其者、飲兵衛ニツキ
※ 守×はる前提
「御杜ぃ、酒」
「お前、まだ飲むのか」
「まーだ飲みたりーん」
へらへらと笑いながらはぐい、とグラスに入った葡萄酒を飲み干す。随分とハイカラなものを持ってきたと思えばその酒をほとんど一人で呑んだくれているので、守はその姿を呆れながら自分のグラスの中に入った血のように赤いそれを見た。
偶に湧き上がる良いフレーズにペンを走らせると「がんばれ作家」とケタケタと随分上機嫌に彼は膝をばしばし叩いて言うばかりだ。
「お前こそ仕事はどうなんだ」
「あー、ぼちぼち書いてるぞ」
小説家仲間の中でもの書く小説はどことなく他のものとは違う雰囲気を持っている。種本に西洋文学を引っ張ってきて書いている物語は彼独特の馴染みやすさがあり、彼の独自の小説は守のそれとは少し毛色の違う雰囲気をもっている。
御杜守のもとにが来たのは偶然だが、年齢が近いこともあり主に最近はが守のところへ足を運ぶ頻度が上がってきている。
「実は洋行に行っていた知人の先生が新聞小説を書くらしくてな」
「ふうむ、新聞小説か……近頃は面白い作家が減ったと噂されているだけになあ」
「そりゃあお前、夏目殿や尾崎殿のような作家がぽんぽん沸いて出てこられても困るじゃあないか」
スルメを炙ったものをかじりながらは言う。世の中は白樺派だの何だのと騒がしいが俺から言わせりゃ面白ければそれでいいと思うがね、と。
全くそれにしても、と守はを見た。スルメをかじりながら酒を煽る姿は青年というよりは親父に近いものがある。そして見るからに莫迦っぽさそうだ。
しかし彼の雰囲気に飲まれ、気づけば守は彼に対して「人当たりの良い御杜守」を演じることをやめていた。別段口調や態度が変わっても、は何も言わず、寧ろ少々馴れ馴れしい遣り口で守に絡みだしてくる。
「そういえば、この前早稲田大学に行く機会があってな」
「お前、また勝手に入ったのか? 懲りないやつだ」
「今回はちゃんと用事があって入ったぞ。新聞で読んだか?早稲田騒動の話だ」
早稲田騒動。大学の中での学長を巡った騒動だという話は勿論守も新聞を読んで知ってはいるが、何をこの男は楽しそうに言うのだろうか。
聞けば行き交う学生がこれを題材にした話を書きたいのだがと相談をしてきたのだという。
全く野暮なことが好きな、首をつっこむ癖を見ていると守からすればがいつ早死するか気になって仕方がない。そのうち後ろから切られるぞと忠告しても辞めないものだから、彼は作家よりも記者になったほうが良いのではないだろうか、と思ったほどだ。
彼は雄弁と語る。その学生と共に学長候補が対立し合うさまを縮図にした学生たちの口論がいかに凄かったかを。朗々と語るそのさまは流石作家というべきか、言葉がよくもまぁあちらこちらから出てくるものだ。
純愛、悲恋、そういった小説を主に書いている守からすれば「話のネタ」になりそうなシェイクスピアのロミオとジュリエットのような対立物語が一瞬脳内をかすめたものの、陳腐すぎて直ぐに記憶から抹消する。
「ところで、御杜」
「なんだ」
「お前の内縁の妻のことだけどさ」
「そんなもんはいないと言ってるだろうが!」
また、の面倒くさいところは彼がはるのことを「御杜の内縁の妻」だと思っていることだ。
彼女はあくまでも駒の一つとして見ているつもりの御杜の心をかき乱す。スルメを食べながら「おはるさん、今日いないのか」と少し残念そうに言う所はまるではるに気があるかのような言い方だ。勘弁してくれと言葉にすれば大笑いをされ背中をばしばしとは叩いてくる。
意味がわからず唖然としていれば息が苦しいのか酒をまた煽った。
「俺は御杜が男らしくなって何よりだといっているんだ。これで少しは執筆業に集中できるだろ? なんてったって世話をしてくれる女房ができたんだからな」
「だから違うと」
「違ったとしても、悪いもんでもなかろう?」
ニヤリ、と笑ったに何となく、本当になんとなくだが少し腹がたったのと言い返せなかった守はふいと視線をそらし、彼が持ってきた飴玉を口の中に放り込んだ。
酒を飲んでるのに飴かよとまたケタケタとは笑ったが、彼はもうのんべえで酒を煽っているのだから仕方が無い。さっさと寝ろと蹴飛ばせばごろりと彼は横になりむふふと笑った。
「俺はなぁ、みもり」
「なんだ、五月蝿いぞ」
「お前がおはるさんと一緒にいるの見ると、安心するんだよなぁ」
「何を言っているんだ」
訳が分からんと問いただせば彼は既にこてん、と転がって寝息を立て始める始末。帰る気配は――ない。
いびきをかかないだけましと取るべきか、叩き起こすべきか一瞬守の中で考えが錯綜したが、恐らく、間違いなく、起こせば彼はまた騒ぎ始めてしまう。
ただでさえ大家にはるが此処に来るたびに「はやく嫁さんを幸せにしておやり」だの何だの謂れ、更にのことも「ありゃあイイ男だねえ」と笑っている。
「……おい、、布団敷いてやるから此処で寝るな鬱陶しい」
「んー……」
「くそ、おい、スルメはどうするんだ。食べるぞ」
ぐう。
もう彼は返答出来ずそのまま結局朝まで目覚めることはなかった。明朝随分と不機嫌そうに守が「お前のせいで原稿が進まなかった」と言う。実際のところ心地良く眠るに対して原稿が思った以上に進んだのだが、それは癪なので言うのをやめた。
彼に背中を向け原稿を書いていても気にならなかった自分を随分甘くなったものだと守はしみじみ思うのだが、それは如何せん認めたくはないので荷物をに押し付け「さっさとお前も本を出せ」といいつけると、その鋭い目を和らげ「気が向いたら読んでやってもいい」と笑うのだ。
「俺はなぁ、御杜」
「なんだ」
「お前がそうやってぼやいたりするのを見れるのはおはるさんのお陰だと思ってるぞ」
いやぁ友として今度御礼を言わなければならんな!
そう言い残し、豪快に笑うと反論も許さずさっさと彼は去っていってしまう。
守は取り残され、おい待てと彼を止めようとするが、思った以上にの足が早く人混みに紛れてしまっている。
「――なんなんだ、あいつは!」
裏稼業を行っている守からすれば追いかけることは容易かったが、それでも豪快に笑い、背中をたたき、しかも自身の気づいていない部分を突きつけてきたに対して守はわずかながらに困惑した。
はる、と呼ばれた宮ノ杜の使用人の顔を思い出し、がりがりと頭をかく。長い後ろ髪が梳かれるまでの時間ぼんやりと彼女のことを思い描く。馬鹿で純粋で、の言うとおり彼女の影響力は守に対して様々な変化を与えている。
「ああ、もう、くそっ!」
引っ掻き回してさっさと帰っていったを恨みながら、すこずこと部屋に帰るとそこにはの気遣いかスルメと、珈琲の土産が置いてある。
そもそもこんな質素な部屋に珈琲を挽くものなどないのだが――そういった配慮がないところも実に彼らしい。呆れながら、スルメを齧ると齧れば齧るほど、味が出る。
まるでとの付き合いのようだ。まるではるとのやり取りのようだ。守は苦笑を落とすと今日の昼飯はどうしたものかと考えながらペンを手にとり執筆作業をのんびりと再開し始めることにした。
2011.09.10