「それってさぁ、恋とどう違うわけ?」
持っていた碁石をばらばらと片付けながら沖田は首をかしげた。彼と並んで碁を打っていた新八はうんうんと頷きながら平助にも春が来たか、なんて妙にしみじみと言う始末だ。
二人の態度に平助は困惑し、思わず眉を顰めると「恋?」と尋ね返した。平助だって十八だ。島原にも行くし花魁とそういうことになったこともある。けれど、「恋」という言葉はどこか遠く感じられた。
碁石を全て盤上から片付けると、沖田はにこり、と少し悪戯っぽく笑う。
「……な、なんだよなんだよ二人して。恋って……」
「恋ってぇのはいつも突然なんだぞ、平助」
新八と沖田の対局を見ながら槍の手入れをしていた原田が妙にしみじみと悟ったようにして言うものだから、平助はたじろいだ。
将軍家でもない限り政略結婚だとかそういったことには無縁である。平助にだって好きになった女子ぐらいいた……と平助は思っている。恋の一つや二つぐらいと噛み付いてみるが実際問題これといってぴんときた女性が重い浮かばない。
ぐうの音も出せず、三人を睨みつけるが若干涙目になってしまっているので効果はなしといっても過言ではない。実際新八はそんな平助を見て笑っているし、沖田はどこ吹く風だし、原田は「まぁ頑張れや」と励ましになっていない励ましの言葉を送ってくる。言うんじゃなかった。改めて平助は後悔した。
早々にこの部屋から退散してしまおうと回れ右をするが、にゅっと突然飛び出した手に首根っこを掴まれ再び座らせられる。その手が原田の手だということを確認すると何すんだよ、と睨み付け口を尖らせた。……しかし、状況をどう見ても楽しんでいる新八が「それでどんな相手なんだよ」と脇腹をつつき始める。
「どんなって!」
「幾つだ?」
「十七、八ぐらい」
「んだよ、同い年か。どんな子なんだ?」
ずいと顔を近づけた新八に思わず平助はずり下がる。ここにいたら十中八九からかいの対象になる。これ以上聞き出されないうちに逃げなければ――と思い立ち上がろうとすると沖田が「まぁ僕は知ってるけどね」と爆弾発言をさらりと言った。
一拍の間が出来る。
沖田の言う意味が平助は一瞬理解できなかった。自分ですら説明がつかない何ともいえぬこの感情を、沖田は見抜いた上にわかっているというのだろうか。
「ななななんでだよ総司!」
「何でって、平助いっつも出かけるとそこいくじゃん」
「ああ、なーるほどな」
合点がいったのか、原田は顎に手を当てると「まぁ、見込みはあるな」と悟りきった笑顔を浮かべる。二人についていけないのか新八が左右を見ながら「誰だよー」とぶうぶう文句を垂れているものだから、下手をすれば名前まで言わされかねない。
そもそも、彼らも十分に彼女の存在を知っているし話したこともあるのだから、ばれてしまったら十中八九それをネタにされてしまうに違いない。それだけは断固阻止したい。おもむろに平助は立ち上がると振り返るよりも先に口が動いた。
「お、オレちょっと出かけてくるわ!」
「あ、てめ、平助ちょっと待て!」
飛び出すように勢いをつけて襖を開けてドタドタと走り去っていく。それは隊内で「魁先生」と呼ばれ慕われている平助に相応しいばかりの疾風怒濤、電光石火の勢いとも言えただろう。
残された三人中二人は笑っていたが残りの一人、永倉新八は「なんなんだよ」と飛び出していった理由も状況もつかめず、その大柄な体を捻らせ残りの二人に「分かってるなら教えろよー」と尋ねていたが、残された二人はどうしたものかと笑っているばかりで結局のところは黙ってしまった。
「だー! くそっ! 頭ン中から離れろってーの!」
屯所から駆け出した際隊士から「魁先生どちらに!」という声が聞こえたような気がしたが、平助はそれを無視して走りきった。橋の手すりにだん、と手を思い切りつき荒れる呼吸をどうにか整えているとその度に沖田の「恋じゃない?」という声が耳に幻聴として残る。
恋情なんてものは平助にとっては無縁に近いものだ。皆と居ればいい。皆と馬鹿をやればいい。そう思っているし、変わらないつもりでいた。
たった一人の、たった一つの行動でこんなにも右往左往する破目になるなんて聞いたことが無い。心をかき乱して仕方がなく、心を掴む。心臓を掴まれて、握りつぶされるのではないだろうかと思うくらいだ。
何度も何度もよぎっては何度も何度も首を横に振って思いから消そうとするのに上手くいかない。
周囲からすれば完全なる不審者だろう。新撰組の羽織も非番だったせいで置き忘れてきてしまった。頭をがしがしと平助はかくと、手すりに寄りかかりはぁ、と空に向かって溜息を零す。
「あっ、やっぱり平ちゃんじゃん。なーにしてんの、こんなとこで」
草履の音を響かせて、一人の少女が平助に声を掛けた。
やたら軽いその呼びかけに平助の体は一瞬強張り、ギギギギ、と機械音染みた音をたてながらゆっくりと体を起こすと彼女へと振り返る。
風呂敷を片手に持ち、なにやら御遣いかそれとも買い物帰りな彼女に平助の顔はこわばった。
「お、おう! こそ何してんだよ!」
「お米これから買いに行くとこだよ」
「そ、そっか!」
「…………なんかあった? いつもの三倍は変だよ」
という存在は平助にとっては少々特殊な人間だ。拾った、といえば聞こえは悪いが実際に「拾った」人間だ。
帰る当ても無く、浮浪者にしては小奇麗な洋装。巧みに使う外来語は平助たちの知らない言葉ばかり。職務質問をかけて、保護という名の確保をしたのは随分と前のこと。以降彼女は八木邸の下働きを住み込みでしており、屯所が西本願寺に移っても尚こうして八木邸で働いているようだ。
彼女にとって平助は「命の恩人」である。ただし同年代なせいか、聊かありがたみを見せる素振りは少ないのだが……。それでも決して関係が「悪い」というわけではない。寧ろ「良い」のだ。「良すぎる」ほどに。
それが「恋」であると指摘されたせいだろうか、平助はを直視することが出来ない。そんな平助には違和感を感じ、回りこんでどうにか視線を合わせようとする。周囲からしてみれば何をやっているのかと呆れたくもなるが、当人達はいたって本気だ。
「なんでこっち見ないの?」
「別に」
「なんか感じ悪いんだけど。何?私なんかした?」
「ばっか、してねーよ!」
「じゃあこっち見なさいよねー」
ぎゃあぎゃあとやり取りをしていると、漸く二人の視線がぱちっと音を立ててぶつかる。しまった、と平助は内心焦るが、は満面の笑みを浮かべて「やっと見た」と少しばかりの安堵を込めながら笑う。
「平ちゃんに嫌われたかと思ったよ」
「ばっか! んなわけねーだろ!」
「……だったらなんでちゃんと見ないのよー焦ったじゃん!」
ばかー。子供のように泣きそうな顔では小さく呟いた。天下の壬生狼、新撰組に向かって「莫迦」呼ばわりなんてよく出来るものだ。そう思う反面、彼女のそういったところに対して気に入ってるといえば嘘ではない。
見ていて飽きない。話していて楽しい。一緒に馬鹿みたいに笑って偶に喧嘩して、仲直りして。そんなどうということのない日常が彼にとってとても楽しくてとても特別なものになっていく。それが「恋」なのかどうかは分からないけれど、ただ、のことを単純に守りたいと思う。彼女がいつか「帰る場所」に自分が居ないことに焦燥感を感じて、この世界に残って欲しいと思う。
けれど、そんなことを言う勇気は彼にはない。頭の中で警報が鳴り響いている。危険、危険、これ以上は、危険。
「……ー」
「んんー?」
「……」
この感情を「恋」と呼ぶのは少々難しいかもしれないけれど。たぶん、これは「恋」になるのだろう。
覚えの無い感覚を感じながら平助はくしゃくしゃに笑いの頭をぽんぽんと叩く。は分かっていないのか「何?」と首を傾げるが、秘密だ。
気付いて欲しいのか気付いてほしくないのか、平助にも分からない。自分でも説明の付かないこの感情をもてあまして、彼は少しばかり原田や沖田が羨ましくなる。こんなとき彼らならどんな言葉を投げかけたのだろうか。
「」
「うん」
「……荷物ぐらいなら持つぜ」
「やった!」
思わず彼女は両手を叩き「米重たくて困ってたんだ」とにこにこと笑う。
そういうことが言いたいんじゃなかったのに!と一方で平助は内心頭を抱えたが、急ぐ必要は無い。そう思い直して自分でも決まらないこの心境を整理しながら、と一緒にのんびりと歩き始めた。
(2010.06.24)