そりゃそうです
の調子がおかしい。針谷が気付いたのは二限目と三限目の休み時間のことだ。彼女と共通の友人であると一緒に並んでいる際、何でもないような顔をしているが時折表情が険しくなっている。教科書を持っている手が若干時折力が入っているようで、目に見えて分かる溜息等はないくせに「本調子」ではないことは目に見えた。
最初は誰かがそのことに指摘をするのだろうと針谷は思っていたが、彼女の様子は変わる気配がない。相変わらずとともに並び、談笑している。こういった人間の感情の揺れ動きと言えば学園の王子様こと佐伯の出番じゃないのか、と割と交友関係でもある佐伯に視線を送るが彼は面倒事には我関せずの性格でもある。のことなど彼は正直な話「どうでもいい」だろう。
彼女の友人であるならばまだしも、と佐伯の関係は彼の本性がふとした拍子に出るくらいで彼女が喫茶店にやって来た時ぐらいしかない。客と、店員。アルバイトのことを知られたくないのもあるのだろう。彼は不必要にに近寄らないしも別段気にするそぶりもない。
「あー、くそ」
面倒くせぇ。誰か言ってやれよ。少し遠目の廊下で談笑をするに思わず溜息をこぼした。何一つ気付いてないのか、は嬉々と楽しんでいる。そしても自分の不機嫌・不快という感情を隠しているのかニコニコと笑顔を浮かべている。
ああもう。腹立つ。思わずこぼした言葉に傍にいたクラスメイトが驚いたように彼に振り返り「どしたよ」とわざわざ心配するような言葉さえ投げかけ来る。違う、心配すべきは自分ではないのだ。
そこまで針谷は考えてぶるぶると首を横に振った。何を考えているんだ。というか、そんなこと自分が心配することではない。勝手にしろ、だ。しかし、長い付き合いの手前無視も出来ない。
「ハリー、次移動だぞー」
「あー……おう」
「お前本当大丈夫かよ、保健室行くか?」
心配そうに顔を覗き込む男子に別に何でもないと手を振れば彼らは「ふーん」と顔を合わせ、持っていた教科書をトントン、と自らの肩に乗せる形でハリーを促す。
ああそうだ、次はオーラルコミュニケーションだったか。のっそりと立ち上がるとハリーもまた教室を出た。廊下では未だ尚談笑を交わしている彼女たちの姿がある。
そこで無視が出来ないのが、ハリーの良いところであり欠点でもある。そして彼は一つに気づくと割と周囲を見ない猪突猛進な一面を持っている。ずかずかと足を進めると、ぐい、との腕を後ろから引っ張った。バランスを崩しながらもどうにか元に戻ろうとよろけた足取りの中では腕を引っ張った相手を見ようとする。しかしバランスが崩れた手前彼によりかかるような形になり、わ、と鈍い声をあげてしまった。
「お前、なんかあった?」
「……第一声、そこ?」
呆れたような、どこかおかしいような口ぶりで顔を上げたは少し口元が緩んで笑っている。が「あ、ハリー」と実に呑気に笑いかけるのでオッス、とあいさつを交わせばオッスと返って来た。すぐに視線をに戻すとは現状に少し不服なのか針谷を見上げたまま動かない。
少しばかり仏頂面なのは気のせいではないだろう。
「なんかあった?」
もう一度、ハリーは尋ねた。その言葉に、は苦笑いに似た笑顔を浮かべて「別に、特に何も」とだけ返す。淡々とした会話を繰り広げ、掴んだ手を少し緩めた瞬間に彼女は体を反転させ針谷と距離を取った。
逃げんなと唇を尖らせるがは「逃げてないし」としれっと切り返してくる。そんなやり取りを少しの間続けているとクラスの男子が彼にしびれを切らし「行くぞ、ハリー。ジョナサンが待ってるぞ」と彼の首根っこをぐいと掴みずるずると引き摺って行く。
その姿は逃げる猫をつかまえた主人のようではあったが、それを言葉にしたら間違いなく針谷に睨まれて文句を言われるのでとはお互いに目配せし合い、噴出して笑いあう。本当に何なんだ、と小さく佐伯がツッコミを入れたのは気付かなかったことにしよう。クラス移動のため針谷とは逆方向へ歩き出したたちの背中を見ながら、針谷は未だ尚その仏頂面を崩すことなくを睨みつけていた。
可笑しい、気がする。理由なんてものもなく、確証もないが、何となく「」らしくないのだ。妙に引っ掛かる違和感に思わず苛立ち、くそ、と小さく呟く。
「んだよ、未だ気にしてるのか。さんのこと」
「別に」
「お前さんと幼馴染だもんなぁ」
「はぁ? 別に幼馴染じゃねえよ」
単純に小学校からずっと一緒なだけだ。けろり、と言い放った針谷にクラスの男子は苦笑いをしながらそれを幼馴染と言わなくて何て言うんだよ、とツッコミを入れる。しかし生憎と針谷も、そしても「幼馴染」という感覚がない。
小学校、中学校、高校と何だかんだで長い付き合いであることは否定しないのだが、別段親同士が仲がいいわけでもない。家が凄く近所、というわけでもない。確かに高校で出来た友人たちとの感覚で見れば近所だが、針谷の家からの家までは公園を挟んでマンションを三つ通り過ぎた大通りにでないといけない。小学生の感覚でいえば「遠い」距離だ。
幼馴染というものはもっと、近くて、名前で呼び合って、ふざけあったり恥ずかしい過去を知っていたりだとか――漫画のような世界のことを指すのではないのだろうか。首を傾げた針谷にいやいやいや、と思わず手を振って男子は笑った。
「そんな漫画みたいな奴ら、会ったことねーよ。ハリーとさんも十分幼馴染だろ。少なからずお前の過去知ってるわけだし」
「そうかぁ……?」
幼馴染ねぇ。思わず復唱した針谷にうんうん、と男子は頷き針谷の肩を抱いた。幼馴染というものは大抵初恋で、そして実らないものなのだとも繋げる。どういう意味だと聞けば男子はにこにこと矢張り笑うばかりで答えてくれない。彼の主張ではまるで針谷がに対して恋心を抱いているような表現になってくる。
「別にそんなんじゃねぇって!」
「そうかぁ?」
「そうだっつーの! ああくそっ、さっさと行くぞ!」
ぐい、とクラスメイトの背中を押すと彼は矢張り笑って針谷の背中をばしばしと叩いた。ああもう、これもそれものせいだ。思わず心の中で不調らしき彼女を針谷は呪った。
御蔭でジョナサンの話なんてものが耳に入ってくるわけもなく、かといって授業中にいつもなら懇々と考える歌詞の内容も考えつくわけでもない。もやもやと黒く、表現し難い感情がグルグルと頭の中を支配し、針谷は重々しい溜息を吐く。何をこんなにたかが腐れ縁のに悩まなければいけないのか、さっぱり分からない。
けれど付き合いが長いからか、誰も気付けない彼女の違和感に気づいてしまった。余り話さない、グループの違う人間だったというのに、の違和感に気づいてしまった自分の洞察力に感動しながらも、その違和感が「悪い意味」だったせいで苛立ちが止まらない。
頭をガシガシとかいた針谷に、オーラルコミュニケーションの講師であるジョナサンは英語で「What happening?」と他の授業を受けている生徒に聞いてみたが、彼の心境を察するものはいない。先程まで一緒だった男子も、針谷がそこまで「」について悩んでいるとは考えていないのか「どうせ歌詞に没頭しすぎてるだけだろ」と苦笑いを浮かべるばかりだ。
授業が終わり、昼休みに突入したため教室移動を再びしている中で針谷はふと窓を見た。何故このとき窓を見たのかは覚えていない。おそらくは「何となく」だろう。偶数クラスでの合同授業なので別クラスの人間が体育であったことは耳にしていた。
――が、そこには、いつもと変わりなくジャージ姿で談笑をするたちの姿があった。の隣には矢張りというべきかがいる。ころころと変わるの表情とは対照的にふと何かを思い出したかのように笑い、そして再び先程と同じように見えないように考え込む。その繰り返しだ。またあいつ、と思わず呟くとと目があった。
は り い。
口がそう動いている。手を軽くあげると彼女は大きく手を振り、隣にいたに何かを話しかける。彼女も視線を上げたがのように大きく反応をするのではなく、何かに気づいたのか頬をつん、つんとつついている。何だ、と首を傾げると彼女も唇を動かした。
ね ぐ せ。
頭をかきむしったせいだろう。折角整えたヘアセットは無造作にくるん、くるん、と不可思議な方向に向かっていた。針谷は思わず「誰のせいだ誰の」と顔をゆがめたが、はすぐに視線をに戻すと再び談笑を始める。その仰々しくわざとらしい表情は癇に障る。様子がおかしいというのにそれを隠そうとする素振り。気付かないとでも思っているのだろうか。
のその表情の苛立たしさを隠せず針谷はすう、と息を思い切り肺に吸い込んだ。そして、咽喉ではなく、腹から発声練習の時のように大きな声で彼女の名を呼ぶ。
「!」
針谷とと言えば「針谷」「」と御互いのことを名字で呼び捨てあう関係だ。あだ名を好む針谷からすれば「変わってる」という印象もあるが、針谷が彼女のことを大音量で呼ぶものだから窓の下の生徒たちは何事かと振りかえり、廊下で歩いている生徒たちもまた足を立ち止まる。
元々針谷は有名人だ。必然と目につく。しかしと言えば自分の名前が呼ばれたことに驚きが隠せず顔を上げたまま口をへの字にして硬直している。
「いいか、動くなよ、絶対動くなよ!」
そう言われると人間動きたくなるものなのだが、針谷の目の座り方と彼の大声には動けずぽかん、としたままだ。
もはやツッコミが追い付かないという類の問題ではない。唖然、呆然。そう例えるしかない。針谷は一瞬姿を消すと瞬間移動でもしたのかと思うほどのスピードで気付けばの前に仁王立ちをして立っている。が現実に帰ってきた瞬間「うわっ」ともれなく驚いたのは言わずともがなだ。
「……」
「びっくりした……何?」
「お前、なんかあったのか」
「……なんかって何?」
針谷の質問は漠然としすぎていて、の回答は解答例としては悪い例だ。
つまり、二人とも落第点。の隣にいたは目をぱちぱちしてを覗き込むように見て次に針谷を見た。彼女には分からなかったのだろう。首を傾げて「変?」と思わず呟いた。
「なんかはなんかだ。つか俺がわかんねぇから聞いてるんだろ!」
「そんなこと言われても……なんか、って」
「ああもうお前ホントめんどくせー!」」
言っている意味も分からないうえになぜか分からないが叱られ、は不機嫌そうに顔を顰めて針谷を睨むが針谷は憮然とした態度であーでもないこうでもないとぶつぶつ文句を言っている。会話の成立はどうやら不可能である。
針谷の動きを見ているのも退屈なので、はに「教室戻ろうか」と話しかけ、針谷の横をすり抜け――ようとした。しかしそれは失敗に終わる。すり抜けようとしたの肩を予想以上に強い手で掴まれる。現在隣にいる人間と言えば、ないしは針谷である。思い顔を上げると針谷は矢張り不機嫌そうな顔で「お前、ちょっと来い」と手を離すと大股で歩き出す。
何が何だか分からず首を傾げ、と顔を合わせては針谷の背中をぼんやりと眺めた。
「、ついて行かなくていいの?」
「んー……」
「!」
面倒だなぁというの呟きを遮るかのようかな針谷の声には「はいはい」と渋々彼の後ろを追いかける。
本来ならここで針谷が腕でも掴んでずかずか進んでいけばドラマティックな展開でも妄想出来たものを、到底その様子はない。どちらかというと小言を言うから呼び出された、に近い。
音楽準備室に針谷が入るともその後ろをついて行く。彼女が教室の中央まで歩くと針谷は教室の扉に寄りかかって腕を組む。さて、どうやって質問をしたものだろうか。
「」
「んー」
じっと針谷は彼女を見据えてくる。は首を傾げて「何」ともう一度尋ねると、しゅっと頭の上を何かがかすめ、その後軽い痛みを覚えた。
ああ、これは所謂「チョップ」だ。針谷は眉間に皺を寄せたまま「お前ってほんと、馬鹿じゃねーの」と呟く。馬鹿馬鹿とこう言われると流石に文句の一つや二つぐらい言いたくなる。
「つーか、隠し事出来ないくせにしようとすんなよ」
「……隠してたわけじゃないし、言わなかっただけ」
其れを隠している以外に何というんだと針谷は文句を言うが、は素知らぬ顔で中央から窓際へ移動し外をぼんやりと眺めている。かかとをたまに上げて背伸びをするかのようにして空を見たり、逆に渡り廊下で移動している生徒を見下す。
針谷が彼女に近づくと、は曖昧に笑って「私も、あんたみたいにいつも一生懸命になれたらいいのになぁ」と窓に視線を向けたまま笑った。額が窓にあたり、の溜息が妙に針谷の耳に響いた。彼女の言ってる意味が理解できず、視線を落とすと腕を組んでいた手をほどいては針谷につられるように視線を上げる。
視線と視線がぶつかりあい、腹の探り合いが始まる。
「お前だって頑張ってるじゃん」
「私とあんたじゃ全部が違いすぎるじゃん」
針谷にはの主張が分からない。違って当たり前だ。違う人間なのだから。けれど彼女は自分が「羨ましい」という。いつもならここでハリー様だからなと胸を張るところであるが、あえて黙っておくことにした。そうしなければいけない気がしたからだ。
アーティストなんて不安定な仕事、と小学校時代の友人の一部は偶に未だに針谷の目標を指摘するが針谷の揺れない信念に心を動かされた人間も多くいる。
おそらくは、もその一人だ。はふう、ともう一度嘆息した。そういえば、こいつ溜息ばかりだ。そんなことに気づいたら針谷は体の重心バランスを少しばかり左にして、横から彼女に頭突きを食らわせてやる。ごつん、と鈍い音。
「いった!」
「お前は悩みすぎなだけなんじゃねぇの。物事をもっとシンプルに考えてみろって。大分周りが見えるぞ、多分」
「適当なこと言うなぁ」
力なく笑った彼女の頭をこれでもかと言わんばかりにくしゃくしゃにして、針谷はけろっとして笑う。確信を持って言える。間違いなくは回りくどく物事を考えている。
もっと楽にして、全体を見ればいいのに。そうすれば、きっともっと楽に生きられる。
しかしどうにも佐伯といいといい針谷の周りには頑固だったり変わりものだったり、変な人間ばかりだ。それをに愚痴れば「人のことハリーは全く言えないけどね」という言葉で返され〆られたものだ。
はくしゃくしゃにされた髪の毛を軽く直しながら「針谷は本当に目ざといよねぇ、なーんで分かるんだろ」と少しばかり見抜かれたことに不満なのか唇を尖らせて言う。
逆に針谷は「はぁ?」と聞き返し、体を反転させ窓に身を寄りかからせると何を言っているんだとばかりに呆れた溜息をつく。
「んなもん、長い付き合いしてりゃ見えてくるもんだろー」
長い付き合い、という言葉には「そんなに長いかなぁ」と常々疑問だったことを投げかける。
幼馴染というにはそこまで互いの幼いころを知っているわけではない。
精々小学校時代の針谷が掃除の授業中にクラスの女子と掃除するしないで騒ぎになり、結果として持っていた箒でギターの真似をして男子たちとお掃除バンドを組んだとか、そんな話ぐらいしか知らない。
そしてその結果が今の彼のバンドメンバーに繋がっている、という話を先日聞いて妙に納得した。中々最近会うことが減った共通の友人・井上は元気にしているだろうか、なんてぼんやり考える。
そもそも、と針谷の関係を「幼馴染」といってもいいのだろうか。どちらかといえばの中の「幼馴染」は井上と針谷の関係を指すような気がする。勿論、井上との付き合いも長いので井上とも「幼馴染」「旧友」に該当するのだろうけれど。
ぽつりと疑問を抱いたに、針谷はコロコロと笑った。
何を言い出すのかと思えばこいつ、そんなことで悩んでいたのか。否、実際はそんなことはないのだろうが、彼女は至って本気で針谷に疑問を投げかけてくる。
変わり者だ。そして、それは自分もなのだろうが。
「幼馴染だろ、たぶん。卒業したら12年の付き合いになるんだぜ?」
「直接こんなに話をするようになったの、最近だけどね」
「いーんだよ、人に言って分かってもらえたことねーだろ」
彼らの関係を人に説明すると、どんなに幼馴染といっても付き合ってきた時間の関係は薄く大きなそれこそ「運動会」や「合唱コンクール」で互いの存在を認識したり、また友人が同じクラスだったからという理由ではち合わせたりだとか、ぐらいだということを分かってもらえない。
は未だに懇切丁寧に説明をするし、今しがたまで針谷も説明をしていたところなのだが、いかんせん誰も信じてくれはしない。
「幼馴染だから、きっとそういう風に見えるだけだよ」
それは、彼女の友人の言葉。それは、彼の友人の言葉。
分かっていないのは彼らだけなのかもしれないが、それでも彼らは何度も繰り返し人に説明する。自分たちは友人で、何でも知っているわけではないのだ、と。
「なぁ、」
「うん?」
「……俺、幼馴染卒業していい?」
「卒業も何も」
幼馴染なのかよくわかんないんだってば。繰り返し言った彼女の言葉に針谷は笑った。ああ、実に彼女らしい意見をありがとう。
針谷はくるくると自分の髪の毛をいじりながら「そーなんだけどさー」と繰り返す。
いつまでも幼馴染幼馴染言われるのも癪だ。そして説明も億劫だ。
「幼馴染じゃなくて、ダチ、って紹介したいってこと」
「誰に?」
「……これから会う奴ら?」
「疑問形なんだ」
針谷は本当におおざっぱだねぇ。くすくすと笑ったの笑い声に針谷は何だか恥ずかしくなってそっぽを向く。
幼馴染の会話と取られるのかカップルとしての会話として取られるのか彼らは気付いていないが、恐らくは彼らの関係としては後者を想像する人間が多いだろう。
しかし、彼らの間に恋愛感情があるのか否かは少しばかり微妙だ。いかんせん「傍にいる時間」は彼らの言うとおり、最近になって築きあげられはじめたものだ。恋愛感情どころか親愛や友愛すら何とも説明し難い関係。それが彼ら二人なのだから。
「で、本当にそんなことで悩んでたのか?」
「そんなこと?」
「だからー俺とおまえが違う、って話」
「ああ、うん、そうそう。ずっとそれ昨日から考えてた」
アホだなぁ。
至極呑気に、今日の天気は雨だな、というような口調で針谷は言い放った。は納得がいかないように顔を上げて文句の一つでも言ってやろうと思ったのだが、針谷の予想以上に楽しそうな顔に言葉を失ってしまう。
彼は、歯をみせて笑っていた。
楽しそうに目を細めて、まるで漫画のキャラクターのように満面の笑顔を浮かべていて、長いこと彼を見てきたつもりだったが、にとってはそんな彼を見るのが何だか新鮮そのものだ。故に、言葉を失いただぽかんと彼を見つめていた。
「俺もお前も出来てるもんはほとんど一緒だろ」
「……つまり?」
「だからー、チャーハンをレンゲで食べるかスプーンで食べるかぐらいの違いだろ。俺らなんて」
言っている意味が分からない。
思わず食い入るようにが針谷を見ると、針谷は言い得て妙だとばかりに腕を組み、うんうんと頷いている。言っている意味が分からず目を白黒しているに彼は腕を組んだまま「食べ物だって食べれりゃ何でも同じだしな」ときっぱりと言い放った。
食べ物と同列かよ。そこに佐伯がいたのなら鋭くチョップあたりでもかましてくれそうだが、生憎とそこにはと針谷しかいない。その自信満々なまでの針谷の口ぶりに彼女は笑った。
ああ、実に彼らしい。その適当っぷりは針谷の独特センスによるものだ。
「そりゃそうだ、うん、それは――うん、そりゃそうだ」
段々可笑しくて、笑いがこらえ切れなくなり大笑いする彼女に針谷は驚きすぐに「お前真面目に俺が考えたのに何だその笑いは!」と言うものの彼女の笑いは堪えられそうにない。
呼吸が辛くなって咳き込みやっと元に戻ったかと思えば思い出し笑いでくつくつと時たま笑い声がまた聞こえてくる。
針谷はぷいとそっぽを向き「言うんじゃなかった」というようなそぶりをしたが、は笑って「針谷は面白いセンスしてるねえ」と褒めているのかけなしているのかよく分からない言葉を放つ。先程までの言いようのない張りつめた空気が嘘かのように穏やかに、そして静かだ。
「」
「んー?」
「……俺らって、何だ? ダチか、幼馴染か?」
「…………どっちでもいいんじゃない? 本質はお互い一緒なんだから」
それはすべて針谷がに今しがた言った言葉だ。
とても穏やかな風がカタカタと音楽準備室の窓をたたく。針谷は少し驚き、そして笑って「それもそうか」とだけ返す。
しかし、ふと彼は考えを止めた。例えば、その感情が幼馴染という「時間」のそれとも、友人としての「親愛」ともまた違ってきたらどうなるのだろうか。
例えば――そう、例えば、恋愛、とか。
「針谷?」
「……なんだよ?」
「ん、黙ってたからつい」
針谷はラブソングはいくつも歌ってきた。当たり前だ、共感する歌といえば大抵はラブソングで、甘いものから苦いものまでパターンはいくつもある。
歌詞を書く身としてはいつだって人の話に耳を傾けそれを「もの」にしてかなければいけない。
例えば、日本でも有名な女性歌手はファミレスでずっと客の話に耳を傾けそれを形にしていたという。だから共感しやすく、それに合わせたメロディーラインを作ることで売れる。
けれど、針谷の今まで作ってきたラブソングと、ロックと、とはまるで結び付かない。
それでも。ほんの少し、彼女と言う人間をもっと知って、もっとこんなくだらない日々が続けばいいのに、と思った。
「」
「何?」
「俺、お前のこと好きかも」
もれなく飛び出した言葉に、彼女は思い切り驚いて「はい?」とどこかの警察ドラマの人間のような独特なイントネーションで返してくる。
真面目な告白とは到底結び付かないようなそれに、針谷自身も「あ」と小さく自分が今言った言葉に驚きを隠せず目を大きく開く。なんともいえぬ、先程とは違う沈黙に気まずさが残った。
「……幼馴染で、ダチなんじゃなかったっけ」
「多分」
「本当もう、わけわかんない」
大丈夫だ、俺も分かってないから。そんなやり取りを繰り返して、は「友達か幼馴染かすら分かんなかったのに」と文句を言うように唇を尖らせた。
そりゃそうだ。
食べ方一つで和食にも中華風にも洋風にも変わる。うんうんと頷いて返した針谷にお腹がすいているのかとは笑う。そういえば先程から食事の話題ばかりな気がする。
「飯、じゃあ食べ行くかー」
「チャーハンでも?」
「そーだな。スプーンか蓮華か、後は……箸?」
食べれれば何でも一緒。胃に入れば一緒。だから、俺とお前も一緒だ。
そんな突拍子のない発言が妙にのツボにはいって、はまたコロコロと笑った。
――
鈴村健一「そりゃそうです」