きみをたどる迷い道



「お、おきたかー。おはよー」
「……今熟睡してた?」

 うとうとと重たい瞼をどうにか開けて、ふああ、とは大きなあくびを一つ。女らしさの欠片もない奴だが、胸元が少々肌蹴ているところを見ると青年男性の悲しい性かな、思わず彼は身を固めた。
 藤堂平助は読んでいた書簡をまとめて机をほんの少しずらす。硯の中にある墨は既にもう固まりつつあり、それが長い時間寝ていたことの証明になっていて思わずは「ごめん」と小さく呟く。こんなところで寝るとは自分自身にとっても予想外だった。
 そもそも、羅刹の時間に合わせて彼女が起きている方が正確には可笑しいのだ。羅刹は夕方に目を醒まし、ゆっくりと月の出ている闇夜に行動する。が寝ていたのはある種仕方ないことといえば仕方ないのかもしれない。
 羅刹隊の隊長格としてしか今はもう起きれない藤堂平助に彼女もよくもまぁ付いていくものだ、と先日土方は笑っていたが、なるほど藤堂自身も改めて目の当たりにして頷き返したくなる。という人間はとても――物好きな人間だ。人に好かれること自体には悪い気もしない。
 けれど、彼女の目的を思い出して藤堂は苦笑した。
 彼女は此処ではない、遠い未来からの来訪者だという。帰るために奔走している姿は意外性が残る。恐らく、羅刹隊のことを知らないままでいれたら彼女は今頃八木家の養子として迎え入れられ女としての幸せを手に入れていただろうに、彼女自身がそれを壊してしまった。

 馬鹿だなぁ、こいつ。

 哀れみでも、呆れでもなく、率直な意見として、藤堂は思う。物好き、馬鹿、愚考に走ってる。
 どうかしてる。いくらでも言葉は出てくるが、それは自ら羅刹になることを望んだ自分が言っていい言葉でもない。
 狂っているというのならば、きっと自分自身のほうが狂っている。そこまで考えが行き着くと目をこすり、体を伸ばしてついでに「だるいなぁ」と呑気極まりないことを言っているに少しだけ感謝した。まだ狂わずに居れるのは、少なからず彼女の影響もあるのだろう。ここで自分が狂ったら――巻き込んだ彼女は、誰一人として頼る人間がいないまま、また一人にさせてしまう。それは出来るだけ避けたかった。

「ふぁ……ぁ……」
「まだ寝たりないんじゃねぇの? お前、昼も動き回ってるのに大丈夫なのかよ」
「まぁ、なんとかね。結構こう見えてタフだから」

 体をバキバキ鳴らして、畳の上をごろごろと転がった後には立ち上がった。どこかに出かけるらしく身なりを整えて「うし」と顔を軽く叩き、平助に笑いかけ「ちょっと出かけてくるね」と一言二言交わす。

「どこ行くんだ?」
「一条戻り橋」
「……お前、まーだあの話信じてるのかよ」

 一条戻り橋は、この世とあの世に繋がっている。そんな噂は随分と昔からある。平安京にダイレクトに近いせいだというが――正直なところどうなのかはにも平助にもわからない。
 だが、彼女が現れたのも一条戻り橋で、そういった少々怪奇的な場所に彼女は足を運んでは戻る方法を探している。一人きりでは危ないから、機密情報を漏らされては困るからと護衛を付けていることも多いが、彼女は何も言わない。未来に帰りたい帰りたいと何度も耳にたこが出来るほどに連呼しているはずなのに、ほんの少し。月夜に照らされて遠くを見ている彼女はこの世のものとは思えないほど遠い。
 神秘性がある。そんな言葉では表現できない。今にも消えそうなほど、淡いのだ。衝動につき動かされ、腕を掴めばぎょっとしたように体が強張ったのが伝わった。
 いつもあれだけ帰る帰る連呼しているのに帰れない彼女を哀れだと思う。時折彼女は本当に神に乞うように「帰りたい」と泣き出しそうな声で言う。新撰組で身柄を拘束することになって大分月日もたつが、それでも彼女の心は折れていないようだ。

「じゃあ俺もいく」
「……何言い出してるの、平ちゃん」

 朝は起きれないから。昼間動けないから大量に溜まった書簡の処理を手伝うことぐらいはしなくてはいけない。ただでさえ今は人手不足なのだ、そのことを考えれば仕方がないだろう。
 藤堂はまだ仕事が少ないほうだ。実際、今一番負担が掛かってきているのは土方だ。それが見抜けないほどは馬鹿ではないし、勿論その辺も弁えているつもりだ。
 改めて、は籤運がないのだろう。
 こんな時代に別の時代からやって来て、それも帰れない、更に言えば不届き者として捕らえられて、開放されて、やっと運回って八木家の養子縁組が上がったのに最終的に羅刹隊のことを知ってしまって白紙に戻され新撰組に逆戻り。
 それでも彼女はよくめげないものだ。

一人じゃ危ねーだろ、なっ?」
「……まぁそうかもしれないけど、もう3時半だもんね」

 腕時計を見ながら彼女はやれやれと重たく溜息を零した。最終的に彼女はこれからどうするのだろう。ふとした疑問が藤堂の胸をざわめかす。
 八木家にはもう戻れないだろう。秘密を知った以上、八木家に迷惑をかけるとは思えない。何よりそんなことを土方や近藤が許しはしないだろう。
 かといって彼女は女人だ。女人が屯所に居ることは禁じられている。千鶴のように利用価値があるとは思えない。……けれど、そんなを拾ったのは他の誰でもない自分自身だ。羅刹隊についても、自分のせいで彼女を巻き込んだ負い目もある。
 羅刹隊と同じようにひっそりとした部屋で、ひっそりと軟禁生活をしている彼女は哀れで、申し訳がない。

「……」
「……平ちゃん、どうかした?」
「あー……いや」

 もう自分は人ではない。いつ吸血衝動に襲われるかも解らない。けれどもは変わらぬ態度で、変わらぬ口調で、いつもと変わらぬ言葉を投げかける。血ぐらいいつでもあげるし、別に蚊になったところで見捨てはしないよ、と。
 その言葉に励まされたのもある。そして、出来る限り力を貸してやりたかった。


「――うーし、いくか」
「本気で行くのー?平ちゃん休んでなよ」
「馬鹿、女一人とか襲ってくださいーって言ってるようなもんじゃん。刀も使えないだろ、の場合。しょうがねーから守ってやんよ」
「わーそれはどうもー」

 棒読みくさい謝礼の言葉に思わず生意気、と頭をぐしゃぐしゃに掻き撫ぜると小さな悲鳴が沸く。そもそも寝癖だらけの髪に少しばかりハネが加わったところで大した差はないと思うのだが、女性の場合そうでもないらしい。
 ムキになって反論しながらも彼女は「はやくじゃあ行こうよ」とぐいぐい彼の手を引っ張る。まるで子供のような喜怒哀楽の変わり具合に思わず彼もまた笑った。
 彼女のために何かがしたかった。
 勇気付けてくれる、気まぐれな時空を越えたこの未来人に、自分が出来ることがあればと思う。それを言ったところで彼女は笑って終わりにしそうだけれども、それでも。


「ん?」

 その気持ちを告げるつもりもないだろうし、告げたところでこのご時世な上に彼女の気持ちを鈍らせるだけだ。
 いつかは帰る場所がある。分かっているからこそ藤堂は胸の中にそれを畳んで仕舞い、どうにか言葉を濁してごまかすことにする。伝えてはいけない、伝えられない。見送るまでしか出来ない自分に歯がゆさを覚えながら、に視線を落とす。
 彼女は相変わらず呑気な顔をしていて、彼の心情など我関せずだ。
 鼻をかるくぺちんと叩き「はやくいこうぜー」と手を引いて歩き出す。――伝えられるか、こんなこと。諦めに近い溜息が知らずして零れ落ちた。


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このルートの場合、千鶴は伊東殺しの方に着いています。基本土方ルート。