小難しい恋愛と無縁な僕ら



じゃん、また独りかよ。さみしー」
「桐也君、見つけて第一声がさみしーってどうなの!うるさいよ!」


 ヴァイオリンの弓を弦から離すと首を何度か彼女は曲げて桐也を見た。周囲の人々は立ち止まった彼らに何の感情を抱くこともなく通り過ぎていく。
 桐也はポケットに手を突っ込むと手すりに体重をかけ、じろじろとを見続けている。無言。先ほどまでの減らず口とはとても思えないほどの無言には僅かながらに動揺を覚えたが、直ぐににい、と笑顔を作り彼を小突くようにこつん、と指をはじく。

「てっ!」
「じろじろ見て、なんかあった?」
「別に」
「またアキラくんとかとでも喧嘩したんじゃないのー?」

 アキラというのは桐也の友人の一人だ。最近度々日野のこともあってか桐也と日野と共通の友人であるに泣きついてくることが増えてきている。
 ヴァイオリンをケースにしまい、くるりとリズムを取るように彼女は振り返ると非常に困惑した顔で桐也がを見ている。動揺、狼狽、困惑。それらすべてが詰まったような顔に、年齢相応な態度なせいかは思わず噴出してしまった。

「図星?」
「……や、違う、けど」
「ふうん?」

 たったらたった、たったったー。くるみ割り人形の行進曲を口ずさみながら彼女は指を指揮するように動かす。
 ずいぶん上機嫌なに対して、不機嫌な桐也。正反対の二人の表情に桐也の友人が彼らを見かけたとき一瞬「うわぁ」と声を上げかけたのは内緒だ。さらにそのまま見なかったことにして背を向けたのは、彼だけの秘密でもある。
 楽譜を仕舞うとは桐也に「暇ならお昼でも一緒にとろうよ」と鼻歌交じりに指を矢張り少しだけ動かしてたずねた。
 ……そんな、呑気極まりない彼女の態度に思わず桐也はこれでもかという溜息をこぼし「あんたって」と何かを言いかけるが、そのまま口を噤んでしまう。人間というものは不思議な生き物で中途半端に言われると逆に気になるものである。の質問に「何でもねー」という反応を返す桐也だが結局のところに根負けしてしまう結果は目に見えていた。

「……あんたは、やたら上機嫌だなって」
「そんなこと? うん、上機嫌だよ」
「暁彦さんと何かあったわけ?」
「まっさかぁ、吉羅さんがそんなことするわけないじゃない」

 何気にあっさりひどいことを言っているのだが、どうやらに自覚はないらしい。はケースを持つと桐也の隣に寄りかかった。
 青い空。
 そして海。
 少し太った鳩が気になるが、そこは見ないふりだ。

「桐也君来ないかなーとか思ってたら来たから上機嫌になったんだよ」
「……は?」
「練習、聞いてもらいたかったから来ないかなー来ないかなーって念を送りながら弾いてたわけ。そしたら来たからさぁ」

 いやぁ、偶然って凄い。うんうんと頷きながら彼女はちらりと桐也を見、そして驚いた。まるで林檎のように真っ赤で、普段の余裕のある笑みが見られない。
 唖然として、彼を見ていると「うわバカ、見るな」と慌ててそらされてしまう。

「……れ、練習、何だよ」
「ルスランとリュドミラ 序曲」
「…また何で」
「普通科にもわかる曲をアンサンブルでやって発表しろ、が今回のテーマだから……」

 異常にテンポが速い曲で定評のあるこの曲をなぜ選んでしまったのか。
 あまりに軽率な判断に桐也は「妥当にそれ、胡桃割り人形の行進曲とかにすりゃ良かったんじゃないの」と呟いた。……無論、が乾いた笑みを浮かべたのは言うまでもない。

「誰だよ、それ言い出したの……」
「私の周囲、太鼓でドンが流行ってて……」
「あんたかよ!」

 思わずを凝視した桐也に「うあー」と頭を抱えた。何をやっているのやら、どうしてこうなったのかわからない展開にぽかん、と桐也はを見ていたが、最終的にはぁ、と重々しい溜息をついた。
 後先考えない無茶する性格なのは知っていたがここまでとは。
 だが、そういう無茶なところも、まぁ、嫌いではない。

「ほら、構えて」
「え」
「見てやるっていってんの。楽譜くれ」

 飯は今日の練習を終えてからな。先ほどの照れ具合はどこにいったのか、すっかりスパルタな表情をとった桐也には僅かに呆れて笑い、この音楽バカめ、と内心ツッコミを入れた。
 …だが、そんな音楽バカなところも、また、彼のよさだろう。そして何より、それを言ったら「あんただって音楽バカだろ」と返されてしまうのが目に見えている。
 甘酸っぱいだとか、そんな雰囲気は相変わらず彼らには毛頭ないのだけれども。それでも彼らは楽しそうにヴァイオリンを奏でている。……時折「違う」だとか「もっとテンポ速いだろ、そこ」だとか、少々手厳しい声が入りながらも、だが。


「言えるか」
「え」
「別に」

 吉羅と何かがあったのではないか、と独りで勘違いして、一人で落ち込んでいたなんて。
 ぼそりと呟いた桐也の言葉はに届かず、彼女の音にかき消され、彼の心もまた彼女の音楽にだけ向かっていく。


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