Staccato duo
「月森くん、久しぶりだね」
愛想よく挨拶をしてきた女生徒とは裏腹に随分と素っ気なく月森は頷き返した。周囲が一瞬どよめいたが、まるで気にせずに彼女は月森の隣を陣取り、取り留めもない話をいくつか月森に振る。
その度に容赦無く「ああ」だの「さあ」だの冷たい言葉が返ってくるが、まるでめげる素振りもない。彼女の鋼の心はどこから来ているのか甚だ疑問ではあるが、月森は相手にしないという選択肢がないだけ未だ優しいのだろう。
「今回のコンクール、参加者見た?」
「……いや?」
「今回はもしかしたら、持っていかれちゃうかもねえ」
話題性ナンバーワン。意外性もナンバーワン。
付け加えながら彼女は紙コップに力を入れる。何が意外なのか、何が話題なのか分からない月森は少しばかり怪訝な表情をしたが、直ぐにその「意外」で「話題」なのか理解することになる。入り口でどっと声が上がるとまばゆいフラッシュがいくつもたかれる。何事かと振り返ればどうやら誰かが来たのだろう。黄色い声もついでに聞こてくる。
「……あれが、今回の意外性ナンバーワン、話題性もナンバーワン」
「……彼は」
「ここ一年くらい見かけなかったのになあ。最後に月森くんはあったのいつか覚えてる?」
確かアイドルになるといって去っていったのだけは覚えていたが、月森は眉間に皺を寄せた。彼の情熱たるや並々ならぬものであったことは覚えているが……しかし、何故彼が今になってクラシック音楽に戻ってきたのかは理解しがたい。月森と同じ表情を浮かべている人間はどうやら何人か居るようだ、皆同じ視線の先に同じ人物がいる。はまぁね、と苦笑いをした。
彼の努力は認めるが、彼をナンバーワンというのは彼女の矜持が許さない。入り口から入ってきた少年は胸を張ってヴァイオリンケースを手にしている。ぴたりと周りの音が止んだ。突き刺さる視線に負けないように前を見ている少年を横目に、沈黙を破ったのは意外にもの声だった。
「そういえば、月森くん留学するんだって?」
「――ああ」
月森という名を知らぬ人間はクラシック界、そして同年代のヴァイオリンを習う人間なら少ないだろう。
自信とかね揃えられた技巧。サラブレッドと称され幼い頃からコンクールで話題をかっさらっていった人間。何人かが月森に視線を配ったが、彼は別段意識することもなく腕を組む。
「どこに?ウィーン?」
「ああ。……そういえば、君も確かウィーンに行くと聞いた」
「何処で漏れたの、その情報。……にしても、腐れ縁だね、私ら」
の笑いに溜息で答えた月森は視線をもう一度、先ほどの少年に向ける。
……少しばかり、目があった。少年は驚いたように月森とを見つめていたが、挑戦的に笑うと手続きに行くのか彼らに背を向ける。最後に彼と話した時のことをは思い出し、そしてああ、と納得の声を上げる。先ほどのフラッシュも、先ほどの歓声も彼が築いたものの一部だ。
アイドルになるとクラシックから飛び出していった彼がアイドルの卵として活動している話は耳にしていた。
が何度か頷き、紙コップをダストボックスに押し込むと月森に言う。彼は相変わらずだね、と。
「……どこまで音が変わったのだろうな」
「相変わらず自信家っぽいから、大丈夫なんじゃない?調整はしてきてるでしょ。楽しみ」
「……」
クラシック界から忽然と姿を消した男のことを彼を見ていると月森は思い出す。柔らかい彼の音楽はある意味で月森と対照的だった。も同様だったのだろう。少年が去った方向をぼんやりと見ながら、先ほどまで月森がうんざりするほどの会話をしていたのに途絶えさせる。
妙にがやがやと賑わうロビー付近では彼の話題性からか、いつもより人が多く感じられた。適度な高揚感を何処で発散したらいいのか分からず何度かは自分の手を摩りながらロビーを行き来する人間に目を配った。番記者と言われる人間たちは音楽雑誌に居る人間たちと比べて視線が分散しているようにも見える。
見覚えのある音楽雑誌の記者が月森との二人に気づくと此方へゆったりと近づいてくる。露骨に月森は嫌そうな顔をして腕を組む。不機嫌な彼のわかりやすい「自分は不機嫌である」という動きではあるが、はそれを黙殺して此方に向かってきている音楽雑誌の記者に会釈を一つ。まるで両極端な二人の態度に彼もまた、苦笑いを落とした。
「やぁ、ふたりとも。留学するんだって?」
「ええ」
「耳が早いですね、私人にいった覚え無いのになあ」
2,3言葉を交わすと、頑張ってねという言葉を残して記者は去っていった。流石に場数を踏んでいる人間らしく、ステージに出る人間に余計なことを言う興味はないらしい。それならば黙っていればいい、関わらなければいいのにと刺のある口調で言う月森に思わずは吹き出して笑った。
「月森くんの演奏も、彼の演奏も私は楽しみだなあ」
「……俺も、君の演奏を聞けるのは楽しみだ」
「うん、スタッカート前より上手くなったと思うから聞いてて」
じゃあ、また、今度は舞台で。ペパーミントの香りを残して彼女は月森から離れていく。
月森はを見送りながら小さく口元を綻ばせた。彼女はどんな音を紡ぎだすのだろうか。想像すると自然と気持ちが高揚する。彼女の解釈は月森の好きな解釈とは言い難いが、面白いもので、彼女にはきっと月森の解釈での音楽は合わない。彼女のヴァイオリンもきっと、歌わない。
指先をじっと見つめた後、月森はとは逆の方向にある彼自身の控え室へと歩いて行った。