情熱の大地へ捧ぐ

 「……

 湾岸通りで彼女を見かけて、桐也は声を失った。いや、正しくは見かけた姿にではなく、彼女の奏でている“音”に対してだ。
 超絶技巧が必要となるこの音楽をよく弾き込んでいる。ソロヴァイオリンだけだが、桐也の心をぐっとつかみ、彼の瞳は彼女しか映さなくなった。ヴァイオリ ンの華やかな音が響き渡る。行きかう人々の足が時折止まり、 の姿を探し、そして沈黙する。
 何てことのない、ストリートライヴ。いや、彼女からすればただの「練習」なのだろう。それ以上でも以下でもない。ただ、元の音楽がすばらしいからか。そ れとも彼女の華やかさにこのメロディーがあっているからか。
 ぴったりとピースのようにはまり、彼女の周辺だけ赤い光が纏っているように見えた。
 一通りの流れを終えたのか、ふう、と彼女がヴァイオリンを離す。どうやら周囲に目がいっていなかったらしい。拍手が自然と漏れてそこでようやく現実に気 づいたのかうわ、と周囲の状況をおろおろ慌てふためいて見る は少しばかり面白おかしくもあった。


「よ、
「……桐也君、いつからいたの?」
「曲の最初の転調前くらいから」
「ほぼ最初からじゃん」

 ああびっくりした。けろりと笑っている姿からは鬼気迫っていた姿形を潜めている。あれは一体何だったのだろう。じっと桐也は彼女を見据えるが、彼女は 「あーびっくりしたなぁ」といまだに周囲を気にしているのかきょろきょろしている。

「……しかし、なんであの曲なわけ?」
「あの曲?」
「情熱大陸」

 葉加瀬太郎の。テレビのBGMで使われているくせに、頭にこびりついて離れない、タイトルそのままの情熱的な曲。 によくあった、明るくて、激しい、 彩華な曲。
 桐也の瞳が を射る。 は一瞬きょとんと目を丸くしたが直ぐににこり、と笑顔を作り「だって」と続けた。

「この曲、楽しくならない?」
「……忘れてたけど、そういや、あんたそういう性格だったな」

 思わず噴出して笑った桐也に「笑いすぎでしょー」と軽口を叩きながら、矢張り もまた、笑った。


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