気付いたら、戻れない



ちゃんは好きな人いないの?」

 ぷらぷらと足を遊ばせる千姫には目をこれでもかと丸めた。からからと風車を指で回していた手が止まる。周囲の少し騒がしい声が聞こえているのにと千姫の間には張り詰めた空気と、無音だけが漂う。
 は沈黙を破ろうと、目を泳がせ「まさか」と言おうとするが言葉が出てこない。誰かいるんだ、と千姫がよもぎ団子を食べながら言うので慌てて首を横に振る。

「ま、まさかあ」
「……今ちょっとどもったくせに」
「どもってませーん」


 本当かなぁ、と千姫は楽しそうに笑った。一見すれば普通の少女なのだがいかんせん千姫は鬼の力を秘めた人間ではない種族だ。恐らくがのらりくらりとその質問から逃れたところで彼女の眼光がそれを許してはくれないだろうし、捕まったら――アウト、だ。そうは確信し諭されない様に「ほんとだよー」と笑い返す。
 季節は梅雨をやっと通り過ぎたのか、空はカラッと晴天に恵まれ時折吹く風は盆地であることを思い出させるような熱風だ。

「……暑いねー」
「日陰にいるのにね」
「冷たーいお茶とか飲みたいね」
「あら、寧ろ私は川で遊びたいかも」

 ぽろりと零れた千姫の呟きには驚いた。千姫は確かに少々お転婆気味ではあるが「姫」という名前が付くように粛々と、かつ厳格な雰囲気をかもし出すような女性であり「川」で遊ぶということは毛頭イメージが沸かない。
 繁々とは食い入る勢いで千姫を見ると千姫は笑って「私だって遊ぶときはあるわよー?」との言いたいことを見透かして言い返してくる。
 矢張り、彼女は頭がいい女性だ。

「ねえちゃん?」
「んー」
「……本当は、好きな人いるんじゃないの」

 それは疑問符をつけない文章だ。は柔和な態度で「まさか」ともう一度言い返すつもりだった。けれど、唇が開いてくれない。自分の体なのに四肢がぴくりとも反応をしない。
 指先に力も入らなければ首をかしげることも出来ない。体全身が、の指令を拒否している。

「……ちゃん?」

 だんまりを決め込んだに千姫は再び首を傾げた。――けれど、は、そこで漸く顔を上げて「いない」とだけ言い返す。

「……いないよ。いちゃ、いけない」
「どうして?」

 千姫は追撃の手を緩めない。ただの好奇心であればも逆上し怒鳴ることも出来るが、千姫の場合はそうではない。
 恐らくは全ての事情、全ての理由を理解した上で言っている。それはに現実を突きつけるような形に等しく、にとってはジワジワと痛みと苦しみを伴うものだ。認めてしまえばいい。恋に生きればいいじゃないか。そう千姫の目は静かに訴えている。
 は、ゆっくりと唇を開いた。


「私は私の世界に帰りたいから、いないよ」


 この世界の人間ではない。その言葉に千姫は眉を顰める。が時空を越えてやってきてしまったということは勿論承知の上だが、その言い方では矢張り「好きな人」がいると取れるだろう。
 彼女は気付いていないのではなく、気付いていないふりをしているだけなのではないだろうか。
 よもぎ団子を食べてぶらぶらと足を忙しなく動かしているは千姫がそんなことを考えていることに気付いては居ない。

「……ちゃんは、それでいいの?」

 世界に帰れる保障なんてものはない。寧ろこの世界で生きていくことを受け入れた方がいいのではないのだろうか。
 千姫の言葉には苦笑いして「いいんだよー」とだけ返した。
 最後のよもぎ団子を食べ終わると道の端っこから韋駄天のように駆けていく青年の姿が目に入る。どうやらお迎えが来たようだ。
 の肩をとんとん、と小さく千姫は叩くとは片眉を上げて「あ」と小さく呟く。


「あー! こんなとこに居やがったな、探したんだぞ!」
「平ちゃんだー。何してんの」
「そりゃこっちの台詞だっつーの、買い物付き合えっていうから仕事終わらせたらいねーし!」
「ああ、そういえばそんなこといった、ような?」

 長い髪の毛を後ろで高く括った青年は腰に手を当てて「だーもう」とぶつくさと文句を唱えている。千姫はこの青年の顔を知っている。新撰組の八番隊を率いている「魁(さきがけ)」先生だ。
 隣に居た千姫に気付いたのか平助は片手をあげて「よ」とだけ言うとの頭をこれでもか、というぐらいにわしわしとかき回した。

「ちょっと何すんのヘアセット崩れるじゃん! シャンプーないから整えるの大変なのに!」
「何いってんのかわかりませぇーん」
「何その口調! むかつくー!」

 まるで子供だといわんばかりに低級な言い争いをする二人に思わず千姫は吹き出して笑った。千鶴といい、といい、新撰組で世話になっている女性は個性が強いということだろう。
 そして、そこでもう一度平助を見た後にを見直した。軽口を叩き、文句をいい、それでも結局笑って済ませている姿は清々しい気持ちにさせる一方で、ひょっとしたらという一つの理由にたどり着く。
 湯呑に入った茶を啜ると少しの苦味があっという間に広がっていく。

「もー千ちゃん言ってやってー」
「え? んーと、藤堂さん。ちゃんに優しくしてあげたら?」
「んだよそれー俺はいつでも優しいぞー」
「じゃあその優しい平ちゃんにここの御代持ってもらおうか」

 ざっけんな、と容赦の無い切捨てには「ちぇ」と唇を尖らせて文句を言うが、平助は何処吹く風だ。御代を支払うとはひょい、と立ち上がると千姫のいる方向へ振り返った。
 はその空のように、笑っていた。それでも――少し悲しそうだったのは千姫の見間違いではないだろう。平助には見えない角度で、は声を発することなく「またね」と千姫に言葉をかける。

「おらー、ちゃっちゃと買い物いかねぇと日が暮れるぞー」
「はーい、じゃあね、千ちゃん、また遊ぼーねー」

 去っていた二人の背中を見ながら千姫は小さく溜息をついた。
 戻りたいから、いらない。いない。その気持ちが揺らいでいるのだろう。けれど、彼女は元の生活を捨てることは出来ない。
 巡回して、巡回して、出口の見えない同じ道をずっとずっとまわっているように千姫には見えた。
 こんなとき、千鶴だったら何を言うだろうか……? そこまで考えて、千姫はぷるぷると首を横に振る。千鶴なら、きっと気付かないだろう。気付かなくていいことなのだ。
 それじゃあ、鈴鹿御前ならば――恋に生きた先祖ならどうしただろう。恐らくは元の生活を捨て思いの丈をぶつけていくだろう。過去にそうしたように。そうして子孫を残していったように。
 けれど、は千鶴でも鈴鹿御前でもない。が辛いのか、辛くないのかなんてにしか分からないだろう。千姫は茶屋に座ったまま、ああでもないこうでもないと相変わらず言い争いをして時には小突きあいをはじめる二人の後姿をぼんやりと見ていた。

「――私としては、頑張って欲しいんだけどなぁ」

 友達だから、この世界に居て欲しいという気持ち。友達だからこそ、彼女の願いが叶って欲しい気持ち。二律背反状態だ。藤堂もまんざらではないだろうけれども、実際のところは分からない。
 でも、だからこそ、恋はいいものなのだろう。そう結論付けて千姫は更に一皿、団子を追加注文することにした。





「ねぇ平ちゃん」
「おう?」
「好きな人いる?」

 ど直球な言葉に平助は思わずたじろいだ。
 その質問がされるということは、次に出てくる言葉は大抵告白だったりだとか、そういうものであるのが王道だ。驚き、言葉が出ないとは「私はさぁ」と平助の言葉に痺れを切らしたのか小さく呟き始める。
 この世界も、嫌いじゃない。けれど。

「皆が好きだよ、この世界も好き。……でもね、私は、帰りたいなぁって思う。……やっぱりわがままだよね」

 この世界ではない別の世界。その世界に帰りたいと彼女は咽び泣く。けれどそれを表に出して言ったら関係が壊れることを知っていて、表立って泣いたりする姿を見せたがらない。
 プライドが高いのか、それともただの意地っ張りなのかは微妙なところだが、そういうところも含めてなのだ。それを平助は知っている。
 ぐっと両腕を背中で組むと「いいんじゃねーの」と軽口を叩くようにして笑った。


「俺はお前の味方のつもりだぜ」
「……うん」

 本当のところを言えば、はこのときに平助に止めてもらいたかったのかもしれない。帰らないで欲しいといって欲しかったのかもしれない。
 けれど、平助はの背中を押すのだ。自分の本心は彼もまた言おうとしない。


「……平ちゃんは私に甘いよねー」
「そーかぁ?」
「うん、甘い」

 言いはしない。言えば関係が崩れるから。認めはしない、認めたならばずっと帰りたいと願っていた気持ちが揺らいでしまうから。
 それでも、それでも――は、彼の隣を歩くことを、やめはしない。その手は握り締めることなんて出来ないけれど。その腕に抱きしめてもらえることなんてないのだろうけれど。
 まだもう少しだけ。切なくもはかない未来のことを彼女は分かっているからこそ――残り少ない時間の間だけでも、笑っていたかった。

B A C K


それが恋だと知っていた。分かっていた。けれど気付いてはいけなかった。
(2010.06.24)