「ラルフ、ちょっとおいで」
ひょいひょいと手招きをされラルフは足を止めた。呼び止めた相手は少なからずアカデミーにいつもは居ることもないであろう人間で、研究室から出てきた意外さからラルフは硬直した。動かないラルフに違和感を感じたのか、彼女は首を傾げると扉を閉めてゆっくりとラルフへと近づいてくる。
片手に持っている分厚い本は先程彼が図書室で借りようとしていた本で、何処にも無かったものだから諦めて論文を進めようとしていた矢先だ。
視線がそちらに向かえばは彼の頭にその分厚い書籍を乗せた。
「って!……つーか、あんたなんで此処に」
「厨房借りてたの」
「ふーん」
乗せられた本を手にしながらパラパラ捲るラルフにはポケットからごそごそと何やら探すと、彼に差し出した。
透明な瓶詰めに黄色、ピンク、白、ブルー、様々な色をした飴玉のようなそれに彼は思ったままのことを口にする。
彼女は彼の質問に「飴玉」と答えるとそのまま手に持っていた瓶を彼に受け取らせた後に「これを上げればだいたい子供は黙る」と妙にしみじみ言うばかりだ。
「って子供扱いしてんじゃねーよ!」
「はい口開く」
「聞け人の話!」
ぎゃんぎゃんと吠えるラルフを行き交う後輩たちが興味深そうにチラ見しては去っていく。マイスターランクに進んだラルフについては知らない人間も少ない。特にアカデミーでは成績優秀者であることも加えて街で有名な「うたうことり亭」の一人息子なのだから仕方がない。生徒たちの中では実家を離れ寮生活を送っている人間も少なくなく、休みの日にうたうことり亭に自然と足を運びアットホームな雰囲気に浸っている人間も多い。故に自然とラルフのことを知っている人間は増えていく。
加えてラルフは何かと人の輪の中に居り、校内での成績も首位をキープしている。更に並べていけば変人と謳われているあのクレメンスの相手の務まる稀有な人間であり、教師陣からの信頼も厚い。
そんな彼をまるで犬、もしくは幼少児の如く対応している人間に興味があるのだろう。当人であるは瓶から薄ピンク色の飴玉を選び彼の口に今にも放り込みそうなのだが、そこは彼の固いガードによりなかなか開かれない。
「っつーか!調合してたんだろあんた」
「ああ、うん、だからこれ」
「だからって言葉選び可笑しいだろ!? 人の話を――……」
ひょい、と音がなりそうなほど綺麗な形で飴玉は彼の口の中に転がり落ちた。驚き思わずラルフは息を呑んだが、口の中にほんのり香る飴をごろりと転がすと苺の味が広がる。ここ最近飴玉なんてものは授業に対する眠気覚ましのミント関連しか食べていなかったので、余計に新鮮だ。
ごろごろ飴を転がしながら沈黙したらラルフに満足気には微笑むと、よしよしと彼の頭を撫でた。姉か、母のような態度に瞬間的に顔から火が出るように赤面したラルフが彼女の手を振り払った。残念そうには惜しみながら手を何度か振ったが冷静に彼の様子を窺い、まぁお茶でもどうかと尋ねてくる。彼女にはどうやらラルフのつっけんどんな言い方も通用しないらしい。
「なんであんたと」
「カールさんのアップルパイ、1ホール分あるんだけど」
「一人で食う気かよ!太るぞ!」
「親愛なる後輩及び教員の皆さんと食べようとしてたの、失敬な言い方しないで」
額を軽く小突き彼女はくるりと背を向けた。
ついて来いということなのだろう。慌ててラルフは彼女の背中を追いかける。ころり。飴が口の中を転がり回った。甘い、甘い、苺の味。
「それで、何調合してたんだよ」
「だから、ラルフが今口にしてるそれだってば」
紅茶を淹れながらは何くわぬ顔で言う。調合器具は既に片付けられているが、祝福のワインのボトルが未だ転がっていたり、オレンジがいくつか籠の中に置かれていたり、クローネの花が置いてあったり、素材は残っている。
指さされたラルフはラルフで口の中で転がしている飴を思わず噛んだ。鈍い音が瞬間に響き、二人はその残響を聞くことになった。
「な……なんだよこれ」
「飴」
「ちっげーだろ、ぜってーなんか効果あんだろ!」
はティーカップに遠い農村地から取り寄せた紅茶を淹れながら何てことのないことだと笑う。その笑い方が余計にラルフの気持ちを煽るばかりだ。ぷるぷると震えつつも出口を確保し、ラルフはをジト目で見つめて尋ねた。
「……これ、苺の味がする」
「うん、そうだね。その色からして苺だ。こっちがクローネの花ジャムを使った飴、こっちがメロン、こっちがレモン。で、こっちがワイン」
「なんで飴なんか作ったんだ」
三度目の質問に、は少し笑った。
どうやらこの秀才はが飄々と逃げまわることを許してくれはしないらしい。ありがたく受け取ってくれればいいものを、と呟いたがそれを地獄耳である筈の彼は取りこぼしたらしい。彼女の返答を未だかと待っている態度に、は遂に観念した。
「最初はマイスタータルトを作ろうと思ったんだけどね……」
「マイスタータルトって、確か」
「此処の近辺ではあんまり食べられてないやつ」
何処の調合を間違えたら、飴になるんだ。原料からして何もかもが違うだろう。
思わず心の底からラルフはツッコミを入れたくなったが、は話を続ける。どうやら作りたかったが考えているうちにタルトよりも飴のほうがいいのだということに結論づけたらしい。余計にラルフは困惑した。何故にそうなったのか、さっぱりどころか全くわからない。
「だって、タルトなら頼めばカールさんも、エリーさんも、後メリーも出来るでしょ?」
「まぁ……確かにどれも美味いけど」
「しかも、私よりも上手に作れるのは目に見えてる」
何てたってプロ二人、そしてアカデミー随一のお母さん枠。
しみじみといったにラルフは心の中で思わず同意した。確かにメリーはどこか抜けていて放っておけないが、その反面誰よりも頑固者で誰よりも心遣いのできる強さを持っている。それは母親と少しばかり、似ていた。エリーの錬金術から行われるチーズケーキも、自分はあまりチーズケーキを食べないがあの店で食べている学生や客たちの表情は皆笑顔だ。……そして、父のアップルパイは幼い頃から食べている。その味の良さも、もちろん知っていて当然だ。
は彼の心のなかを読んだように何度か頷くと「だから」と言いながら机に体重を乗せる。少し彼女の体重で軋んだ机の上に置かれた、透明な瓶に沢山の色とりどりの飴玉。
「これは、私からの贈り物」
「え」
「……マイスターとは全くをもって関係はなくなっちゃったけどね」
かりり、と飴玉を噛めば少しだけ疲れが取れたような気がする。それでも自然と笑っているに目を奪われ彼は言葉を失った。彼女の言い方では、まるで。
「随分遅くなっちゃったけど、進学おめでとう、ラルフ」
「……あんたって、ほんっと、馬鹿だ」
それだけの為に忙しい時間を削って態々厨房を借りてアカデミーに篭っていたのか。呆れて尋ねればは真顔でまさか、と言い放つ。
ラルフの分を作り彼の評価が良ければ治療中にゴネる人間の口に放り込んで黙らせればいい……先ほどと全く変わらないの言い方に、思わずラルフは口元を緩ませた。
「の飴ってことは、効果あるんだよな?」
「目の疲れと、頭痛、肩こり、湿疹、疲労困憊には効く調合してるから少し身体軽くなると思う。後忘れたものを思い出させる効果つき」
「……最後のってなんだ」
「論文の締切日とか、忘れるとまずいでしょ」
違いない。小さく笑うとひんやりと飴が冷たくなってきた。アイスクリームのような冷たさに彼女に原理を尋ねると、近くに散らばっていたレシピを一枚は差し出してきた。どうやら彼女の調合はいくらかオリジナルブレンドも加えられているらしい。
ラルフはははあ、と頷くと彼の脇に置いておいた自分のノートをひったくり、彼女のブレンドを走り書く。あまり綺麗とは言えない文字に、が笑うと照れくさそうに頭をがりがりとかいている。
「はい、紅茶とアップルパイ」
「ん」
「後、帰り仕度終わったらちょっと付き合ってくれる?」
まだなんかあんのか。
飴を飲み込み、紅茶を啜るラルフの言葉は顔に全て書かれており、思わずは笑った。彼はどうやら随分と真っ直ぐに育ったらしい。あの両親による教育の賜物だろう。紅茶に口をつけながら彼女は言ったでしょう、と得意気に言う。
「マイスタータルトは、菓子職人が作っても美味しいけどその効力は一番いいのは錬金術士が作ること」
「ああ、なんか本にそう書いてあったな。錬金術士のためのおやつだって」
「お祝いは二段階あってこそっても言うでしょ」
「は?」
まだお祝いは終わってないってことだよ。片目を瞑って笑ったにラルフはこれでもかというくらいに首をひねった。兎も角片付けを手伝わされ厨房の鍵をオズワルドに返却した後並んで歩いていく。
は何やら上機嫌で、浮き足立っているためか何度かラルフが尋ねても「さぁ」だの「どうでしょう」だの曖昧な言葉ばかり流していく。すれ違った王国騎士団に軽く挨拶するほどだ。
彼女の向かう先は彼にとっては行きなれた道で、何処に行くのかと尋ねるよりも前に、は扉をノックしてしまう。
「あっ、さん!依頼の品今出来上がったところですよ」
顔を覗かせた工房の主はラルフとの来訪を予想していたらしい。彼女の相棒は羨ましそうに「それ」に目を向けたままだ。何がなんだか分からない。だが、部屋に充満するバターの香りにラルフは訳がわからず、とメリエーラを交互に見つめていた。
すると、まるでダンスを踊るようにくるり、とターンをしてはラルフに視線を向けた。
「タルトといえば?」
「は?」
「タルトといえば、何?」
「……えっと、ジャムタルト?」
では、ジャムタルトといえば、という彼女の問いに彼は少し戸惑いながらも「メリー」と応える。次の瞬間、彼は漸く彼女の意図を理解したように顔を上げ彼女に尋ねようとすると靴音とともに嬉しそうなメリーの声が響き渡る。
「さん、依頼の品“マイスタータルト”です!」
「ということで、お祝いは二段階、ってね。ポポット、これは差し入れ。カールさんのアップルパイだよ」
「わぁ!有難う!」
次から次へと展開についていけずおい、だの何だの声をかけるが次に扉を開かれた音がすると、色々な人間が次から次へと現れてラルフを祝っていく。
あっという間に工房は沢山の人が集まった。どういうことだとを見ると、彼女はしてやったりと笑い、彼の肩をぽんぽんと叩く。
「カールさんに今日の夜の貸切予約入れて、メリーにタルト調合お願いして、回診回りながら皆に告知するの大変だったんだからね」
同級生とだけで盛り上がるなんて、勿体ないでしょ。
してやったりの顔をしたに、ラルフは言葉を失った。
いつから計画していたんだと聞くよりも何よりも、ここまで大々的にやる割に気づけなかった自分が悔しいというべきだろうか。頭を抱えるのも悔しいのでの頭をわしわしと撫でると「ちょっと」と怒った声が聞こえてくる。ああ、もう、そんなもん、知るか。
予想外の展開が嬉しいと感じるラルフは口元を抑えてそっぽを向いてしまう。メリーがうれしそうに彼を見ているのも、ニヤニヤと笑っているエルハルトも、相変わらずの反応をしているクレメンスも、悔しくて仕方がない。
彼の反応に満足したのか、綻ぶように笑っているに柄にもなく照れてしまいたくなる。そんなラルフを他所に、まるで教員のように何度か手をたたきは指示をしていく。
「さて、カールさんのところ行こうか皆」
「はーい」
その後、実家で盛大に祝われながらの依頼したレシピでメリー特製「マイスタータルト」及び、カールの特製料理に舌鼓を打ちながら騒がしい夜を過ごした。
……次の日二日酔いで頭を抱えている大人たちに呆れながら、ラルフはから貰った飴玉を口の中に放り込む。
ころん。
小さく飴が口の中で歯にぶつかる音が響いた。
「マイスタータルト」……トトリのアトリエの調合品