負ケズ嫌イ ラヴァーズ

 舞踏会の招待状をひらひらと人差し指と中指で持ち、は椅子に腰掛け足を組む勇の後ろにくるりと回って「大佐、これ一緒に行っていいんですか?」とすこしばかり楽しげに尋ねた。
 舞踏会なんて西洋かぶれの塊であるものに彼がいくら父親の命であったとしても、行く気になったのはにとってみれば信じられない、信じがたい傾向だ。
 しかも、を連れていこうとするあたりが奇妙奇天烈というべきか、明日は槍でも降るのかと疑問視したくなる。普段誰も相手を連れずに行くというのに、何かの前触れだろうか。
 勇は「しつこい」と彼女を片手で振り払いながら「文句があるなら連れていかんぞ」と頬杖をついた。その姿すら様になるのが些か癪だが、悪くはない。はくるくる回りうれしそうに微笑んだ。たかが舞踏会で随分なものだと思う勇を他所に、ふとは振り返り、勇にそういえば、と尋ねた。

「大佐、今日は機嫌が良いんですね」

 唐突すぎる物言いに、少しばかり目を見張ったが楽しそうに笑うを見ていたら気づけば眉間に皺が寄る。額に手を当てて「何故そう思うのだ」と彼が尋ねれば、彼女はううん、と腕を組んで考え始める。
 ころころと変わる表情は子供のそれと大差ないが見ていて楽しい。つまり、を見ているのは楽しい。じっとを見ていると彼女は分からなかったのか首をかしげたまま、なんとなく、と随分とあやふやな意見を述べた。
 普段であれば突っぱねたところだが――勇はその日、確かに上機嫌だったので「そうか」とだけ言葉を返すだけに留める。

「あれ、何も言い返さないんですか?」
「……
「はい?」
「そこに立つな、鬱陶しい」
「あ、ひどい言い草ですね」

 椅子の後ろに立っていたのを勇の前にまで戻ってきて、は椅子に座った。ブーツに袴姿、いつもの女学生らしい格好に「その格好で舞踏会に出るなよ」と釘を挿せば当たり前です、なんて笑いが帰ってきた。
 上機嫌なのは勇であり、そしてでもある。

「……そもそも女は三歩後ろを歩くことが良妻である勤めであるということを知っててやっているのか?」
「ええー」

 そんな前時代的な。
 こぼれ落ちそうになった言葉を引っ込めさせて、少し考えてみる。三歩後ろを歩く良妻の勤め、博の母が聞いたら卒倒しそうではあるが、単に怒っただけではいつもと同じ言い争いになってしまう。
 どう言い返したものか、ううむ、と考えてみると一つの答えに行き当たり、は顔を上げて尋ねてみる。

「すると大佐は私と話す際に、逐一後ろを向いて話さなくてはいけなくなりますよね」
「む」
「でも、そうすると敵からの攻撃を受けた際に受身を取れなくなりますよ?」

 それに、前方不注意で攻撃を受けるなんて軍人としては格好がつかないですし。
 指を下りながらが言うと、なるほど確かに、わずかに勇は眉をぴくりと動かし直ぐに小さく頷いた。

「なるほど、一理ある。しかし三歩後ろであれば良い点もある」
「と、いうと?」
「敵から攻撃されても、お前を守れるだろう」

 予想外の言葉にピタリ、とまるで機械のようには硬直した。指先、表情、足。四肢全て、加えて思考回路もぴったりと固まってしまい、言葉も紡げない。言っている意味を理解するのに暫し時間がかかったが、瞬間的に復活を遂げると、思い切り溜息を吐き出した。
 短い一瞬の溜息ではなく、長く、長く、肺活の限界まで吐くような息だ。余りに重たい溜息に勇が少し驚いた顔をしていたが、何のその。
 は顔を上げると、ほんのすこし顔が熱くなっていることに気づいた。

「……大佐」
「なんだ」
「ちょっとだけ向こう向いてて貰っていいですか」

 意味が分からない、と言わんばかりの顔をする勇に顔を俯かせて一瞬でいいから、と懇願すると渋々ながらも彼は頬杖をつき、と反対側を向いた。
 するとは、彼の手にぎゅう、と自分の両手を重ねる。こちらを直ぐに振り返りそうになった勇を「まだ駄目です」と諌め、彼の肩にごつん、と額をぶつけると緩やかに目を閉ざす。


「……大佐。こんな話をするのは可笑しいんですが、大佐に惹かれる事が、実は私一寸怖いんです」

 と勇の婚約話が上がったのは数年前のことだ。第一印象は決して世辞でもいいとは言えない、最悪に近かった。
 けれど婚約話が破断しても付き合いが切れず、付き合い続けていれば世の中は奇妙なもので、気づけばは勇に惹かれてやまない。もう一度話があがれば恐らく彼女はこれ幸いと「是」と言うのだろう。
 幸いにして同じ気持ちだったがゆえに今の関係に収まったのだが、関係は以前と大して変わらない。喧嘩もすれば、くだらないことで笑い合いもする。
 そんな中で彼女は惹かれることが怖いと言う。
 勇はそんなの頭をぽん、と手袋越しに撫でた。

「可笑しな奴だ」
「余計なお世話です」

 大佐が逐一恥ずかしいことを言うから、振り回されてどうにかなりそうなんです。
 文句を言うに、勇は薄く笑った。
 彼女はコロコロと表情を変える。怒った顔、笑った顔、泣きそうな顔、様々を見てきたが弱々しい女特有の表情をさせることが出来るのが自分だけだという優越感に似た感情がふつふつと湧き上がる。
 知っているのは自分だけ、この顔をさせることが出来るのも、自分だけだ。


「こんな時まで称号で呼ぶあたり色気も何もないな」
「こっち見ないで下さい恥ずかしいですから」

「もう、何ですか」
「俺とて、貴様と同じなのだ。何を躊躇う」

 好きになって、溺れればいいではないか。
 けろりと何事もなさげに言う勇はの髪に唇を寄せた。なんて甘い行為だ。西洋的行為そのものだというのに平然とやってのけた勇には正直頭を鈍器で殴られたような、それでいて自分がヤカンか何かになったような錯覚を覚える。
 顔が熱い。恥ずかしさから顔をあげられない。けれど、やられっぱなしは彼女の性分じゃない。

「……大佐の言い回しは逐一心の臓に悪いです」
「フン、だてに貴様より年は取っておらんからな」

 今に見てなさいよ。
 内心心から彼女は対抗心を燃やすが、結局彼に振り回され今と同じように返り討ちにあう未来がチラチラと顔をのぞかせていることを何となく彼女は察していた。悔しさから肩にぶつけていた額を離し、そのままずい、と顔を勇に近づける。まつげとまつげがぶつかりそうなほど近づいた上で彼女は真っ直ぐに彼を見て、言い放つ。

「負けませんから!」

 ぱ、と手を離して足音を立てながら彼女は部屋を飛び出し、取り残された勇はぽかん、としたが直ぐにクツクツと笑い出してしまう。
 面白い女だ。わけがわからない。何にどう負けるのかはよく分からないが、気の強い彼女らしいといえば彼女らしい。

「精々、覚悟はしておいてやろう」

 足音が遠くなっていく。
 年上の余裕か、勇は薄く笑いながら頬杖をつき、目を閉ざした。