Limone chicca
髪の毛をくるくると指でいじるルカにはべらぼうに多いリモーネパイを見つめた。、
あまりに量の多いそれを作るのにも時間がいっただろうに、彼はすこぶる笑顔で「さぁ、どうぞ」と彼女に食べることを薦めてくる。真っ白のクリームをフォークで触れようとしたが……結局、触れず、空を切る。
その食べ方をするたびに何とも言えない顔をルカは怪訝な顔をする。
ルカのお手製なことは知っている。知っているのだが……。は小さくため息を付いた。
「そんな顔しないでよ、食べづらいじゃない」
彼女の好むのは香ばしくて、口に含めばさくさくと歯ごたえのあるリモーネパイである。
寧ろ一般的なリモーネパイといえばの好きなリモーネパイほうが、レガーロを含めたこのへんの界隈であればスタンダードだ。
だが、甘いものが好きなフェリチータに合わせるように作るルカのリモーネパイは外海の、遠い海の向こうにある国の方式である。……彼女の好みとは完全に、乖離しきっていた。
外海の人間が此方に来てレシピを残し去っていったものをルカが引き継いで作ったと聞く。ぼそりとルカは「お嬢様がクリームたっぷりの、外海のリモーネパイのほうが好きなんですよ」と呟いた。
……それが余計にの癇に障る。
「お嬢様お嬢様お嬢様、お嬢様好きなのはいいけど、これは私のために作るってあんた今日言ったわよね!」
話が違うじゃない。の言葉はルカに突き刺さり、ルカは思わずたじろいだ。
彼女がアランチャやリモーネを好んで食していることは知っていたし、アランチャを絞って錬金術を用いた炭酸水と割ってソーダにするのも好むし、自然の発酵させる力で作ったスパークリングワインとリモンチェッロにウォッカ、ヴァニーリャを混ぜあわせた強めのスグロッピーノをぐいぐいと煽っているのも見たことがある。
ことを戻せば、数時間前。
彼女が書類をし終えてふらつく足取りで港の警護に出かけていく姿を見かけた際にあまりに不憫に思い、つい声をかけた。
いつもより表情は暗く、溜息を混じらせるその姿にルカは思わず、と彼女の名前を呼び思いがけない言葉を放った。その言葉に他のだれでもない自分が最も驚いたし、同じく目の前にしているも、きょとんと目を丸くした。
「食べたいものとか、ありますか?」
「………………え?」
「いえ、あの、此処のところお疲れのようだったので、その、私で良ければに作って差し上げようかなと。パーチェとかみたいに20人前のラザニアは出来ませんがね」
慌てて言葉を並べていくルカに、は少しだけ笑った後に「じゃあ」と余り触れないようにしながら、食べたいものを述べた。
――リモーネパイ。
それが、彼女の言った「食べたいもの」だ。
の食べたいリモーネパイが、普段ルカが作っているリモーネパイと確実に違うということは一目瞭然である。
そして、強く頷き返した後に執務に戻っていった。それからというものリモーネパイのバリエーションを頭の中で巡らせていたし、厨房にいそいそと引っ込んでリモーネの数、ストックしてあるパイ生地の数を確認するとジャケットと帽子を置いて早速調理に取り掛かった。
……彼と彼女に交わされた約束を、他者が知るわけもなく、厨房に入ってきたフェリチータがリモーネパイの存在に気づき楽しみにしているという旨を伝えると引っ込んでいった。
ルカは、フェリチータのことを他者の誰よりも大事にしている。
それこそ、モンドやスミレと同等かそれ以上にフェリチータのことを大切な主として扱ってきたし、彼の優先順位の最高位にフェリチータが居る。
……その結果が、今である。
は一口も食べることなく、フォークをテーブルに置いた。
「!」
「気持ちはもらったから、パーチェにでもあげて」
「ですから」
は頗る不機嫌な声を上げた。もういい。それ以上の会話を許さない喋り方に、ルカはため息を付いた。長いことの悪友でもあるの機嫌は悪くなると中々浮上してこない。こういう時は放置するしかない。
……皿を下げようとするルカの手を見ながらは冷たく「ルカ」と彼の名前を呼んだ。
「お嬢様のこと大事なのはいい。わかってるし、知ってる」
「はい」
「……でも、約束を破って、仕方ないでしょう、ってないんじゃないの」
それだけ、と言い残し彼女は手元においてあったカフェ・ルンゴをごくりと飲み干した後に立ち上がって去っていく。
……もう、彼女はルカのことを一瞥すらしていなかった。そこに「誰もいない」かのように、まるで彼を置物かなにかのようにしてマグカップをマーサに渡すと食堂から去っていった。
「……」
「るーかー? 聞いてたよ、今の話」
「……そうですか、お見苦しいところをお見せしました」
彼女が何故怒っているのか分かっているかとマーサは尋ねてきたので、ルカは帽子をかぶり直し、大方はと言いながらため息を付いた。
彼女との約束を守れなかったこと。フェリチータを優先したこと。色々が重なりあった。
手元に置かれた手をつけられてないリモーネパイが静かに鎮座している。
ルカのその姿にマーサは彼の背中をばしん、とひとつ叩いた。
アンタが謝りもしないから、は怒ったんじゃないのかい。
苦笑してるマーサにルカは暫く考えた後、彼女を追いかけるように走りだしていった。
……数時間ほどして。
ルカの左頬が思い切り赤く腫れている一方でにこやかにリモーネの皮を使った香ばしい香りのするリモーネパイを頬張るの姿があったとか、なかったとか。
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Limone chicca:レモンのお菓子