鮮やかに散る桜を見上げながら、ほう、とは溜息を一つついた。
花びらがひらひらと風に舞って、彼女のお猪口の上に一枚落ちる。随分と風流な光景に思わず苦笑いを落とし、ぐいとそのまま一気に酒を飲み干す。この世界に落ちてきたのが高校三年生。数え年でいけばもう二十歳だ。酒は飲んでも文句は言われないはずだ。
そう自分に言い聞かせる一方で気付けばもう二年の月日がたっていることに困惑をせずには居られない。自棄酒をするつもりは毛頭ないのだが、いかんせん焦る。
現実を見たくなくて、折角の奢ってもらう身だ。飲んだって良いじゃないか。そう結論付けて、彼女は更に酒をお猪口に注ぐとぐいと勢い良く再び飲み干した。
「おーいお前のみすぎじゃねぇの?」
「そう?」
「そーだろ」
隣に芸妓を侍らせながら呆れたように言う平助には「そうかな」と首を僅かにかしげた。ぐるりと部屋を見渡せば相変わらず男と女の華やかな会話が耳に届き、思わずは苦笑を零す。新撰組といっても所詮は男。美人を前にしても平然としていられているのは土方ぐらいか。でれでれと口元が緩んでいる隊員たちに「普段あんな顔しないくせに」と思わず思ってしまう。仕方ないこととは言え自分に色気がないと言われているような気がして、少々不服だ。
「はん、お酌しますえ」
「あ、ありがとーございまーす」
にこり、と笑顔を作ったのは恐らくとさして変わらぬ年齢の芸子だ。にこり、と微笑まれ思わずはぺこりと頭を下げる。可愛らしい、華奢な手だ。まじまじと手を見ていれば「変態くさいぞ」なんて茶々を横から入れられて「煩いよ」と平助を睨みつける。
「お二人は仲がええどですなぁ」
「……そう見えます?」
思わず首を傾げれば芸子は「ええ」とにこやかに笑顔を浮かべた。世辞と社交辞令の交じり合った、本意の見えぬその言葉に思わずは目を丸め、ちらりと平助を見れば平助もまた狐につままれたような表情をしていてを見据えている。羨ましいどす、と芸子は笑い、酌をし終わるとにこにこと土方へ寄っていた。
「だって、平ちゃん」
「おー……」
「酌しようか?」
「馬鹿、お前だからそれ以上飲むなっての」
柔らかい風に涼みながら、暖かい光に照らされて仄かに優しい色を見せる桜がひらり、ひらりと再び落ちるのをはぼんやりと眺める。
、と窘める声が聞こえたが、酒の伸びる手は止まらない。ぐい、と再び日本酒を飲み干すと一気にぐらりと体が揺れた。しまった、呑みすぎた。霧がかかったような思考をフル回転しながらは手すりに支えられながらゆっくりと立ち上がる。おい、と不安げに聞こえてくる平助の声に答える暇は彼女には既にない。
「眠い……」
「馬鹿、呑みすぎだっつの」
ぐらぐらとする頭を必死に押さえては溜息を零す。ついでに魂すらも落ちてしまいそうだったが、ふと背中をさすってくれる手に気付いて「ごめん」と小さく呟いた。謝られた平助は首をかしげたが直ぐに「いーよ、別に」と薄く笑い、彼女の背中を二度叩く。
「土方さーん、が潰れたー」
「あぁ?……めんどくせぇな……」
「どーすんだこいつ」
「平助、連れて帰れ」
「えー?! 俺がー?!」
「副長命令だ」
ここは遊郭だ。寝るとなれば別の意味を持ち、そういった場所にが居るとなれば新撰組の連れとして付けねらわれる理由になる。土方は指で何かを指示すると再び芸子から酌をしてもらい、くい、と呑み始める。
……一応平助がぐるりと隊員に目をやるが、見事に視線を剃らされ、はぁ、と溜息をつくことしかできなかった。
そして傍らで既に「死ぬー……」と小さく唸っているに正直ちょっと恨みごとのひとつぐらい言ってやりたい気持ちになるが撃沈している以上何も言えず、重々しい溜息をこれでもか、と零した。
* * *
「おらーー重たいぞー」
「うるっさーいー」
歩けば右にフラフラ左にフラフラするに渋々平助が負ぶって歩いていく。夜のせいもあってか街は静まり返り、人の姿もない。
うう、と僅かにうめき声もするがそれは肩越しにかかるか、もしくは野良犬の声だろう。薄気味悪く思わずうわ、と小さな悲鳴をあげたくなるが、仮にも平助だって大人の男だ。それぐらいの矜持ぐらいは持っている。
「そんなへろへろでどーすんだよ」
「うるさい……」
「おまけに酒くせーし、この酔っ払い」
ごつ、と後頭部を思い切り後ろに向ければ鈍い音がしての小さな悲鳴が聞こえてくる。馬鹿だ。こいつ本当に馬鹿だ。呆れながらもゆっくりと道を歩けば首に回された腕が僅かに絞まった。何だよ、と返せば彼女は平助にしがみついて顔を見せようとしない。
「……?」
「……帰りたいなぁ」
「馬鹿、今から帰るんだろ」
は何も言わなかった。ただ沈黙してぎゅう、と首に腕を回して額を首に押し付ける。平助は自分の言った「帰る」と彼女の言った「帰る」が違う意味を持っていることに気付いていたが、彼女同様に沈黙した。
暫くの沈黙の後、やがては腕を放し、平助の耳に「ごめん」とそっと耳打ちをした。
――そのごめん、は何の意味があるのだろう。分からなかったが、彼は「馬鹿」とだけ言い返すことにして背負いなおすとゆっくりと街を歩き出す。
暗闇の中月明かりに照らされた桜はもう散り始めている。
「――もう、桜も終わりだな」
「……うん」
仲がいい。本当に?
どんな関係か、問われても恐らく答えることはできない。そして、その気持ちは恐らく相手も同じなのだろう、とどこかで御互いが察していた。
好き。嫌い。どうでもいい。人間の感情はそんな簡単なものでもない。
もっと複雑で、もっと繊細な何かが足を引っ張って、動けない。声を枯らすほどに声をあげようにも、うまく言葉が出てこない。
ただ、もどかしくて仕方がなかった。
「――俺も酔ってんな」
「うん」
以降彼らは互いに沈黙した。言い出すべきか、否か。
何を言葉にしたらいいのか分からない。けれど、恐らくは彼らは互いに言いたい言葉は同じだった。
重たい言葉を開いたのは、矢張りというべきか平助だった。
「……酔ったついでだから、言っとくけど、俺はお前が好きだぞ」
「……酔ったついでに、私もいっとくけど、私平ちゃんが大好きだよ」
今更だ。言ったところで意味を持たない言葉だ。いつか彼女は帰る。そして彼は侍としていつか死んでいく。分かっていることだ。
―― それでも、言葉にしないで耐え切れるほど彼らは大人でもなく、中途半端な宙ぶらりんな気持ちを持ち続けられるほど寛容でもない。
ぎゅう、と彼女は再び平助にしがみついて「平ちゃんは馬鹿だ」と小さく呟いて、平助は平助で「みたいな馬鹿にいわれたくねーし」と小さく笑う。
そして視線がぶつかると、音もなく口付けを交わす。それは意味があったのだろうか。ほんのりと酒の味がして苦笑しあう。
「明日になったら忘れてる」
「そんなの、私だって忘れてるよ」
ぎゅう、と掴んだ体は温かいのに、互いの気持ちはどこか遠くにあって、それでも互いを欲しながら口付けをもう一度彼らは交わした。
明日になったら、お互いに忘れる。
そういいあいながら、それでも気持ちを抑えられず零れ落ちた涙が頬を伝って悔しさからは「ごめん」と小さく呟いた。
「何が?」
「……平ちゃんの気持ち知ってて、それでも帰りたいっておもって、ごめん」
狂おしいほどに思いが重なっていくのに、それでも「帰りたい」と願っている自分を彼は受け止めるのだ。それが申し訳なくて、はごめんと何度も呟くことしか出来ない。
「いーんだよ」
「……でも」
「でも、俺はお前に帰って欲しくないけどな」
驚きのあまりに目を丸くしたに、平助はくるりと振り返るとにや、とどこか悪戯っぽく笑って「当たり前だろーそんなの」と歯を浮かべて笑った。
「好きな奴には傍に居て欲しいじゃん!」
「……ごめん」
「でもお前が残って欲しいって思わないで留めるのなんてやなんだよ!」
分かったかー。出来るだけ笑って平助は前を再び向いた。馬鹿、とは呟くと彼の首筋に頭をごっと乗せた。
(2010.06.27)