「……凄い遅くなったなぁ、参ったなぁ…道暗いし」
はぁ、と僅かに溜息をつき彼女はゆっくりと道を進んでいく。三十三間堂の説明が思ったよりも長引き、その結果食事にも手間を取り気付けばこんな時間だ。もう起きている人間も少ないだろう。の生活リズムがこの時代の人間と違うせいだろう、彼女はまだ少しばかり目が冴えていて、酒も飲んでいなかったせいか足取りも大分しっかりしている。
出来るだけ早い足取りですたすたと歩いていく。三十三間堂から八木の家までは5キロほどだ。徒歩で行っても精々三十分前後ですむ。長いこと車だの電車だの自転車だのがないこのご時世にいるせいか、それぐらいの体力なら彼女も既に持ち合わせ始めた。そんな自分の些細な変化に思わずは溜息を零し、苦笑する。
ふと、裏道でやたらと騒がしい声がする。こんな夜中に、と思わず彼女は首をかしげ、恐る恐るそちらのほうへ足を運んだ。厄介ごとに首を突っ込むなんて馬鹿以外の何者でもない。けれど、は見てしまった。
浅葱色の羽織、人の怒号。そして、沢山の男達の姿を。
しんせんぐみ、思わずは呟く。何が起きているのか、彼女には分からない。
ただ、恐ろしいのにも関わらず足は自然とそちらに向かって行っている。何故か彼女にも分からないが「行かなければならない」と頭の中で誰かが警報を何度も何度も、鳴らし続けている。
目の前で繰り広げられる戦いが何がなんだか分からなかった。
そしてその輪の中心にいたのは間違いなく藤堂だ。
いつだったかに喧嘩して以来中々顔を合わせることが出来なかった人物が、そこにいて思わずは口を噤んだ。刀を持っているはずなのに、彼は小刻みに震えて沈黙している。今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「っ、おい、平助!!」
原田が槍を回し、敵をいなしていく。それに次ぐように永倉も剣を振るった。けれども藤堂は体を動かさない。
ふ、との目には藤堂の死角からの男の影が目に入る。
それ以降のことは正直なところ成り行き任せだ。彼女の手に持っていた風呂敷がばさ、と空を舞って、その男に投げつけられた。
「?!」
一番驚いたのは、藤堂だろう。なんでお前が此処に、その目はを見て言っていた。
だが、はしかめっ面で言葉を発すことは無い。
ほんの僅かな油断だった。次の瞬間――ざしゅ、と鈍い音を立てての体に刀が突き刺さる。
あ、と彼女は小さく声を漏らし、そのままがくん、と体を倒す。溢れ出た鮮血は刀を濡らし、地面を濡らした。誰かが刀で今居た男を倒して、そして慌ててに駆け寄ろうとするが、それよりも早く鈍い音がする。
生臭い匂い、血の臭い。生々しい音。その音に、彼女は先に重たい体を引き起こす。血が相変わらず地面を濡らしているが、不思議と痛みはない。
顔を上げれば、少年の姿があった。血まみれで、深い傷を負って、を庇って、そしてそのまま崩れ落ちる、少年の姿が。彼女は悲鳴を上げることが出来なかった。あまりの恐怖から、声を失って、崩れ落ちる彼をただ見つめて――は、と現実に戻ると震える手で彼の元へと走った。
「へ……平、ちゃん」
「ばか……なにしてんだ、アホ」
彼女は声を失い、震える手でその傷口を止血するように強く押し付けた。
それは、ぬるりとどこか温かい。彼女の背中から滴り落ちるものと、同じものだ。
不思議だ。自分のものには何も感じないはずなのに相手のものになったとたんに怖く感じる。
「俺…おまえに、あやまんなきゃいけないって……おもって…」
「どう、して、何してんの、やだ、やだ、やだ」
「絶対…お前を……帰す、っていったのに」
「そ、そうだよ、帰してくれるんでしょ、未来に。平ちゃんが手伝ってくれるんでしょ?!何で倒れてるの、やだ、やだ、やだっ……」
どうして。どうして?彼女を守ったからだ。
どうしてこうなった。彼女が身勝手な行動をとったからだ。
は真っ青な顔で、彼に何度も「やだ」と繰り返す。
服は血に染まりあがり、酸素に触れて黒になりはじめている。彼の瞳は今にも閉じてしまいそうで、彼の瞳は光を失ってしまいそうで、必死に何度も何度も彼女は呼びかけて、叩いて、何度も声をあげる。駄目、馬鹿、やだ……一体その言葉が何の意味を持つというのだろう? それでも彼女は同じ言葉を繰り返した。
やがて、敵がいなくなり、死屍累々を押しのけて原田たちが駆け寄ってくる。がいたことに驚いていたがそれでもそれより先に平助に駆け寄って彼を早く屯所へ運び出そうとしていた。
「ま、待って、私も――私も行く」
「馬鹿、は帰れ!」
「や、やだ! 行く! 平ちゃんの傍にいる!」
「っ、帰れ!帰らないと斬るぞ!」
「やだ!!」
永倉の言葉に怯みながらも彼女は噛み付いて、持っていた風呂敷を必死に握って藤堂にかけよろうとした。
――だが。
がくん、と体が揺れて、彼女はひっくり返ってしまう。
近くに居た隊士がを支えようと手を伸ばすが、そこでの血を見たのだろう、隊長、と思わず原田に声をかけた。
だが、は彼の手からすり抜けるとお願いだから、ともう一度傍により、頭を下げた。
もはや土下座とも崩れ落ちるともいえぬその嘆願に原田は僅かに溜息を零す。
平助といい、といい、千鶴といい、頑固な奴らばかりだ。
「……好きにしな」
「左之!」
「……ただし、お前もその傷を治療してからな」
その言葉に、やっとは自分が怪我をしていることに気付いたのだろう、血まみれの手を見て「あ、本当だ」と実に呑気きわまりなく言った。
永倉が彼女の背中を見て「よくお前生きてるな」と呟いた。それほどまでに深い傷だったのだろうか。それでも平然と立っている自分が不思議でしょうがなかったが、の視線は完璧に平助以外に注がれていない。
不意に、体が揺れた。
どん、と強い痛み。
「ただ、足手まといだから、暫く黙らせて貰うぜ」
気を失ったを担ぎ上げて原田は屯所に平助共々運ぼうと動き出す。
血なまぐさい臭いだけが――ただ、そこに残った。
が目を醒ましたのは千鶴に包帯でぐるぐるにされてからだ。
片腕はぐるぐると三角巾で吊り上げられていて、恐らく彼女の身柄を拘束しろと命じられた千鶴が考えた結果の行動なのだろう。
は千鶴が遮るのを無視しばたばたと部屋を走り、最後に見つけたその部屋で――真っ白な髪をした平助を見てしまった。目を丸くし、一歩歩みだそうとすれば「雪村くん、どうしてちゃんがここに?」と聞き覚えのある声が遮った。
その声の主には益々目を丸くした。彼は、二年前になくなったはずの亡くなった――松原だ。どうして、とが松原の前までいくと彼は実に困ったような顔をして、しい、と平助を指差した。全ての話は後日、ということだろう。
は慌てて平助の傍に座るとじっと彼を見つめた。その傍らにひっそりと千鶴は腰掛けて彼女の言葉を待つ。
「……ねぇ」
もしかしてさ、前に騒ぎになったのって、これ?と彼女は僅かに自嘲気味に尋ねた。
前の騒ぎ、とは恐らく山南が死んだときのことだろう。
何の理由で死んだのか彼女は知らない。ただ、千鶴なら知っている――そんな、気がして彼女は千鶴を見つめた。実に彼女は困った顔をして、そして何よりも彼女もまた傷だらけで「さんは、鬼って知ってる?」と少しかすれた声で尋ねた。
そこからのことは夢物語のようだった。薬を飲み、力を手に入れる。そして羅刹となる。だが理性を失う。血を飲めばそれが収まる。
――どこかの三流小説のようだ。それが、の率直な感想だった。
ただ、信じられないと何度か瞬きをして、小さく溜息を零すと座りなおして松原をじっと見据えた。
「……それで、その薬を飲んだ平助君は、羅刹になるんだ?」
「……」
「それを知っちゃった私はどうなるの、松原さん」
「……恐らくは」
「殺される、のかなー」
彼女の言葉はとても軽かった。
まるでゲームのように、ゲームオーバーになってしまったかのように、がっくりとしたが軽い声で言う。慌てて千鶴が「何でそんな」と言うが、は実際のところ実に困った顔で、今も尚眠る平助をじっと見つめていた。真っ白な髪。堅く閉ざされた瞳。ただ、少し遠かった。
「―― 私、平ちゃんと喧嘩してたんだよね」
「……喧嘩」
「まぁ、喧嘩っていっても勝手に怒っただけなんだけど。…だから、せめて、謝ってから、がいいな」
死というものに彼女がなれていないからだろう。彼女にとっての「死」は分からないものだ。ゲームのような感覚で、医療機関が発達していた世界に住んでいたから、だから、死ぬということが分からない。ただ、忘却と喪失の中で悲しいという気持ちになるだけ。
ごろん、と彼女は体を横にして平助の隣で丸くなるようになりながら「おきるまでは取りあえずそばにいさせて」と松原と千鶴を見上げた。
「で、でも」
「――雪村くん」
「松原さん、でも」
「……ちゃん、君は未来から来たといっていたね。……その言葉が本当なら、藤堂君は」
「……私、新撰組の歴史なんか知らないよ。時代の流れからみたら、今日のことも、何も、試験には関係ない、から」
聞いたこともないか細い声に千鶴は驚いた。
のそんな声を聞くのは恐らく初めてで、彼女は縋るようにして平助を見つめている。
松原のいっていた言葉と、彼女の態度にようやく千鶴は気付く。彼女は全てを知っているわけじゃない。断片的、感情の削がれた時代の流れしか知らない存在だ。そして、彼女の口からはこれからどうなっていくのかは言葉にされない。抱え込んだ彼女にとっての拠り所もない。ただ、平助はそこに限りなく近い存在で、彼女にとっての支えであったことだけは分かる。
それから、彼女が土方に刃を向けられて、がゆっくりと目を閉じて「未来帰りたかったなー」と愚痴りながらも笑って死を受け入れようとしたところに平助が入り込んできて怒鳴り合いが始まったりだとか、お互いに傷が塞がりきっていないせいで板の間で平助がもんどりうち、が後頭部を思い切り打っただとか、八木家ではなく再びの軟禁生活で八木家の養子縁組が破棄されてしまう結果になったりだとか、一日のうちに様々なことが起きたのだが――ちらり、と千鶴は千鶴の部屋で折鶴を折っているを見た。
「……さんも、鬼、とか?」
「まっさかぁ、私元居た場所じゃ傷とか負っても普通の人程度には治療かかったよ。……こんなの初めて」
肩から背中までざっくりと切られたはずの傷口は既にもう、縫合されはじめており傷痕もまるで引掻いた程度の傷にしか見えなくなっていた。これならば明日には綺麗さっぱり消えてしまうだろう。
薄気味悪いね、なんてからから彼女は笑いながら制服を丁寧に手製の針金で作ったハンガーに引っ掛けると両方の肩を落とした。
女人禁制の新撰組に彼女の行き場はない。けれど彼女は藤堂が「面倒を見る」と言い切り、羅刹隊のことを知ってしまった。殺すわけにもいかない。表に出ることも許されない。打つ手打つ手を全て交わされている感覚だ。はぁ、と溜息を零して小さな窓からみえる空をぼんやりと眺めた。ゆるやかに朝日が昇っていく。
何故だろう、もう傷口は塞がったはずなのに肩が痛んで、胸が痛んで、彼女は泣き出したくて、もう思い出せない家族や友の顔を必死に思い出そうとして、ずるずると座り込んだ。
そして最後に、平助がどんな形でも羅刹でも、生きていてくれてよかったと心底思い、キリストに仏陀に釈迦に取りあえず思いつくばかりの神に感謝しながら朝日をただじっと見詰め続けた。
このルートの場合、千鶴は伊東殺しの方に着いています。基本土方ルート。