幾千の言葉紡ぎ歌

は遠い遠い外海からやってきた東洋人である。
レガーロにいる黒髪の人間たちよりも髪は烏のように濃い黒をしていて、ここにいる人間たちの誰とも肌の色が異なる黄色。
言葉も通じない身体の小さなジャポネーゼ。


そんな言語の壁を乗り越えきれないまま、彼女は何枚もの皿を持って行き来していく。慌ただしそうに行き来していく彼女の姿を子犬のようだと称する男と少々のいらだちを隠しきれずレガーロに居る人間と異なるものを持っている彼女に嫉妬と羨望と興味を入り混じった瞳を向ける女たち。
は現在進行形で間に挟まれている。それは、この場所に来てから何一つとして変わらない。


「はい、ラザニア七人前!」


バールは常に騒がしい。の知る日本……こちらではジャッポネというらしい、の蕎麦屋のようだ。
着慣れない洋装に、結びなれないリボンとエプロン。着物とは異なる「すかぁと」に四苦八苦だ。
皿の上にどんどん並べる一方で店内にいる男たちの稀有な自分を見る目はあまり良いものではない。
この店の店員であるロマーノとロメーオの外見もまた、の知る人間と何もかもが違う。金色の髪、青い瞳、大きな背格好。

男たちは笑いながら、ワインを煽り、冗談を言い合う。彼らはみな、によくしてくれる。それは彼女が言語すらもままならない東洋人であり、また、女であるがゆえだ。
バールは立ち飲み屋みたいなものだ、とは客観的にみていて思う。店内でカルチョの結果を言い合う大の男たちは相撲の結果を言い合う故郷の男たちと変わらない。そんな光景を眺める間もなくピークタイムに合わせて彼女はホールの中を行き来する。メニューの名前はこの店にきて必死に覚えた。数の覚え方も、100までどうにか覚えた。会計はまだやらせてもらえていないが、覚えていけば役には立てるだろう。

扉のベルが鳴り、そうして今日も客が入ってくる。顔を上げて笑顔を作れば、その笑顔は一瞬にて凍りついた。


、コニチワー!」
「…‥あの、ボンジョルノ、パーチェ」

人懐っこい笑顔を浮かべる自警組織・アルカナ・ファミリアの幹部長代理のパーチェの佇まいに思わずは逃げ腰になる。自分と頭ひとつは違うであろう体格差、彫りの深い顔つき。それらはいくらが慣れようとしても一朝一夕でどうにかなるものとは言いがたかった。彼の後ろに隠れていた帽子の男と眼帯をした男たちの挨拶に釣られて、はボンジョルノと頭を下げる。

「マンマがさ、のことを話してたよ!」
「え……」

一度連れてきて、だってさ。
にこにこと悪気もなく言うパーチェに、は顔色を益々暗いものに変えた。
このレガーロに存在している東洋人といえばアルカナ・ファミリアのマンマたるスミレぐらいなもので、偶然奇跡的にも遭難していたところ通りがかった船がレガーロに行くのでと流れてきたとは全く状況が異なる。
スミレという存在をが耳にしたのはレガーロについてから間もない頃で、何かと会ったこともないその「パーパの細君」の想像をし、戦慄したものだ。花魁か芸姑か。どちらにしても住む世界が異なりすぎて彼女の想像とは逸しているに違いない。


! 七番テーブルに早く!」
「はい! ごめんなさい、ご注文が決まったら声をかけてください」

たどたどしいイタリア語の後、頭を下げると彼女はロメーオが焼いたソーセージとワイングラスを片手で持ち上げると慌ただしく去っていった。
次のテーブルにワインを注ぎ、愛想の良い笑顔を浮かべ全く同じような挨拶を躱している。たどたどしいが接客としては及第点といったところか。

残されたパーチェはそんなの姿を楽しそうに見ながら、どっかりと近くにあった椅子に腰掛けるとメニューを開く。
いつも大体頼むものは決まっているが、形式みたいなものだ。

「あのジャポネーゼのバンビーナも随分慣れたみたいだナァ」
「ええ、最初に来たときは接客出来ずに居ましたからねえ」

ぐだぐだと話す幼馴染にパーチェは頷いた後、いつものセットを20人前、偶然通りかかった別の店員にオーダーを頼むと頬杖をつきながら「もうちょっと慣れてくれるといいんだけどねー」と楽しそうに笑った。


「ラッザーニアー!20人前!」
「Si!」

今日も彼女は騒がしいバールの中を駆けずり回る。
一つの言葉をまた覚えて、笑顔を綻ばせて「grazie!」と感謝の言葉を述べるのだ。
その笑顔を見るのがパーチェはとても好きで、だからこそ何度も足を運ぶのだが、どうやらそれはまだ、到底伝わっていないらしい。


「Ti amo!」
「ええと、グラッツェ、ワインお持ちしました」
「オーウ俺だな」


会話のキャッチボールにすらならない言葉にがくりと肩をうなだれたパーチェの横で何処か同族的なものを察したのだろう、ルカがそっと肩を叩いた。




幾千の言葉紡ぎ歌

(2012.09.02)
*翡翠様リクエスト「アルカナ・パーチェと日本人女子」