上げにそれを渡したのである。

「……ありがたく受け取っておこう」
「ええ。お力になれることがあれば、言ってください」

 彼女は随分と穏やかに笑うようになった。
 家は軍との繋がりも大きい。特に海軍に関してはの、特に中将の名を知らぬものはいないであろう。元は商家だという話も聞いているが、江戸、明治、そして大正に行き至るまでの流れで彼らの人生は大きく変動していったとも聞く。
 彼らの後ろ盾があれば、はるのことを悪く言う人間も減るだろう。
 次期当主であるがこの態度であれば、余計に言えることだ。このまま彼女が結婚しなければどうなるのだろうか、と勇は推測してみたが、破天荒な彼女のことだ。が女当主として君臨する日も近いのかもしれない。


「……
「なんでしょう」
「貴様は恋焦がれたことはあるか?」

 何故、彼がそのようなことを聞いたのかはわからない。だが、は一拍ほど停止し、そして直ぐに薄っすらと笑った。
 自嘲を込めたような、何とも言えぬ表情だったが、それでも彼女は笑っている。

「……ありましたよ」
「そうか」
「まぁ、私からその恋は蹴り飛ばしましたがね」
「相変わらずじゃじゃ馬なことだ」

 褒め言葉として受け取っておきます。まるでボールをぽんぽんと投げるようにして会話を作るに勇は頬杖をつき、彼女を観察した。恋路に迷う姿など全く思いつかないが、それもまたということだろう。大人びた彼女を見ていれば益々自然と過去との彼女の違いを見つめてしまう。
 彼の視線に気づいてかは首を傾げたので、思ったままのことを彼は口にしてみる。

「いや、もしはると恋に落ちて居なければ貴様と恋をしていたのだろうかと今思ってな」

 僅かながらにの眉が動いたが、直ぐに彼女は平然とした態度で、からからと笑ってみせた。

「あはは、またそんなありえない話を。……けれど、そうですね、私は大佐と喧嘩をして「この西洋かぶれ」「ハイカラだとでも思っているのか」「家の名が泣くわ」と言われたのも嫌いじゃなかったですよ」
「貴様……だがまぁ、俺も「バンカラ」「時代遅れ」「考え方が古い」と言われたが貴様とのやり取りが嫌いではなかったな」
「そうですか」
「ああ」

 脳裏に未だ残っている記憶、思い出。彼らの中にだけ残っている、はるは知らない、ずっとずっと昔のこと。
 何となしに罪悪感を感じている勇に対しては声を出して笑う。
 もし、はるがこのことを聞いたら何と思うのか、そんなことを考えてみたが、今となっては過去のことであり、気づけなかった自分たちのほろ苦くもどこか甘い、そんな思い出にすぎない。

「大佐、知っていますか? 正さんが、お二人が結婚するというときに私に気を使ってくださったんですよ」
「なんだ、正とそんなやり取りをしたのか」
「ええ、しかも自分が貰ってやろうとも言ってくださったんです」
「なんだと!」

 ほんの一年前の出来事だ。が彼らの結婚式に呼ばれて拍手をしていたときに遡る。
 涙は微塵も出なかったのだが、それでも長男には痛々しく思えたらしい。捕まった途端に盛大なため息を疲れたのも遠い日の思い出だ。が語り、勇はどこか面白くなさを感じる。それは恋ではないのだろうが、なんとなく、誰かにを奪られることは気に食わない。

「ちなみに、私はお受けしてもいいかな、と思ってるんですよ」
「……また唐突な話を言い出したな。だが、そうか……正ならば、確かに貴様を任せられるかもしれんが」
「祖父のようなことを言いますね」

 軍人は皆そうなのでしょうか。
 呆れたに勇は揚げ足を取る用に貴様がじゃじゃ馬だからだろうと分けもなさげに言うが……そこに、見えない火花が一瞬飛び交ったがは溜息を零して「失礼ですねえ、本当に」と両肩を上下させるだけで終了した。


「戻り次第正にそういった話は聞くとしよう」
「次にご挨拶をするときは、正さんと並んで立って大佐を見るのかもしれませんね」
「貴様は彼奴には甘えていたからな」

 は婚約をしていた頃から、なぜか衝突してばかりの勇よりも、正や進、そして同年代の博とよく話していた。
 特に正に関しては兄のように慕い、何かと正に対抗しようとする勇の間に入りキャンキャンと犬のように吠えていたことを勇はしみじみと想い出す。
 けれど、そんな思い出に浸る勇に冷水のように冷たく、冷静に彼女は「違いますよ」とぴしゃりと言い放つ。
 僅かながらに、彼女は起こっているようにも見えた。
 視線を投げかければ、彼女は片手に持っていた何か分からぬ書類を胸の前に大事そうに抱えて、髪をさらりとかきあげる。


「一番甘えていたのは、おそらくは大佐にです」
「……なんだと?」
「言ったじゃないですか、恋をしていたのだと。そして、その恋を蹴り飛ばしたと」

 それは、愛だったのかもしれない。
 それは、恋だったのかもしれない。
 勿論、その感情を知っているのはばかりで、勇は知らない。
 の物言いは鞭のようにしなり、彼の心に揺さぶりをかけた。動揺を隠せない勇にはにっこりと、笑顔を作った。


「そんな顔をしないでください、なんですか、後悔してますか?」
「するわけがなかろう!」
「なら、堂々としててください。それで、たまにまた私と喧嘩でもしてください」

 不可思議な話ではあるが、も勇もお互いの言い争いが嫌いではないというのだから、仕方が無いのだろう。
 失礼しますね、と頭を下げた後、勇の返答を待たずして彼女は立上り背を向ける。扉に近づく靴音が妙に耳に響き、彼は反射的に、と彼女を呼び止めてしまう。

「貴様は、幸せか?」

 彼はとても夢見がちなことを言うものだ。
 は振り返る前に苦く笑ったが、ゆるやかに回れ右をすると、「秘密です」と笑った。彼女がいなくなったそのソファーにはティーカップと、彼女の持ってきた菓子折りが置いてあるばかりだ。
 取り残された勇はじっと扉の向こうを見つめていたが、どっと疲れたように背もたれに身を預ける。



「女というものは恐ろしいものだ」


 ちらちらと散る桜を見送りながら、桜に惑わされたようにテラスから見える庭に目を向けると、そこにはかつての自分がいて、そこにはかつてのが居る。ほんの二年前のことだというのに、懐かしく感じられた。
 けれど、その路を彼は選ばなかった。彼女もその道を選ばなかった。
 恋、だったのかもしれない。友愛だったのかもしれない。
 ただ、大人びたを見て、変わっていくを見て、少しだけ惜しいことをしたのかもしれない、と彼は笑い、正と並んだを想像したら「夫婦」というよりも「兄妹」という響きがしっくり来すぎてぶは、と吹き出す。

「そうか、彼奴が義姉になるのか」

 信じられんな、笑った勇の胸が少し寂しさから傷んだが、その理由を彼は求めることはしない。求めても意味がないことだ。
 彼も、彼女も、以降彼らが当時抱いていた想いが何だったのかは生涯「互い」には言わなかった。勿論は後に夫になった勇の兄の正には全て見ぬかれており、芋づる式で彼の親友やその奥方にはあっさりとバレており、彼女は苦笑いを浮かべていたのだが、それを勇が知る由もない。

2011.12.11