机に寄りかかりながら譜読みをしていた手を止めると、女はぐい、と首を回して後ろで黙々と予算の計算をパソコンでしている男を呼ぶ。一瞬男は目だけを動かして返事をしたが、その手は止まることを知らない。
「全国さぁ、どこが来るかな」
「……星奏は来ると予想されてはいるな」
「星奏かぁ、如月さんがいるところだよね」
プロ顔負けの腕を持ったヴァイオリニスト、如月律。彼の名前を神南の管弦部で知らない人間は居ない。部長である東金千秋を負かし、土を付けたその男に闘志を燃やしている東金千秋を見ていればいかにその「如月律」が凄いのかも分かる。
は楽譜を一度おろし、机の上においておいたヴァイオリンを引っ張り出すと軽く調弦し、G線を引く。ぎぎぎ、という音がしたような気がしたのは気のせいということにしておこう。
「……余り集中していないな」
「うーん、うん……」
「なにかあったのか?」
「……セリーにさぁ、私は部長やってほしいと思ってるんだよ」
ぽつりとは指でD線を弾くと溜息を零した。何が意味しているのかが分からないほど芹沢は馬鹿でも、との付きあいが短いわけでもない。
「……部長はお前を推してるんだろう?」
「私にあの人の後なんて絶対無理だよ。…普通に考えて、アンサンブルやってるセリだよ」
「俺は、どっちでもいい。……どうせ、御互い結局役職につくのは目に見えてる」
「……セリ、それ二年の発言じゃないよね。っていうか高校生じゃない」
そんな大人な発言私には無理だなぁ。
弓を起用にくるりと回すと持ち直して彼女は不意にきらきら星を奏で始める。れっきとしたクラシック曲だが……唐突過ぎるその曲に思わず芹沢の手が止まる。
「……」
「んー?」
「……少し手伝ってくれないか」
「うん、分かった」
部長、副部長、会計、書記。あげていけばきりが無い仕事。恐らくはどちらもきっと役員になる。
200人以上いる部内だ、その部員をまとめあげるカリスマ性がある人間なんて早々に居ない。そんなこと彼女は知っている、わかっている。
――東金千秋が、おかしいだけ。
「…凄い部長の下にいると大変だね」
「全くだ」
「でも、あの人にあえてよかったよね」
「……確かに」
思わず苦笑をしあいはヴァイオリンをケースに仕舞うと芹沢の隣の椅子に腰掛けてはぁ、と溜息を零した。