さくらが散る前に
「――――次の桜が咲く、まで、いれるのかなぁ」
この世界にいることに慣れてしまって、どのくらいの時間が経っただろう。帰りたいという願望以上に大切なもの、守りたいものが増えて。
この世界の理なんかも段々分かってきて、は最近躊躇うのだ。生きていていいのか。この世界にいていいのか。そして、いつか来る別れを受け止められるのか、覚悟が足りているのか否か。
これ以上関わったら自分が傷つくことなんて目に見えていて、それでも気持ちは桜の花がゆっくりと花咲くのを待つかのように蕾にまで成長していて、時間の流れのように逆流を許してくれない。
恋、というものがにとってどんなものであるかなんて然したる問題ではない。ただ、行くあてもなく黄昏ていた自分を救ってくれたのは平助であり、吊り橋効果かもしれないが彼に惹かれた。理由なんてものはそれで十分だ。
ふ、とは手すりから手を離し、その手をぐっと空に舞う何かをつかみ取る。ゆっくりと掌を開けば、小さな薄桜色をした桜がそこにあった。咲き損ねた蕾の花弁だろうか。は小さく苦笑し、青い青い空を見上げ目を細める。
孤独に時折押しつぶされそうになる。
霞がかった自分の「居るべき場所」にいる両親や友人たちを思い出し、段々と思い出せなくなる自分に自己嫌悪する。
前は毎日顔を合わせていたから。恙無く、何事もなく、馬鹿をやってくだらない日常を永遠だと勝手に信じ込んで、生きていた日常。それらはもうそこにない。あるのは非現実的な日常。そんな非現実が「現実」になって季節はいくつ廻っただろうか。
悲しんでいたところで季節は巡って、悩んでいたところで空腹になって、眠りについて。人間というものは存外タフに出来ているらしい。泣いて泣いて、理不尽に押し込められた狭い部屋で暴れた日も、今となっては遠い昔だ。
「―― タフなんだなー、人間って」
思わずは笑い、手すりに今度は背中を預けて桜を見上げると「うーん」と小さく唸った。
いつか、平助は死ぬ。
それが「いつ」なのかは残念ながらの知識では分からないけれど、いづれ新撰組は崩壊していくことぐらい彼女にだって分かる。平助はどう死ぬのだろう。頭をよぎった不安にブルブルと何度も首を振る。そんなこと、いくら考えたところでには分からない。歴史についてもっと知っていれば、と後悔したところで何も、どこも、始まらないし変わらないのだから。
そして、自分はいつか ――「帰る」のだろうか。
帰れる保証もない、それでも帰りたいと願うのだろうか。自問自答を繰り返していく。大切なものが守れる力なんてものをは持っていない。自分はただの高校生で、時を越えたのも偶然で、剣を振るうこともできなければ体術も出来ない。この世界の学問だって分からないことだらけだ。考えても結論なんてものはきっと出ないだろう。けれど、考えずにはいられない。
思わずは苦笑を落とした。神様というものがいるのだとしたら、その神はとんでもなく性格が悪いのではないだろう。見ていることしかしない。人間が運命に抗っていく姿をじっと静観しているのだ。自分もまた、その一人にすぎない。非日常的現実を受け止めても尚、やがてくる運命という不安に押しつぶされそうなを、恐らく神はじっと見つめているのだろう。
仮に今、帰れるとしたら自分は帰るのだろうか。不意にはそんな疑問をよぎらせた。そんな「もしも」の話をしたところで、夢うつつにおぼれるだけで、何も変わらないのは分かっている。それでも帰れたら、と考えて見る。
彼は泣くだろうか。それとも喜んでくれるだろうか。――どちらを、自身は望んでいるのだろうか。
「あーもう、分かんない」
けれど、もしも帰ったなら。悠久の、遙かなる時空を飛び越えたのなら――違う空を眺めるときが来たとしたら。の咽喉がきゅ、と締まる音がした。
ああ、そうなったのなら願い、祈ることしかできない。
彼が幸せでありますように、と。
ひらひらと、早咲きの桜の花が落ちてくる。ぼんやりとは空でも桜でもないどこか合わない焦点で見つめていると、、と笑いを含んだ声で名前を呼ばれた。
「おせーよ!お参りしてくんじゃねーの?」
「……あ」
「ぼけっとすんなよー。……どした?顔色よくねぇぞ?」
ひょいと覗き込んできた平助に、は慌てて笑顔を作り「別に」と返すだけ返し姿勢を立て直す。そうか?と微妙に納得がいっていない平助を傍らに彼女はステップを踏むようにして地面を蹴り、くるりと平助の周りを回った。
「お参り、何祈るの?」
「それ言ったら叶わないっていうじゃん」
「けちー」
「じゃあお前こそ何祈るんだよ」
は一瞬言葉を失った。何を願うか。何を祈るか。……そして、ゆっくりと開こうとしている蕾を思い出して笑みをこぼす。
恐らく彼は「馬鹿だ」と笑うのだろう。なので教えはしない。内緒、と人差指で自分の唇を抑え笑うと平助は何だそりゃーと返してくる。くだらない話をまたいくつか繰り返して、ゆっくりと二人揃って桜を見上げる。
彼が幸せで、ありますように。
心の奥で彼女は願い、祈り、静かに笑った。なんて陳腐な言葉なのだろう。
風が少しだけやんで、少し前で高く結ばれた髪が揺れる。随分と平和な日常で、そんな日常が嘘のようでは思わずくらくらする。これから大政奉還が行われるのが何年後で、いつなのか――頭の中で計算をしてはそんなもの、と乾いた声で呟く。
そんなもの来なければいいのに。
そんなこと、なくていいのに。
けれど、それはの独りよがりで一方的な考えだ。それが日本全体のことを「歴史として」見ていた大きく変わる。名の知られた有名な志士たちがあらわれては流星の如く消えていくこの日々。まるで桜の花だ。現れては散っていく。
見上げた桜の木はまだ若い。そして、満開の時を迎えようとしている桜と、まだ満開ではない桜が隣り合わせになっている。
遅いぞ。小突いた平助に、ほんの少しばかり泣きそうな顔をしてしまってひどく心配されてしまい、は誤魔化すように「桜が綺麗だったからしょうがない」と泣き笑った。
2011.04.22
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