夢ハ現ニ溶ケテ
※ 正BADルート、正→←はる、夢主→勇前提・悲恋の外道な話ですので注意 ※
「……は?見合い?」
唐突に言われた言葉に何を言い出しているのか分からず、彼女は耳を疑いもう一度思わず尋ねた。
眼の前に居る祖父は襟立の洋装をゆるく着こなし、いかにもと笑っている。ひょうひょうとした笑いが癇に障ったが、それ以上は何も言わないことにした。
誰との見合い、誰との縁談かは聞かないことにしては「嫌」ときっぱりと言い放つ。
「」
「まだやりたいこと山のようにあるから、嫌です」
「お前に拒否権は今回はない」
言葉にしがたいような祖父の口調に思わずは驚き、初めて見るその険しい評定に「なんで」とぽろりと言葉が落ちる。
いつかは結婚しなければならない。そんなことはだって分かっている。そして、それが政略結婚であることもだ。
だからこそ夢を見たいのかもしれない。自由に生きる鳥に憧れるのかもしれない。
嫌だと首を振っても祖父はそれを是とは言わない。ただ、淡々に相手は此方からは十分な相手だと言う。
の頭の中で、ガンガンと警報が鳴り響く。
宮ノ杜大佐のことは諦めなさい。祖父はそう言うと静かに立上り、窓に目をやる。もうじき季節は3月になる。はそこで初めてああ、そうか、と妙に納得する。
自分は、あの男が好きだったのだ。
自分勝手、旧式、帝國軍人、ぶっきらぼうな、あの自分よりもずっと年上で、それでいて自分と同じ目線に立つどこか子供のようなあの男を。
この話が上がる前の自分だったらそんなことは認めなかっただろう。
けれど、妙にストンと胸に落ちて、は悲しく笑った。なんだ、簡単だった。そうつぶやいて頭を振る。結婚、縁談。その話をもう断れないことは明確だった。
彼女が気づくのが遅かったからなのか、その縁談は滞り無く先に進んだ。相手方も進めていいということになったらしい。
はその日から、ぱたりと宮ノ杜家に行くことをやめた。
博に大丈夫かと電話で聞かれるぐらいで、それ以上でも以下でもない。風の噂で宮ノ杜家の当主に正しが就くことを聞き、ふ、と唇を緩めた。せいぜいあの大佐は悔しそうに彼を睨みつけていることだろう。
――それもまた、想像するだけで楽しく、そしてほろ苦い。
「正さん」
「……何故がここに居る」
曇った顔をしている正を見つけた時のの表情はまるで正と全く同じもので、唐突の知り合いの姿に驚き、そして嫌な予感が頭をよぎる。
正と使用人のはるとのことは薄々ではあるが感じていたものがある。あの正が使用人の中でもはるには意見をいうことを許している。そして彼ははると一緒にいる時、実に優しい顔をしていた。恐らく彼は気づいていないのだろうけれど、少なからずにはそう見えた。
縁談の場所にいた正にが恐る恐る「今日の縁談の相手って」と尋ねれば、正はこれでもかと目を丸くし、そして「そうか」とだけ応えた。答にならない答えに、がつんと思いきり頭を殴られた気配を感じてはその手を震えさせ、首を横に振る。
認めたくはなかった。
信じたくはない。
けれど、その現実は彼女に今目の前につきつけられている。
縁談相手の立場は申し分ない男。
祖父の言っていた言葉はそのとおりだ。申し分ない。けれど、は知っている。彼が誰を愛していて、誰が彼を慕っているのかを。その行為はにとって裏切りに等しかった。
使用人の娘を裏切って何になる。そう誰かが囁いた。使用人など、玩具なのだから。別の誰かがに囁く。けれどはそれを認めたくはなかった。そして――それは、とても、を傷つける。
「確かにお前なら、私の相手として問題はないな」
「何、いって」
「――私は、この話を受けるぞ、」
彼は、のことを嫌ってはいない。は、彼のことを嫌ってはいない。
だが彼らの間にあるのは「親愛」であり、「恋愛」ではない。それは明確な違いを持っていた。がくがくと足が揺れる感覚をは覚えたが、それでも必至に正を見据える。彼の瞳はを見ていて、けれどより遠くを見ている。
――まるで、金色夜叉のようだ。
「来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから」
「……それは、私に対する嫌味か」
財産、名誉。それだけのためだけにお宮が貫一を捨てる。その名台詞を思い出しは失笑した。正の性格は分かっている。誰よりも家を捨てられないだろう男だ。彼は――の両親とは違う。
何故彼が、の縁談相手になったのかは分からない。そして彼が条件に当主になることを選んだのかも。
泣きそうになったの頭をぐしゃりと彼を撫でた。無骨な手で「すまない」と小さな声で呟く。彼の顔はには見えなかったが、彼は泣いているのではないのだろうかとは思った。
頭をよぎる男の後ろ姿に、心が軋む。彼はが正と婚約したと知ったら何か言ってくれるだろうか。――答えはきっと否、だ。
「大佐には言わないのか」
「言えない。……言わない」
「そうか」
お互い苦労するな。
そういって、彼はやはりの頭を撫でてくれる。彼は努めてに対して紳士であったし、は彼のことが嫌いではないし好きだ。
それでも彼らが婚約を発表した際が見たはるの表情、そして正の表情は痛ましいもので、自分が彼らの幸せを壊したのだという自覚をした瞬間に彼女はまた泣いた。
彼らは掌の上で転がされている。そしてもその部品の一つ。ただただ、踊らされるだけだ。
「――大佐」
ねえ、大佐。
は言葉に出来ない思いを全てため息で吐き出そうとし、途中で咳き込んだ。
呆れて彼は何かを言いかけたが、結局目も合わせてくれずそのまま去ってしまう。彼の背中が全てを拒絶しているような気がして、彼女は泣きそうになった。は自転車を引きながら鬱々と気持ちで町並みを歩く。通りすぎる際に見かける男女は楽しそうで仲睦まじい。
偶然道端で遭遇した紅と紀男夫妻に自転車を突っ込ませて紀男にボロボロになりながら泣きつく姿はどこからどう見ても、また「少女」に過ぎない、幼いものだ。
「言いたいの、言えないの」
言ってしまったら今までのものが崩れてしまうから。ボロボロと泣いたを紀男は随分と呆れて、そして頭をくしゃくしゃになるまで撫でた。
彼は正の親友で好敵手だ。正とはるのこともある。心をずっと痛めていた中でがまた、報われない片想いをしていることを知り、それでも背中を押そうとする姿は実に西洋的だ。
どうすればいいの。
どうしたらいいの。
「私」
「ああ」
「きっと」
大佐のことが、好きだったの。大好きだったの。
ぽつり、と呟いた言葉は彼女の心に浸透して、広がり、溶ける。
また涙が落ちた。
「――それでも、お前は正と結婚するんだな。……はるちゃんたちのことを知った上で」
「うん」
「……いいのか?」
「わからない」
いつかその選択を後悔する日が来るのか、それともそれでもこの選択でよかったと思う日が来るのか、今のには分からない。
いっそ、これが夢であればよかったのに。振り返れば数カ月前の自分が勇と公論をしながら自転車を引いて歩いているような気がした。
「私は、もう選んだ。……酷い男だと思うか?」
「すごく、非道い男だと思ってます。……でも、自分も最低なので、お互い様ですよ」
友だと思っていた使用人を裏切って、傷つけて。
本当に好きな相手には何も言えないまま、親子二代で家名を傷つけられないようにと愛していない男と結婚をする。自虐的に笑うと、正がの手をぎゅう、と握り返す。
「」
「はい」
「私はいつか、お前を愛せるのだろうか」
彼の質問に、は首を横に振る。愛さなくていい。認めなくていい。ただ、はその握られていない手を服の裾に持って行き、くいと引っ張った。
「私が大佐をきっと忘れられないように――正さんも、はるを忘れない。……だから、私たちは側にいる」
政略結婚でも、尊重し合うことが出来るなら、それはきっと形として歪でも及第点だろう。正の手に、ゆっくりと癒されるようには目を綴じた。
「生まれ変わりがあるのなら、来世では、一緒になれるといいな」
「大佐のあの性格じゃ、難しいかな」
「そういうな。あれで繊細なところもあるぞ」
「それを言ったらはるだって、あれで芯が強いからきっと正さんを今度は見つけて引っぱたいて怒ってくれるかも」
それもそうかもしれん。そう正は笑った。は小さく笑い、伝えられなかった自分を臆病か、と正に尋ねてみた。
彼は「大佐は鈍感だからな」と言い切り、彼女の頭を撫でる。兄が妹をあやすような行動に、は「鈍感だし、大佐だし」と文句を言いながら撫でられ続ける。
本当は、正は弟の気持ちを知っている。彼は気づいていながら、それを頑なに認めようとしない。自分に恋や愛はいらぬと、そう突っぱねているのだろう。確かにと勇の関係は良好からの始まりではなかったが、それでも互いが思っていることは正からみても分かることだ。
自分とはるとは異なる可能性があった彼らの関係は、彼ら自身の不器用さと臆病さで砕いてしまった。そしてそれを正は哀れだと思う。思いを重ねることも出来なかった彼女たちの答えはどこに行くのだろうか。
「正さん」
「ああ」
「……大佐は、私のこと好きだったかな」
「そうだな、嫌いだったら駆けずり回ったりしないだろうな」
「……そっか」
それなら、いいや。は笑い、「来世があればいいね」と正の肩に自分の額をごつ、とぶつけた。
今度は来世で。そう願いながら、彼らは同時に目を閉じ、そこにはいない想い人を思う。
なんて自分勝手な話だ。
けれど、それが彼らの夢であり願いであり、現だった。緩やかに、そして静かに、沢山の思惑が交差していくばかり。
2011.09.06