タメライ恋騒ギ


「やぁ、宮ノ杜大佐」
「はっ、中将。お久しぶりです」

 優雅な佇まいの男性に勇はピン、と姿勢を正す。勇のものとは異なる白い軍服は海軍を意味する。
 海軍中将。勇にとっては馴染み深い人間の一人だ。
 様々な紆余曲折はあるが、彼は勇のことを実の父親以上に良くしてくれている。陸軍と海軍という違いはあれど、勇は彼のことが嫌いではない。
 正当な評価を与えてくれる、偏屈の頭の硬い男たちの中で柔軟な考えをもっている中将は勇の心の琴線に触れる事をそれとなく言ってくれる。
 頭を下げると、彼は構わないと手を小さく振った。

「最近何やらが迷惑をかけているそうだね」
「は、いや、中将がお気になさる程では……」
「誰に似たのか、じゃじゃ馬の跳ねっ返りでね」

 いやぁ、参ったものだ。
 そう言う割に随分と楽しそうに顔を緩めている中将は世継ぎが次々とコロリで死に、最終的に家を飛び出した長男夫妻を探したと言う。
 そして、彼女を見つけたのだ――と、は言う。
 しかし、勇には何年経過しようと陸軍中将はが言うほど悪人とは思いがたい。どちらが悪人かと聞かれれば間違い無く自身の父のほうが該当するだろう。
 孫娘のことを語る中将を横目にしながら懇々と勇は考える。その真剣な表情に中将は小さく笑った。

「随分と君には懐いているようだ」
「…………は? いえ、自分は彼女には嫌われているかと」

 は合えばいつも文句を言う。噛み付いてくる。どこか雰囲気は正に近い感覚を受ける女性で、どこか彼女の立ち振る舞いは勇の苦手な母にも似ていた。
 使用人と壁を作らない理由は彼女自身の育ちが故。そう考えてきたがどうやらそれだけでもないようで――まったくもって勇には理解不能だ。
 中将は軽々に笑うと「若いな」と一言言った。

「不器用な娘でな。それでも足を運ぶということは――大佐のことを憎からず思っている部分はあると思うがね」

 まぁ、これからも相手をしてやって欲しい。
 それだけ言うと中将はすたすたと歩き出して行ってしまう。取り残された勇は今しがた彼が言った言葉の理解が出来ず、ぴたりと足を止め硬直してしまう。女の考えなど理解出来ない、理解しない。
 軍人たるもの、國のために生きて、そして死ぬ。それが道理であり、そのつもりで生きてきている。

「なんなんだ、一体」

 ハイカラで、わがままで、じゃじゃ馬で、勇の知っている女たちの中でも面倒くさいという部類に値する女の姿がふと脳裏に浮かび頭を抱えた。
 女なんて、色町で適当に相手をしてきた女たちを振り返る。彼女たちの顔を覚えてはいない。あどけない少女から、女の色香を持った独特的な人間もいた。軍人たるもの愛人ぐらいいて当然である……と巽大将が言っていたのを聞いたことがある。
 幼い頃に勇が読んだことのある独逸の書物では正しいことをしたにも関わらず義母に殺されかけた娘を隣国の王子が救い、添い遂げる流れがあった。そのようになりたいと彼は夢をいだきいかなる婚約話も即拒否をしていたものであり――家の縁談もその中の一つに過ぎなかった。
 けれど、彼女以上に跳ねっ返り、文句を言い、婚約話が消えた今でも関わりをもっている女は居ない。


「くそ」


 吐き捨てるようなため息と共に彼の悩みも溶けてしまえばいいのに。彼は苛立ちながら背を向け歩き出した。




「おい、どういうことだ、これは」

 彼がその後、付き合いで『やす田』に向かった際、そこにはなぜか芸者の姿をした使用人はると、和装をしているの姿があった。
 厠へと一度去り戻ってきた際に聞き覚えのある黄色い女独特の声がしてまさかと思い、ゆるりとその足を伸ばした自分を改めて勇は悔いる。何故こんなところにまで貴様はいるのだ、と聞いたところで彼女は答えないだろう。
 そして手元にある酒瓶。

「おいはる、どういうことだこれは!」
「はいっ、えっと、その、静子様が先ほどまでいらっしゃって、様がお酒をお飲みになって」

 あわあわと状況を説明するはるに勇は前髪をかきあげて思い切りため息を付いた。女というものは分からない生き物だ。茂の母親の静子もしかり、も、はるも。
 茂は今「揚羽」として自身らの座敷に居る。紅もしかり。の居た座敷には、「皐月」しかいない。
 だが自分には待っている付き合いの相手がいる。をはるに預けると「屋敷に帰る際に此奴を送っていけ」と言い残し彼はずかずかと座敷を出ていき、襖を綴じた。
 後に彼は付き合いで飲まされ、流れで芸者の女を抱くことになる。脳裏にちらりと今日の中将やの姿が過るがそれを振り払う。ねっとりとした女の色香に吐き気すら感じたが――ただ、彼は女を抱いた。
 屋敷に帰宅した際に時間は午前を周り、明日が日曜日であったことを思い出しそのまま部屋に戻ろうとした――が。屋敷の入口に転がっていたものに彼は気づいてしまう。


「おい、何故貴様がここに居る」

 玄関の手すりに頭を寄りかからせて不安定な姿で彼女は眠りについていた。膝掛けがかけられているのは恐らく彼女のことを心配した使用人の仕業である。彼の帰宅を待っていたのか静かな足取りで千富が現れ「勇様をお待ちでしたよ」と何事もなく言い放った。
 何故ここにいるのか。
 何故こんなとこで寝ているのか。
 全くをもって勇は彼女が理解できなかったが、頭を揺らしがくりと体制を崩したに腕を伸ばすと彼女はふらり、と彼の腕から離れ再び体制を勝手に整える。

「千富、何故此奴が此処にいる」
「ですから、勇様をお待ちになられたのです」
「客室にでも連れておけば良かろうが!」
様が断固として受け入れて下さりませんでしたので」

 淡々と切り返す千富に勇は分かったとついに折れた。勇が折れたのと、思い切り手すりに音を立てて何かがぶつかったのはほぼ同時の出来事だ。
 振り返ればそこで悶絶する女の姿があり、勇は頭を抱えた。何故今日一日この女にふりまわされなければならないのだろうか。解せぬ。

「ええい五月蝿いぞ!」
「あっ大佐」

 彼女は実に脳天気に「やす田にいたとかで挨拶出来なくてすいません」と言い放ち、その身を整えながら立ち上がった。
 ここは宮ノ杜であり、彼女は宮ノ杜の人間ではない。そんなこと誰だって分かっているであろうに、何故誰も止めなかったのか分からないと言わんばかりに勇は千富を睨みつけたが――彼女はさらり、と交わしながらに「お約束ですよ、様」と彼女の名前を呼んだ。

「勇様がお戻りになられたら、きちんと客室でお休みいただくと。心配なのは分かりますがもうお休みになってくださいね」
「な、べ、別に大佐が心配だったわけじゃなくて! 後味が悪かっただけだから!」

 慌てて否定するに、カチンときて勇は苛立ちながら「そのようなことのためだけに起きていたのか」と刺のある言い方で彼女に尋ねた。
 一瞬が驚いた表情をしたが、直ぐに平静を保とうと、髪の毛をさらりとかきあげて視線をそらし淡々と返す。その言い方一つ一つが勇の癇に障る。
 何故こんなにも悩まされているのかも分からない。自分よりずっとずっと年下の娘に。

「千富さん、案内お願いします」
「かしこまりました。様、此方です」
「――おい!」

 ぐい、と彼女の腕を掴もうとしたが彼女はするりと勇から離れ、千富に連れられるまま去っていってしまう。見知った顔、見慣れた場所であるにも関わらず頭を思い切り殴られたような痛みを彼は感じた。
 何なんだ、一体。
 かき乱されて仕方がない。腹立たしくて仕方がない。思い通りにならないの言葉、の行動に彼は眉間に皺を寄せる。
 自室に戻ろうとすれば玄関にそのまま置かれた誰かの私物であろうものに気づく。男物であろう万年筆だ。黒く、そして金の装飾がされている。

「正のものか?」

 けれど、そこに今しがたまで居たのはであり、正のものであれば誰かが気付いただろう。
 でなければ、と勇は口元に手を当て推理を始める。
 壱、が正に贈られたものである。
 弐、正が単に落としたものをが拾ったもの。
 参、それ以外。
 考えても答えなど出ては来なかったが――男物のそれをがもっていると考えると言いようのない不可解かつ不愉快な気持ちが増長させた。


「……何故俺があのような女のことで頭を悩まさなければならない」

 本日何度目か分からないその呟きを落とし、万年筆を拾い上げ彼はそのまま自室に戻っていった。女を抱いた感覚が今も抜け切らない。心地よくも吐き気のする矛盾した感覚に浮かされているのだろうか。
 全てはあの娘のせいだ。
 八つ当たりに近い感覚のまま、彼は服を脱ぎ捨て寝床にそのまま突っ伏した。

 その日、彼は夢を見た。いくつもいくつも枝分かれした道をが歩いている夢だ。どんな意味があるのかは分からない。
 ただ追いかけて、追いかけて、彼女の名前を呼ぶ。いいかげんにしろ、と掴めば彼女はそのまま砂になって崩れ落ちる。
 驚いて、掬えばの砂は自転車に変わり、その先でまた彼女が歩いている。その繰り返しの夢だ。自転車に彼は乗り、を追い越し、足を止めると実に彼女は悲しそうに笑い「大佐」と唇が動く。

「違う、俺は」
「大佐」
「違う」

 俺は、大佐ではない。
 彼は首を振った。けれど、は彼を見ていなかった。彼を通して遠くを見て、そして彼の横をすり抜ける。、と勇は彼女の名前をもう一度呼ぶと持っていた自転車が音を立てて倒れる。今度こそ彼女を捕まえた――そう確信した時、暗闇の中から彼女が唇を開いた。



「勇様」

 それは、の声ではなかった。ねっとりとした女の声。まるで情事の時に縋る女の声だ。つかんだ手は白く美しく、彼女をじっと見れば、もうそれはではなくなっていた。
 最悪の目覚めと共に勇はこれでもかと言わんばかりにため息をこぼした。酒を飲んだせいだろうか、眠りは浅く気だるい。扉が叩かれ使用人が彼の名を呼ぶまでまだ少し時間があったので服を着替えテラスに見を出すと入り口で何やら笑い声が響いてくる。

「あははは、下手ー!」
「こんなの、羽子板と一緒じゃないの!それっ」

 羽を飛ばしあい叩き合う博との姿に勇は夢を思い出し、うんざりとしたようにため息をついた。
 カーペットに放り出された男物の万年筆に「こんなものを拾ったからだ」と勇は拾い上げ悪態をつく。昨日から振り回されるのは、きっと間違いなく……。


「貴様のせいだぞ!」
「え、うわっ、勇!」
「うわびっくりした! 上からなんて卑怯な!」
「黙れ、上からの空撃こそ耐えてこその軍人である!」

 そんなむちゃくちゃだぁ。博の悲鳴と同じく卑怯だ、と文句を言いながら羽球のラケットを振るに勇は「大体貴様が夢に出るのが悪い!」と八つ当たり激しい口調で言い切る。
 苛立っているというのに、と言い合うとそれは身を潜める。
 大佐、と彼女は言う。勇さん、と彼女は言う。気の強い口調で反応をしてくる。そんな彼女がおそらくは、嫌いではない。
 ふとそんなことを思った勇は「まさか」と口を歪めた。

「勇もやるー?」
「やるか阿呆」
「ふうん、帝國軍人でも逃げるんだ」
「何っ……いいだろう、叩きのめしてやる!」


 夢のことなど忘れて、目の前で挑発してきたに血の気盛んにどかどかと降りていく。
 はそれを楽しそうにくつくつと笑い、博に呆れられるばかりだ。

「何でそんなは勇に突っかかるのさ」
「別に突っかかった覚えなんてないけど、さしずめ、気に食わないから」
「……あ、そ」
「でも、そうね、嫌いだからじゃないわ」

 嫌いだったらこんなに足を運ばないし、嫌いだったら一日中なんか待っててあげない。は大層笑いながら羽球の羽をラケットで叩いてやってくる勇を待つ。
 博はそんなが分からなかった。好きなら好きといえばいいのに、と呟くとが顔を真赤にして「だから、好きとかそういうのじゃなくて――!」と必至に言うものだから、からかいたくなる。

「博!、貴様ら覚悟しろ!」
「大佐、これは西洋の競技なのにいいのかしら?」
「やるからには叩き潰す!」

 ぎゃあぎゃあと子供のように口論をしながら羽球を勤しむ彼らにテラスから先程の勇同様「五月蝿いぞ」と顔をのぞかせる正が来る迄、数分前。
 尚、勇が拾った万年筆に関してはが偉く動揺しながら「それは大佐にあげるわ」と言い放ったことから意味もわからず勇は首をかしげ「貴様の下がり物などいらんわ!」と意味を全く介さず余計な一言を言ったせいで更に羽球を白熱させたのは言うまでもない。



「――あのさぁ、正」
「なんだ」
「……俺の勘違いじゃなければさ、勇って」
「言ってやるな、哀れだから」


 白熱している彼らの横で、彼の兄弟が三十を過ぎた次男に同情の目を向けていたのは彼らだけの秘密だ。
 宮ノ杜勇――三拾一歳。弟と同い年の拾以上離れた娘に本気を出す大人気ない性格だが、恋愛に関してはいささか鈍感なようである。
 。自分より拾以上離れた男に素直になり切れない様子。
 二人の気持ちは空回り、空騒ぎをお互いに繰り広げるばかり也。



(「がんばれーー」「貴様、兄を応援せんか!!」)



羽球:バドミントン

2011.09.04